2018年04月15日

言霊 布斗麻邇講座・見る必要がなくなると見なくなる

誰でも見ている光なのですから、見たからと言って貴方は威張ることはない。また、大変なことでもない。当たり前のことを見たのですから当たり前だと思って、何時でもその光を自覚できる人になって下さい。

貴方が一歩、その自覚を得るために、コトタマ学の勉強を始めると同時に決して見なくなります。見る必要がなくなるから見なくなる。

と同時に、どうしてこんなことが起こるんですか?こんな綺麗なものを私に見せてくれたんでしょう?と質問しましたら、先生は「ハハハ」と笑われて。

それは貴方ご自分で分かるでしょう、貴方くらい強情はいないよ、貴方くらい怠け者もいない。一年も二年も何も働かずに作業場に篭って座禅するなんてことは実に贅沢、そういう人はあまりいませんよ。第一、貴方は煩悩至極で、もう煩悩が多くて困っているでしょう、・・・それはそうだと思って。

つづき
posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月14日

言霊 布斗麻邇講座・光の正体

「帰れ!」と言われるかなと思いましたけど、ノコノコと出てきまして、私の顔をジーっと見て「あっ、島田さん、見たね、あなた、光を見たでしょう。」光なのかどうか、奇妙なものを見ました。たまげてしまったので先生に説明してもらおうと思って。

「お上がんなさい」と奥に入れてもらって懇切に説明して下さいました。
阿弥陀経に「青色青光、白色白光、黄色黄光、赤色赤光、緑色緑光。青い色は青い光、赤い色は赤い光なんだ、人間社会というものは本当の真実、実相の世界は光の世界」で、自我の強い人間はそこにあったものを向こうから来る光だと思っている。

「如来」は来るが如し、みんな来るように思っている、そうじゃない、貴方が質問を放射して光が入ってくる。世の中は本当はそのように出来ている。貴方が本当の光を見させていただいたのは良い記念ですから覚えておいて下さい。

その後、色んなことを教えて下さった。誰でも見ていること。赤ちゃんがまだ視力を持たない時にトロンと見ている時があるでしょう、あれはその光を見ている。赤ちゃんが成長するにつれ「自我」が出てきて見えなくなってしまうのです。本当はその光の中で生活しているのが人間です。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月13日

言霊 布斗麻邇講座・人間同士他人はいない

何か皆が兄弟のような、親類のような、何だか知っている人のように「生きていて良かったね」、「私もお陰様で生きていますよ」の気持ちで「お晩です」、「お晩です」と2kmくらいの道を帰りました。

家に帰っても何だかポカポカポカポカして温かくて、禅の本を出して読みましたらちょうどその所に「我と汝同根、之奇特なり」という言葉が出てきたのでございます。どういうことか、貴方と私は根っこで繋がっているんだ、何て有り難いじゃないか。人間同士他人はいない。

お腹のあたりがポカポカポカポカして。そんな経験は夢にも思わない経験ですから、あのオッサンに「来なさんな」とは言われましたけど、他に聞く手立てがない、厳しい先生でしたからまた門前払いされるかもしれない。

言われようが、何をされようが、こんなことが二度あるとたまったもんじゃない、翌朝の一番の列車に乗りまして、当時、先生は渋谷の幡ヶ谷という所にお住まいでしたから、玄関を開けまして「こんにちは、島田です!」

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月12日

言霊 布斗麻邇講座・何だか有り難いような、あったかい気分

和やかな光で全然眩しくない。アー、すごいことが起こってしまった、そうとしか考えようがないですから。その内、一番驚いたのが、手をかざしましたら、下の俺も手をかざしている、透き通って向こうが見える。

それでいてキラキラキラキラ煌めいて、25分くらい続いたのでしょうか。何時始まったのか、時計を見ていなかったので、長さの感じで20〜25分くらい、いつの間にかフッと自分の体の中に帰った元の木阿弥。

ただ、夢じゃないということをよく知っていますから、どうしてこんなことが起こるのか、お腹の辺りからポカポカポカポカして、夕方に暗くなるまでまんじりともせず、何だか有り難いような、あったかい気分で。

暗くなって家に帰るのに堤防の上を歩いていますと、農家の方も荷車引きながら野良から帰る途中に出会って。今までは「お晩です」と声かけられて「お晩です」と返していましたが。私の方から「お晩です」と会う人、会う人に声かけました。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

言霊 布斗麻邇講座・これは夢じゃない、現実なんだ

あれ、あれ、どういうことになるんだろう、何と、何と、この目線が、昔、私は視線と申しましたが、ドンドン真っ直ぐ上に上っていった。体は今いた所にいると分かっておりましたけど、目線だけが上へ行って、とうとう気が触れたのかなと思った。

数百メートル位の上空、素晴らしい景色が広がって、鬼怒川が北から南へ平野の中に真っ直ぐ流れていて、それでいて周りの田んぼ、小高い丘、森がキラキラ輝いて見える。下流の方はそれこそ10キロも20キロも見渡せる。

下を見ましたら河川敷に変なのが座っていて、よくよくこう 見れば「何だ!俺か!」、座っているのが見える。あそこに座っているのが見えるということは、これは夢じゃないんだな。

顔を叩いてみた、同じように下の座っている俺も顔を叩いている。これは夢じゃない、現実なんだ、さらに世界が一変してしまった。私の周りの世界がキラキラとして砂粒のような細かーい光の粒が音も立てずに渦巻いている。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月10日

言霊 布斗麻邇講座・諦めたら起ったこと

「理論的にお分かりになるまではお話ししますが、それ以後は貴方の責任です」と言われた言葉を思い出した。それから私はもともといた茨城県の下妻に帰りまして、道隣は鬼怒川という大きな川が流れております。

その鬼怒川の河川敷で、それまでは森の方にいましたが、ところが春になりますと蚊が出てきて、とても座禅を組む環境ではなかったので、そこで、誰も教えてくれませんでしたが、座禅らしきものを「人間って何だ」を禅の無門関という本を座右の書にして勉強しておりました。

半年ほどしましたら、どうしたらいいか分からなくなった。そろそろ絶望感が顔を出してきた。こんなことをしても私には才能がなくて、とてもとても空即是色、色即是空なんて分からない。こういうことをしても私にはダメだから諦めた方が良いのかなと思い出した。

その時に、思いがけないようなことが起こってしまった。座りながら「空って何だ」、「自分とは何だろう」、空は「そら」とも言いますから、頭の上の空とは違うのだろうなと考えていたら、突然、この鳩尾を下の方から大きな棒で突き上げられるような感じが、ウォーッウォーッとなるんです。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月09日

言霊 布斗麻邇講座・明日からもう来ないでいいですよ

ということから聞いて勉強する他なかったですからせっせと通って勉強させて頂きました。本として形になったのは「古事記解義・言霊百神」昭和44年かそこらでした。私の年齢と昭和の年代と同じなので、昭和44年は私が44歳の時でしたから、東洋出版社から、言霊の本といたしましては初めてでした。

他に言霊の本はありましたけど、純粋にコトタマの学問を説いたのは先生が初めてでした。そういう約束の下に先生の所へ通わせていただきました。それから何年か経っていつもの通り先生の所へ行って夕方になりましたから「これで失礼します。又参りますのでよろしくお願いします。」

玄関先で靴紐を結んでおりましたら、先生が「時に島田さん、明日からもう来ないでいいですよ」と言われて、ギクッとして、まさか本気ではなかろうと思って。先生は後ろ向いて本を読んでしまって、取り付く島もないとはあのことです。

「どうしてですか?」と聞いても、後ろを向いてしまわれていますから、モヤモヤした気持ちで帰りの電車に乗って「どうして先生はあのようなことを言われたのか」、そうしましたら家へ帰る前に思い出した。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

言霊 布斗麻邇講座・理論で分かったなら後は自分の責任

私は宗教のことを勉強したことはありますが、宗教に入ってどうこうしたことはございませんとお答えしました。そうしましたら「このコトタマの学問は心の学問です」。それは「宗教の経験がなくて」ということはウ(欲望)とオ(理論)、私がこの学問を習ってから分かったことですが、先生の言葉を解釈しますと、

ウとオの段階を経て、あたたかく包んで下さっている愛の世界。又、その中にある「どうしたら生きていけるか」、「どうしたら人間らしい生活ができるか」という智慧の次元を説いているのがコトタマの学問ですから、宗教的な意味合いを知らないと貴方は理屈だけで私の話を聞くことになります。

ということから「理屈だけならここでお話しいたします。理屈でもって貴方にお話ししたら後は私の責任ではございません。貴方の責任です、それをご承知の上であれば、貴方が理論の上でお分かりになるまではお導きいたします。それでよろしいですか?」

それで結構でございますとお返事して、それから先生の所へせっせと通って、当時はコトタマに関する本が一冊もなかった。先生は貧乏でしたから自筆の会報の藁半紙も買えませんで。「貴方、藁半紙が残っていたら一枚でもいいから寄付して下さい」とよく言われました。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

言霊 布斗麻邇講座・宗教を卒業してから

人間は夜中の道を歩くのに月明かりや星光が必要だと思うだろう、しかし、そんなものを必要ないんだよ。小羊と申しますのは立っている判断力のこと、それさえあれば物事の全部が分かるんだよ。

太陽が照ったり、電灯の明かりは物質的な光ですが、宗教の光もしくは霊葉という光は、まったく別物ですから、そのことを覚えておいて下さいませ。

私が私の小笠原先生の所へお伺いしたのは昭和37年の秋くらいの頃だったと思います。今から四十五年近くなりますか。先生の所へ行って来てから、行かなくなった方の年月が多くなりました。私は今81歳で先生とお付き合いさせていただいてからの年月の方が多くなってきました。初めて先生へお伺いした時にこのようにおっしゃった。

「あなたは何か宗教を卒業なさっていらっしゃいましたか?」

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月06日

言霊 布斗麻邇講座・生来授かっている人間の判断力

生来授かっている人間の判断力。どういうことか、手燭を渡そうとした、お弟子さんがそれを受け取ろうとした時に、フッと灯火を消したということは、「こんなものが無くても生来のお前の判断力があれば真っ暗でも帰れるだろう。そのことをお前は悟りなさいよ」ということを表わしています。

その光、生来授かっている人間の判断力の光。人間は物心ついた頃から「自分」という光を投げかけて、そこから返ってくる答えから物事を判断する。

パッと見た瞬間に「あの人は何色の服を着ているのか?」その「何色」という質問の光を投げかけるから、あれは「赤」とか「黒」とかが返ってくる。一般的には見た瞬間に白だから白だろうと思っています。

そうではないのです、実際には。こちらから質問の光を投げかけて、相手がそれに答えるから返ってくるから分かってくる。と同時に答える方は、こちらの質問にしか答えない。「何色か?」と問えば「何色だ」と答えてくれる。「今日は暑いね」とは答えてこない。

そのことをキリスト教では重要な諺のように遺しております。
 日月の光を要せず、小羊灯火なればなり

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする