2017年09月07日

言霊 布斗麻邇講座・何の話をしてるのか?

天下の名僧といわれた兄弟が橋の上を歩いていた。そうしましたら向こうから絶世の美人が渡ってきた。二人共にあんぐり口を開けてしまって、兄はよだれも垂らして、言葉も出ない。

弟の方は過ぎ去るとハッと我に返って「坊主とあろう者が情けない」、兄は振り返って、美人の方を見て、又、よだれを垂らしてしまった。橋を渡り終わって、兄に弟が「兄さん、あまりにも不設楽すぎる、少しは行儀も考えろ。」

「美人を見てよだれを垂らすのは仕方がない、通り過ぎたならまともに返れ」と弟が窘めると、兄が「お前は何の話をしてるのか?」、美人をみてよだれを垂らしていたじゃないか、「あぁ、そんなことか。」

弟はそれから修行僧として兄にはとてもかなわないと悟ったという話です。
どこが違うのか、通り過ぎてしまったなら尻尾もないのですから、兄さんの方は忘れてしまった。弟は覚えていて「何であんなことをやるんだ」、どうして尾っぽだけが現れているのか。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月06日

言霊 布斗麻邇講座・オる

る=居る
 毎回申し上げることですが、無門関の公案に、窓格子を牛が通っていった、頭、胴体が過ぎ、その次はどうする?尻尾だけはどうして通り過ぎないのか?そんなのは当たり前でもう少しすれば通り過ぎる。

滑稽な質問ですが、これを人生に置き換えますと大変な問題になります。ある時、「この野郎」とひっぱたかれた。やり返してひっぱたこうとしたら「止めろ、止めろ」と皆に止められた。

ひっぱたかれた痛みはひいたけれど、何日も何日もそのことを考えるのはどうしてなのか?そうなってくると人生の問題になってきます。もう忘れても良かろうに「あの野郎」、「俺はそんなつもりで言ったわけじゃないのに、俺の頭をひっぱたいた。どうしてだ。」

この問題が人間の精神社会から失くなってしまえばどんなに楽か知りません。こういう話もある。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月05日

言霊 布斗麻邇講座・ウる

 る=得る
 総て手にする、自分のものにする心の象徴(欲望)を表わします。大きな事業を起こすのは大きな利益を得たいから。政治家は日本の国を動かしてみたい、動かしたい、その結果が最終的に総理大臣を生みます。

今の政治は本来「エ」の次元でするものが、イとエが隠れてしまっておりますので、ウが突出して世界を動かしております。そこに矛盾が起こります。

どんなことでも一生懸命やるのは隣の人に儲けさせたいというのは有り得ない。隣人が好きだから、恋人のためというのは有り得ても、それは自分が好きな人に対する行動で「得る」に変わりはございません。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月04日

言霊 布斗麻邇講座・母音の並びの違い

5_onzu.jpg日本語の五十音図の母音が右に立てに並ぶ並べ方は音図によって違います。天津太祝詞音図はアイエオウと並びます。天津金木音図ではアイウエオと並びます。宝音図では人間の五つの性能に対する自覚を広げて畳なわりに行くにはイエアオウと並びます。

この並びは下からウオアエイと上っていきます。これが人間の自覚進化の変化です、これは母音ですから人間の心を構成している5つの宇宙。直接に繋がっているのではございません。一つ一つが独立していて積み重ねが人間の心の宇宙を構成しています。

人間の八つの父韻の働き「チイキミシリヒニ」をまとめて「気」と申します。気が動く、働くことを子音では「ル」と申します。ウオアエイに「る」を付けてみます。そうしますと「ウる」、「オる」、「アる」、「エる」、「イる」、この五つの「る」について説明させていただきます。

日本語はよく出来ているなと言うことと同時にこの進化の段階を実行していくには、どのような段階を経ていくかも説明することになります。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月03日

言霊 布斗麻邇講座・理想郷への方便

そのことを呑み込んだ人が一人でもいれば、それは悪ではなくて、もっと理想的な処へ行くための一里塚なんです。

私が申し上げるコトタマ学でもって、本来の人間がオギャーと生まれた時から、こういう性能をいただいて生かさせていただいていて、その性能の素晴らしさにお気づきになられたら、この世に生まれたことがどんなに素晴らしいことであって、将来の人類社会をどんなに素晴らしいものに築けるか。

その前に聖書にありますように「空飛ぶ鳥を見よ、つるまず、貯めず、働きもせず、嬉々として啼き、生きているではないか。」

人間がこの素晴らしい性能の下に、この方便の世の中に耐える自分を創ろうとして努力されれば、食べることを有難く食べ、贅沢言わずに有難く召し上がっていれば、一生困ることは有り得ないことなんです。

生まれた時の赤ちゃんの顔を見てごらんなさい。正に仏様の顔、その人が何故憂き身を窶すのか、それは方便のためであって本当の意味ではございませんから。ですからこの世の中の方便に気付かれて、人間本来はどういうことに働くべきかをお考え下さいますと私がこの講義で有難く喋れることだと思います。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3了)

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2017年09月02日

言霊 布斗麻邇講座・真理を知らない教義

生き残る力を与えようとした宗教ですから、過激であると同時にとても愛情に溢れたお説教です。それが今になって宗派が生まれて、指導者がいけない。日本も戦争の末期には同じことをしていた。

特攻隊で亡くなった方には申し訳ない話ですが、崇高な魂の持ち主でしょうが、ですが同じ国民、同じ宗教の下、宗派が違うだけで、神様が違うわけじゃない、同じ神様なのに殺し合う、そういうようになってしまうのは真理を知らないからです。

真理からかけ離れてしまった。全世界が末法の世界になってしまって教祖のやってしまったことを歯牙にもかけない。親玉が好き勝手言っています。だからこんな世の中になってしまった。

宗教の祖と申しますのは「これは間違っている」とは決して言わないはずです。世の中に間違っているということはないのです。間違っていることはたくさんあるように思います、人を殺したりして。

ですが、それを長い歴史と宇宙の中心に観点をもって見ている壮大な場所と時の中においては、間違っているということは有り得ない。みんな意味がある。その意味があることを知らないでやると悪ばかりが出てくる。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

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2017年09月01日

言霊 布斗麻邇講座・歎異抄とコーラン

あれがお月さんだよ、指している指を見て、指を貸しましょうか?(笑)滑稽な話なのに世界中の人が殺し合っている。可哀想なのはマホメットです。確かに「目には目を歯には歯を」って言いましたが意味が違う。

イスラムのコーランの教えをお読みになったことはありますか?読んでみますと神様がたくさん出てまいります。神様はそういうことが嫌いだ、そういうことは歯牙にもかけない、神様が無頼者のように教えています。

よくよく読みますと親鸞さんの歎異抄と同じ、あの砂漠の中にいて苦しい生活をしながら、心の救いとするものは高遠な教義を説いた所で分かる人もいないし、分かったとしても何の役にも立たない。

それよりも「目には目を歯には歯を」、そこに人間の心があるんだよ、その心の奥には神様がいるんだよ、それを信じる人は何も怖れることはないのだ。砂漠の嵐が吹けば一遍に死んでしまうのですから。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

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2017年08月31日

言霊 布斗麻邇講座・神様っていうのはいない

今は古事記がなくてもコトタマ原理を喋ることが出来るまでになりました。古事記全体が仏教の禅で謂う処の「指月の指」でございます。「指月の指」と申しますのは、十五夜の月を「あれがお月さんですよ」と月を指す指のことです。

指月の指をいくら見たって分からない、指の先を見ませんと。ここに書いてある天之御中主神、物事の始めの時の天之御中主神とは実際には何のことか分かりません。私も先生の説明から「なんだ、そんなことか」と分かった。

いとも簡単、例えば何かを思い出そうとしてここまで出てきているのにといったことがございましょ?何かの会合の時に「あの時はお世話になりました」と挨拶されて、さて何処で会ったのか、そういう時は「あなたどちら様ですか?」と言いそびれる。

三日後くらいに「あっ!あの人だ」、そのここまで出ているのになぁ、その「ここ」は1cmとかじゃダメです、1cmの100分の1くらいのところの神様が天之御中主神。神道の説明では急進に迫っている神様、主人公の神様、各宗教で言いますよ、最高神だと。

ところが、神様っていうのはいない。「こじつけ」なんですから。そんなことは百も承知で太安万侶さんは神様の名前をあちこちから取ってきて、これの神様の名前はこれがいいと、その半分はほとんど人の名前。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

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2017年08月30日

言霊 布斗麻邇講座・宮中賢所

話はもどります、神様の名前とアイウエオ五十音の繋がりは何処にも発表せずに宮中の賢所に保存してしまった。何故こういうことが言えるのか、それは昭憲皇后が一条家の御輿入れにあった和歌の要諦を推察された明治天皇が賢所から持ち出した資料からコトタマ原理の復活の研究が始まった。

山腰弘道さんの次男で山腰明将さんへ伝わり、そのお弟子さんの小笠原孝次先生へ伝わり、その末席の弟子が私でした。私の目の前で「島田さん、弟子ほど当てにならないものはない」とおっしゃったので「私も弟子の一人ですが」と申しましたけど。

一条家からの御輿入れに和歌の要諦が入っていなければ永遠に古事記と言霊の結びつきを分からず終いでしたから宮中から始まったことは間違いないです。山腰明将さんのご本、小笠原先生のご本は、分かった所から始まっています。

ということは宮中に千三百年の間、保存されていたところから始まったことは確かでございます。

この2つの観点が揃ったので古事記と日本書紀は世界で唯一つしかない心と言葉の総てを完結するコトタマ原理の教科書であると、それ以外の教科書はないということが分かったということでございます。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

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2017年08月29日

言霊 布斗麻邇講座・生きているということがいながらにして分かる

英語で理解して「勉強したことを確かめたい」とインドへ行ってしまった。日本語を知っていたら五十音で言足ります。日本語の本を読んで、それこそ火の夜芸速男の命、生きているということがいながらにして分かるではないですか。

先生は手紙を見ながら「残念なことをしました」と。手紙にはインドで偉大なヨガの導師に出合った、身の回りの世話をする人が言うには年齢は二百歳近いだろう、その根拠は子供の頃に導師は八十歳だった、今自分は八十歳なので百八十歳にはなっているはずだと言うことらしい。

「分からないことが分かったら又日本へ戻ろうと思う」、未だに手紙は来ません。日本語を知っていればインドへ行かなくて済んだ。

それからはコトタマ学をお教えする時は相手が外国人であっても、日本語を日常会話くらい話せるまでなってからにいたしましょうと先生は教訓にされて、それからは外国人に対してはコトタマ学の英語での講義は止められた。

布斗麻邇講座「記紀は日本語の教科書」(H18年4月・会報215-3)

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