2017年08月28日

言霊 布斗麻邇講座・日本語だから分かる

一日それだけでたくさん、他に要らない、食べる時間がもったいない。いくら玄米が滋養あるとしても大きな体で、自転車は乗ったことがなくて日本中の移動は歩き。靴がダメになったので裸足で歩くようになり肉厚になった。それで足裏が鍛えられて血も出ない。

それから数日して「これからインドへ行くのでお暇に来ました」と挨拶に来ました。インドへ行くのによく金があったねと尋ねると、友達のヒッピーから航空券をもらった。その友達はニューヨークの金持ちのヒッピーでベトナムへ徴兵されるのが嫌で日本に来ていた。

それでもとうとう友達に徴兵令状が来てしまった、その時にインド行きの航空券が余ってしまって「いらなくなったからお前にやる」ということで彼はインドへ行けることになった。

暫くして手紙が来て送り人名、住所なし。先生は「島田さん、失敗しました。何故あんなに勉強していたのに日本語を習えと言わなかったのか」と嘆かれた。先生は英語が堪能でしたから、英語でもってコトタマ学を教えておりました。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

言霊 布斗麻邇講座・日本語で説く意味

先生の言霊百神という本の書かれている「ここはどういう意味ですか?」と訊いては細かい英字で余白にメモしたのを見ますとビッシリ。白いところがないくらい書いていました。

ある時、本を持参してないので「どうして持ってきてないのか?」と尋ねましたら、「全て頭の中に入れたので本は要らなくなった」って。これは何かあるのかなと、そうしましたら「一週間後にインドへ行く」と言いました。

「小さい頃からの望みだった、インドのヨガで瞑想をしてみたい。 ‘人間とは何ぞや’の瞑想をしてみたい。此処でコトタマを勉強したからヨガの瞑想で本当かどうかを証明してみたい。」

「金はいくら持ってるんだ?」、「30円くらいだ」と言う。金がなくなったら銀座で似顔絵を描いて一枚百円〜二百円の稼ぎ。千円もあると一月余ってしまう。一日に玄米を一合買って、小さなフライパンでカラカラに炒って小袋に入れて歩きながら一粒から二粒食べる。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

言霊 布斗麻邇講座・コトタマで作られた日本語

もし、古事記が言霊のことを言っているのだと気づいた人が、もし、いたとしても、五十音と五十神に結び付けると50の2乗というコンビネーションの原理での数値になります。50☓50を50回ということになります。

言霊は生きたものですから止まっているのならコンピュータで計算すれば出来るかもしれません。生きた内容がございましょう。そのコトタマでもって日本語を作ったのですから。

コトタマとの結びつきで「時」、トキと書いて、今此処の時を表わすことになるのか。その証明は日本語がすることになる。

私の先生の所にある時、素晴らしいアメリカの青年が来て、先生が「イエス・キリストの生まれ変わりじゃないか」とおっしゃったくらい、背が高くて足の裏が3cmもある分厚くて。目が澄んでいた。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月25日

言霊 布斗麻邇講座・神名と五十音

これが分からないと古事記が言霊の教科書であるとは分からない。太安万侶さんが古事記と言霊が結びつくような記述があれば「まずい」と考えた。そうでなくても今から二百年前に本居宣長という天才の国学者が分からない古事記を解釈しました。

言霊の本であると分かってしまわれては皇祖皇宗の人類経綸に反することになります。この物質科学文明の時代を完成する時までは言霊の原理は復活してはいけない。それが途中で復活しますと大変なことになってしまいます。

何故ならば、儲けたい、〜たい、〜たい、の風潮でなければ物質科学は発達しません。それに水をさすようなことはご経綸上許されません。しかも、コトタマの原理があるということさえも気づいてはならないことでした。

知られることはご法度でしたから、うまいことを思いついた。それは天之御中主神から火の夜芸速男の神までの言霊の結びつきを書かずに、宮中の賢所に隠してしまった。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

言霊 布斗麻邇講座・神様の戸籍

その次の金山毘古の神(カナヤマビコノカミ)から三貴子の須佐之男の命まで五十の神様の名前が出てきます。五十の言霊をどのように動かしたらどのようになっていくのか、言霊の動かし方を詳細に説いてある運用の五十の神様ということが分かってまいります。

それだけ霊妙な内容を神様の名前でもって物語にしましたのが古事記です。ここまできますと現代人が「人間って何だろう」と、でも誰も答えを出してくれません。誰一人として人生とは「こういうものだよ」と答えてくれる人がいません。

ところが、言霊の動かし方によっては人類の危難を一遍に解決してしまう結論まで出せる心の構造を知ることが出来る。

それは「天地の初発の時」の観点を、天地を外に見ている宇宙が混沌としていて星も生まれていない状態とする考え方から、そうじゃない、人間の心の構造を表わしているということに気が付きますと、しかも構造を担っているのが言霊だと分かってきます。

ところが、そう言えない処に付け加えなければなりません。それは天之御中主神が言霊ウという神だということは古事記の何処にも書いてございません。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-2了)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

