2018年10月11日

言霊 布斗麻邇講座・賢所の蔵書

物質科学の方はその後、原子物理学が科学界の大道を堂々と押し通して、大きな科学の筋道を作って行ったのですが、日本の明治天皇ご夫妻が起こされたコトタマ学復興の研究は、明治天皇が亡くなられると直ぐ、次の大正天皇には渡らずに民間に下りることになりました。

その前に、明治天皇にそのコトタマ学を気付かせたのは、皇后が公家の一条家からの嫁入り道具の中に日本の和歌とコトタマとの関係を書いた本があったのだそうです。私の先生の小笠原孝次先生の先生、山腰明将先生から聞いたのだそうです。

和歌とコトタマの関係の本を見た本の話を聞いた明治天皇は「これは皇室の伝統を遺してある賢所の中に、古事記と言霊に関する記録があったはずだ」とおっしゃり、調べたところその本が見つかった。

その中に書いてある、私が先程申し上げました「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神・・・」連続してズーッと五十の神様が出てまいります。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月10日

言霊 布斗麻邇講座・言の葉の誠の道

コトタマの原理を修得された方が、すればこういうことが分かってくるのですよ。その中に証明が出来上がってきます。二千年の間、そういう時代が来ることを待望しながら、各宗教は救世主の出現、仏陀の下生を望みとして生かしながら、それが何時かの憧れを持ちながら今まで来たわけです。

物質科学文明の最後の研究として先天、先験の部分、物質の核の中に研究のメスが入ったのが、ちょうど今から百年ちょっと前。キュウリー婦人を筆頭に物質の先験部分にメスを入れました。

けっして見ることは出来ないけれど、其処に何かがあると知って研究が起こってきたのが、だいたいヨーロッパです。その時の日本はあずかり知らずことですが、ですが不思議なことに物質科学文明が物質の核内の研究に入ったことに呼応して、日本の宮中ではまったく正反対の人間の心の先験部分の研究にメスを入れようとする運動が起こったのです。

明治天皇と昭憲皇后によるコトタマ復活の運動が始まりました。だいたい今から百年前になります。コトタマに関する明治天皇の御製、昭憲皇太后のお歌にはたくさん遺っております。ただし、コトタマの学問とは言わずに「言の葉の誠の道」を指しております。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月09日

言霊 布斗麻邇講座・神様として奉られた言霊の原理

神倭王朝の十代崇神天皇の時にコトタマの原理を隠して、それも単に隠すのではなくて、コトタマの原理を神として、伊勢神宮に奉ってしまう形で実体を隠してしまい、宮中における行事も、神社における祝詞も、民間に伝わっている五大お伽話(桃太郎・舌切雀・かちかち山・さるかに合戦・花咲爺)も、みんな意味が分からないようにしたことも承知の上のことでした。

ただし、隠しましたが物質科学文明が勢いをつけますと、それこそ人間は人が変わった如くに凶暴になってしまう、すごい世の中になってしまう、それに対処して精神を和ますための一つの方策として、儒教、仏教、キリスト教、マホメット教、日本では神社神道、荒々しくなった世の中に少しでも潤いを与えるよう世界各地に宗教を立てました。

と同時に、コトタマの原理が復活してきた時には信仰がお手伝いをするだろう、それを見込んで五大宗教が世界に広まったのでございます。仏教の祖、お釈迦様も、儒教の祖、孟子・孔子も、易経の祖も、皆日本に来て、その命令を受けて帰った方たちです。

そんなことが本当に有り得るか、もし、このことを知って、日本の国のみならず、コトタマの原理を基にして政治を行うことが出来る人がいるとしたら、今の世の中でも必ずお弟子さんが集まることは確実でございますから、そういう史実をどういう所で見せるか。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月08日

言霊 布斗麻邇講座・復言

「かえりごと」と申しますのは現代の言葉で「報告」という意味ですから何か命令を授からなければ報告にはなりませんので。どういう命令で、どんな時に受け取るのか。

明治以後のこのコトタマの原理の復活についての概要を説明しまして、どういう所でどういう転機があって、それを今、どういうように受け止めて、何処まで研究が進んでいるかの話をしていきます。

昔、何回もお話ししましたことですが、まとめて一つの期ごととしてのお話しにさせていただきます。

ご存知の通り、このコトタマの原理によって、全世界が第一世界精神文明として栄えたのがだいたい五千年位続きまして、それに続く第二物質科学文明に移るある時機に、外国は既に物質科学文明に移っておりましたが、精神文明の中心地の日本においても物質文明へ巻き込まれる時機が来ましたのが今からだいたい二千年前。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月07日

言霊 布斗麻邇講座・どう見てもお天狗さんにしか見えない

私は若い時から信仰の生活が好きで、何か素晴らしい境地を求めてここの行者になった。今は七十過ぎて昔のようなことは出来なくなった。昔は中社から登って一日三回登り降り、頂上でお経を唱え、暮らしたもんだ、雨が降ろうが、雪が降ろうが、欠かすこと無く月三回、この歳になって三回はきつくなって月二回にしてもらっている。

どう見てもお天狗さんにしか見えない、役行者ってこんな人だったと思うほど、十分くらい話したら「さて、行こうかな」と一緒に下りましたが、パッといなくなってしまいました。

その速いこと!ものすごい速さ、月三回も登り降りしてますから、いくら七十を過ぎていても脚の衰えはないでしょうから。私もその時は脚に自信があったのですが、「とてもこれじゃ、殺されちゃう」と思って競争しませんでした。

コトタマは時を経て、千三百年も経ていても、未だそういう人間が残っているんだなとつくづく考えました。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4了)

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2018年10月06日

言霊 布斗麻邇講座・生まれ変わり?

役行者さんが昔、ここに「ト」の石土毘古の神を奉った時に、そこに居た人を選んで「十亀」という名前を授け「そこの神主さんになれよ」と言われたのではないかと思われます。想像だけですけど。

後日談ですが、家に帰ってからあまりに珍しいので、社務所の神主さん宛に、その時は住所が分かりませんから、JR岩鎚神社駅傍の岩土神社神主様へ、「十亀」の由来を書いて、「言霊」という本を添えて送ってあげた。

そうしましたら、十亀という名の神主さんから丁寧なお礼状と同時に本の代金を頂いて、当神社は若い行者を育てる所でもあるので、その教育のためにこの本を使わせていただきます。それから何年間か会報を送って差し上げた記憶がございます。

登山とお参りが終わって途中まで下った所にヒョイと見ましたら材木が積んであって、そこに大男が白装束で頭に被り物をしている、大きいんですよ、色が真っ黒で。役行者がいるのかなと思うほど、生きているのかな、と見紛うほど。面白いなと思って話しかけた、材木が積んである所に坐って。色んな話をしましたが、

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月05日

言霊 布斗麻邇講座・十亀

石鎚山は四国で一番高い山、四国は横幅が大きく奥行きは狭いですが、天気が良いと下に瀬戸内海、中国地方の日本海まで見える、南は太平洋が見える、三つの海が見えると山小屋の管理人が言ってました。

春は霞がかかって瀬戸内海しか見えない、その代わり西の方の雲海を隔てて阿蘇山が突き出ているのが見える。それでヒョイと頂上の上社、風で吹き飛ばされないよう岩で造られています。そこをよーく見ましたら「石鎚神社上社、神主某これを記す」と書いてある。

それで驚いた、「ト」を奉った神社の神主さんの名前が「十亀」ってどういうわけだ、これは奇妙奇天烈と後から調べましたら、「亀」は文字を彫った粘土板の鏡を「亀」と申します。そうすると、亀がコトタマになる。十というコトタマの名字を持った神主さんが「ト」を奉った神主におさまっている。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月04日

言霊 布斗麻邇講座・必死で登った

何処かに道があるんじゃない?って、家内が言うんです。探したけれど見当たらない。必死で登りました70m、手で登った、足でなくて。やっと頂上に辿り着きましたら、なんともない広場がある。

そこから又、鎖が下っていまして、覗き込みますと、その鎖は岩が突き出てるもので4mくらい先に下りないとどれ位の高さがあるか分からない。さぁ、困った、家内に「戻ろうか?」と言いましたら、

バカ言ってんじゃない、又、あの70mを降りなきゃなんない、「死んじゃう」、それじゃ、僕が4mの所まで降ってどうなっているか探ってくるから。駄目ならあんたを背負って70m降るから安心してなさい、「安心しろ」って言ったら余計心配したみたいですが。笑

降って行きますと、何の事はない、大きな岩が突き出ていて5mくらい先は地面。大丈夫だから「行こう」ということになって。下の道が雑草で隠れていて見えなかっただけ。さすがに二千メートル近い山ですから、家内は二三日手が全然動かなかった。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月03日

言霊 布斗麻邇講座・石鎚山

百名山のある山は十回も登りました。私も家内も山男の体つきになりまして、何処を登ってもフーフー言わなくなって健脚になりました。それで石鎚山へ行こうか、それが目的ではなかったのですが、フルムーンの特典を利用して四国に行った時に石鎚山へも登ろうということになった。

5月の終わり頃で気候も良くて、でも、日本山岳会に石鎚山の地図が何処を探してもない、新聞に載っていた地図を持って行ったのはいいですが、それが運の尽きで色んなことが起こったのですが。

瀬戸内海の海岸が近い町からバスで一時間二十分くらい乗って中社まで。そこが登山の登り口で三時間くらいかかりましたか。千九百七十m、四国では一番高い山、5月でしたが山頂辺りは雪だらけでとても危険な所もございました。

修験者の岩場みたいな70メートルの絶壁で、急傾斜の足場が着く場所がほとんどない。鎖があるのですが手だけで体を持ち上げる。「行けるかな、」行かなければ石鎚山に行けないのですから。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月02日

言霊 布斗麻邇講座・神社巡り

役小角とも申しますが日本全国を歩いて、五十音を神様として奉る役を果たした方。五十音の神様のほとんどを役行者が奉った。有名なのは長野市の北にある戸隠神社。木曽の御岳さん、あれも確かそうです。

役小角さんは大男で、奈良県の吉野に大きな像が立っています。私が未だ六十歳にならない時、未だ健脚で山男と言われていた時、家内と山登りを始めたのは五十歳を過ぎた頃、私の家内が貧血で何をしても治らない。

それなら大自然の中でいい空気をウンと吸ってへこたれるまで歩いて、ナニクソという気を起こさせれば治るに違いないと思って、五十過ぎてからおだてあげまして「君なら何処へ行っても大丈夫だ」って。

家内はそれまで上野の山しか登ったことがなくて「じゃ、行ってみようかな」と言ったものですから、始めは奥多摩の低い山から、五十から六十八歳まで、日本百名山の三分の一を登りました。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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