言霊 布斗麻邇講座・字は心が眠っている

火の夜芸速男の神(ホノヤギハヤヲノカミ)は読んで字の如し、ピタッピタッと五十音の神様の名前がよく分かってきます。火(言霊)の夜の藝術が速やかに分かる。夜ですから言霊が眠いので寝ている藝術で「字」のことです。

言霊は心のこと、それが眠たくって寝てしまった、「字」は読めば心に蘇る。読むまでは言霊が眠っている状態。ラブレターは恋人に届かなければ何もない、届いて封を開けて読むから通じる。読むことによって心が又蘇ってくる。

後の五十音は何だ、人間というのは「今」という瞬間に五十音が存在していて、霊妙かつ高速に働いてくれているから心を動かし考えることが出来る。考えなくてもいいと言われても考えている。

その恩恵、広大なり。「あー、死にたい」と言っても「お前は死にそうにない」と言ってくれている。瞬間的な今此処で活動している言霊が眠ってしまっている姿を神代文字と申します。夜の藝術と言うのですから眠っている。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-2)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

言霊 布斗麻邇講座・百の神様

心の真ん中にもうすぐ出るよ、何かある、それから百の神様が出てまいります。「天之御中主神」に始まって、三貴子(ミハシラノウズミコ)である天照大神、月読命、須佐之男の命という最高の神様が出てきます。

天照大神は意志と道徳を司る心構え、月読命は宗教と藝術を司る心構え、須佐之男の命は産業と経済を司る心構え、この三人の神様が登場するまで百の神様が出てきます。そんなことないよ、百三つあるよ、という場合もあります。

その三つは一つの神様を説明するために出てきた神様ですから、一つには勘定いたしません。

天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神(言霊ウ)から始まって五十番目に出てくる火の夜芸速男の神(言霊ン)。半母音のウは母音のウと重複しますのでオミットします。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-2)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

言霊 布斗麻邇講座・神様じゃない神

ただ、そのように自分は「思う」というだけの話であって、それが真理だとしたら困ってしまう。「十五夜のお月さんは三角だ、俺はそう思う」って。(笑)

青森県出身の有名な小説家は「富士山には何とかという花がよく似合う」と。私は富士山には富士桜がよく似合うと思っています。唐松の芽吹きの時に五合目の富士山に登った時に「生きてるな」という実感がします。

その富士桜の透き通った楚々とした小さい花びらと裾野から見上げる富士山の頂上まで、言葉で言い表せないほど心がスカッーとして、どんなに下心を持っていたとしても、スカッーとして何も起こらない。

そういうように推理したことが実際と同じになった時、それが他の処でも証明された時は推理や仮説ではなくて真実になります。

「天地の初発の時」と申しますのは心の宇宙が心の現象が始まろうとしている時と捉えますと、次に続く「高天原に成りませる神の名は天之御中主神」、天之御中主神(アメノミナカヌシ)って何だ?少なくとも神様じゃない。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-2)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

言霊 布斗麻邇講座・誰もが同じ宇宙

何も見えない心は無限で大きな領域を持っているでしょ。そんな中から「腹減ったな」、「飯喰いたい」と思ったり、考えたりする。その領域は世界総人口の心の宇宙と同じ宇宙ですよと申し上げたら「へぇー!」とおっしゃる方が多いでしょう。

ですが、「一つ」なんです、他の宇宙はありません。誰もが同じ、このことがシッカリ分かってきたら戦争する人はおりません。皆兄弟、こんな当たり前のことを宗教教育はいけないと止めた。

私が申し上げたことは宗教の「し」の字もございませんが、こうやって教えればよろしいかと存じます。今、般若経を物理学者が書いてベストセラーになったそうです。でも、あれは空想です。

何故なら心の問題と物質核の問題と同じように考え取り扱うと、本当言うと詐欺です。それを自分が証明したわけじゃないから。心と物質とどう結び付けるのか。繋げる方法をその物理学者は持っていない。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-2)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

言霊 布斗麻邇講座・自分の心の領域というものは一つ

何もない何も考えていないまっさらな心の宇宙全体が「饅頭喰いたいな」と言ったような心に何かが起ころうとした瞬間、起こってしまえば今でない。それは今でしかない、此処。

俺の心があっちで起こったなんてことはない。起こる時は此処でなければならない、それは今でなければならない。それは最先端の物理学者がやっている方法でもって、昔の日本人の祖先は心の中で証明した。

今此処であることに気が付いた。実在する人間が人生において実在するのは今此処でしかない。今の人はそう言いますと怪訝な顔をします、相当な知識人であっても。外に見る宇宙は「一つ」だよねと言えば、誰もが「そうだ」と答えます。

それは皆さん、賛成すると思います。こうやって目を瞑った時に「自分の心の領域というものは一つなんだよ」と言いますとどうですか?皆さんが全員で目を瞑って何も考えない状態を想像してみてください。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-2)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする