2017年03月27日

言霊 言霊学講話・相手ではなく自分を変える

「人を殺すなかれ」というのは真理です。どんなことがあったとしても人を殺すことはいけません。ですが、「打て!」と命令されて逆らえば、アメリカでは営倉に入れられて銃殺刑です。もしくはキャンプに送られて重労働を課せられる。

自分の持っている学問は一般全部には通用しない、ここからここまでという限界があるということを自分に言い聞かせなければなりません。その行為を禅では「無」と申します。

この考えは全般には通用しない部分的真理である、理論的な方は相手を批判する、だからぶつかり合う。自分の考えを「NO!」と否定して、相手ではなく自分を変える、これしか方法はない。

オの理論からアへ上げるには「NO!」、どんなに立派な理論であっても。でも、安心して下さい、「NO!」と否定してもその学問は消えてしまうわけではありません。人間は一度覚えたものは脳裏から消え去ることはありません。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月26日

言霊 言霊学講話・経験知を否定する

ウからアに行きますのには、ウを合理化するのがオの学問であると申し上げましたが、オの学問は「生命とはこういうものだから、こういうことをお遣りなさい」という学問じゃない。

こういう物を見た、ああいうものを見た、その関連を自分で考えた結果を発表する学問です。ですから、これがうまく行って最後の発想の段階へ行くのが理想です、「考える」語源は「神返る」です。

神に返るということは、「ああでも、こうでも」と自分の考えの中から、人間本来の頭の性能と一致するのが学問の理想です。けれど「神返る」までに至らない考えですから、自分に都合良くても、他人には都合が良くないことに成りかねない。

ですからアの段階へ行くには、私が経験した理論は、一般人総てに通用しないということを自分に言い聞かせる。全然違うということではなく一般的なこともたくさんございます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月25日

言霊 言霊学講話・ヒカリの言葉の並びとは

「ア・タカラハサナヤマ・ワ」の父韻の並びは、自分(ア)が相手(ワ)に接する時の人間の知性である印象を与える力動韻は「マ」で終わります、相手がどう反応するかは未知数です。(ア・タカラハサナヤ・ワ)

ところが、先ほどの「霊諸招」(ひもろぎ)と申しまして、総てを引き寄せて諸文化が活きるように、世界文明の一役を担うように、息吹を与えて、人類文明を創造していくスメラミコトの父韻の並びが「タカラハサナヤマ」では出来ません。

このヒカリについて書こうとしたら神懸りになって、書いている自分の意図がなくなり、こういうことを書こうとして書きだしたのに、分からなくなった、だけど書ける。変なことになってしまって、どういう文章が書けるのか自分で分からなくなった。

書き上がった文章を読み返しましたら、俺よりもいいや、こんなこともあるのか、不思議にも自分で全然気が付かなかったことが書いてある、誰が読んでも分かりやすいや。(笑)ご興味あれば会報の三月号をお読み下さい。

そうしましたら、自分が今までやってきたことが、そのままスーッとヒカリを説明する人生を今まで歩ませてもらったなという答えが書かれています。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月24日

言霊 言霊学講話・初地の仏

芸術家か宗教家はアの本生を自覚していないと「タカラハサナヤマ」の話し方は出来ません。けれど阿闍梨、阿羅漢の「初地の仏」は仏の位で言えば最下位です。では、何故「初地」なのか。仏陀でありながら本当の仏陀じゃない。それが「タカラハサナヤマ」の並びが表わしています。この言葉の並びは相手がどう思うか。

「ワ」というのは真正面に向い合って抱え込もうとする。その人を動かそうとする、相手がどういう経歴をしてどんな心を持っているかが分からない、アの位では分かりません。個人的には愛で臨みますと人の心はほぐれてくるものです。

愛の象徴として「右の頬を打たれたならば返って左の頬を打たせてこれを受けよ」、ビシャーっと打たれたら、さぞかし御手が痛かったことでございましょう、よろしければこちらも「どうぞ」、そう言われて打つ人はほとんどいません。

斬られようとしたら「どうぞ」、盗人にそれだけでは何ですから、こちらも「どうぞ」、というように宗教家には有りがちな行為です。自分よりも他人と思えば。でも、愛情は注いで大変だなと慮っても相手次第。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月23日

言霊 言霊学講話・アは世界語

それを千日間回峰しても無事に、最後の九日間は飲まず、食わず、横にならず、眠らず、これからにして人間業じゃない。医学的に言いますと六日間眠らないと死ぬといいます。それでいて生き延びた時、人間業ではないということで「阿闍梨」の位を授かる。

この苦行を自分がそんなことをしたとは思えない。にも、係わらず生きているのは、この自分は自分じゃない「阿闍梨」である、サンスクリット語でアを知った人という意味です。アは世界語です、阿弥陀、アーメン、宗教語にはアが付きます。

阿闍梨はキリスト教の用語では「アノインテッド」(Anointed)、日本語に訳しますと「油塗られし者、アの言葉(ぶ)を自由に使いこなす(ら)人、どんな人にも慈悲と愛の心で接することが出来る人。

takara.pngアの真髄を知っている人の職業は芸術家か宗教家です。この方の父韻の並び方は、自分が居て、他人が居て、どういう手順で話すことが出来るか。それは「タカラハサナヤマ」(宝音図)と並びます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月22日

言霊 言霊学講話・意識で捉えられる自分は現象に過ぎない

「あいつは変なセーターを着ている奴だ」と言われて会いに行ったら、水色のセーターを着ていた、だから「あいつ」じゃないとは言えません。俺という、私という者の真実は何かと言えば、現象にあるわけじゃなくて、そういう現象が出てくる本体が私です。

それでは、その本体って何だ、こうなりますと分からなくなる。色即是空、空即是色、色(しき)は「いろ」ではございません。目に映るもの、意識で捉えるもの総て。色で捉えられないもの、これが空(くう)。

意識で捉えるものに拘るから「アンチクショウ、コンチクショウ」ということになりますが、意識で捉えられない空(天名〔アナ〕)で捉えますと世界総人口共通です。変わるのは言葉に組まれたところから個性が出てくる。

本生の空は変わらない、その変わらない段階をアと申します。アを知った方とはそういう方です。千日回峰行をした方は道なき凸凹の山道を駆け足で駆け抜ける、千日間続けるのですから、その間にどこか怪我をしたら、そこで終わり。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月21日

言霊 言霊学講話・自我と真我

人間は過去をヨイショと受け止めてこれをどう処理するかを決めるのは現在。その現在を学問では分からないから過去だけを調べる。株屋がどうして株がわからないのか、経済学者がどうして株を買わないのか、わからないから。

じゃ、将来がわかるとはどういうことなのか。ウとオは因果、原因、結果ということです。こうするとこうなるよ、過去についての法則がそうなるよ、それがわかるのはアという段階でウとオというものがわかってきます。

そしてアの段階は仏教では「初地の仏」(しょちのほとけ)、「阿羅漢」(あらかん)、又は「辟支仏」(びゃくしぶつ)と申します。アを知っている人「阿闍梨」(あじゃり)、比叡山の千日回峰行を二回も行ったお坊さんは阿羅漢の位を授かった。

阿闍梨の位は明治時代以前では天皇の宮殿に草鞋を履いたまま上ることが出来た尊い位とされました。ただし、そのアの位に上りますと、お前は誰だい?「俺だよ、俺だよ」という自我と、本当の俺、私を、どこまでも突き詰めて行きます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月20日

言霊 言霊学講話・将来を決定するのは過去ではない

ウオアエイの人間の精神的な進化につきまして手短にお話を申し上げます。ウは欲望ですから何方でも持っています。「武士は食わねど高楊枝」というのは馬鹿、「食わねえぞ」なんて言っているほど欲しい。

その欲望がどのようにした合理的に達成できるかを考えるオの学問、経験知。オは尾、尻尾、勉強するには既に起こってしまったことを頭で思い返して、その思い返したことを関連付けて法則を作る。過ぎ去ったことはもう「ない」ことですから尾です、生命の玉の緒と申します。

ですから尾っぽの学問、今を考える学問ではございません。過去のものを頭に想起して、思い返して、その関連を調べるのが科学。科学は物ですから思い返した物を再現できます。

人間の他の精神的な学問は総て再現できません。歴史を再現することはできません。ですから歴史学は将来「こうなる」ということが言えない。将来を決定するのは過去ではありません。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月19日

言霊 言霊学講話・言霊によって作られた日本語

このヒカリで生かされているのに全部忘れてしまっている。そのヒカリで作られている日本語は素晴らしい言語です。その意味が分かってきたら、もう何て言いますか、手の舞い、足の踏み所を知らないほど一日々々の生活が真実の生活になってくるのです。

目の前の名前が全部真実だとわかったら、真実の大海を泳いでいるようなものです。だけど当の日本人がその真実性を忘れてしまっている。

名前の真実性が分かれば、ここのところで喧嘩しちゃいけないということが分かります。ここは本気で喧嘩しなくてはいけないところは喧嘩します。それが人間の生き様というものです。

ヒカリの中に生かされているのにそれを忘れてしまっている。その大本の生きているヒカリは言霊なんですよ、ということを知らないから日本語の素晴らしさもわからない。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月18日

言霊 言霊学講話・生まれてから具わっている性能

「霊駆り」と申しますのは言霊の動きそのものを謂います。言霊のことを何も知らない何方であってもそのヒカリで生かしていただいている。私がよく「大きな光で生かせていただいているのですよ」と申し上げますのは、この言霊のことを言っています。

ただし、人間の心はさっき申しましたようにウオアエイと進化いたします。全然進化しない人は、「ああしたい、こうしたい」で一生を終えます。世界人口の80%はそういう生活で人生を終わります。そのように終わったとしても立派な使命でございます。

各々の性能は、事象を分析し理論付ける物質科学を分担するオの段階。ウの欲望とオの理論では自分は承服できない、内から湧き出てくる感情を表現する作品を創っていきたいとする宗教家、音楽家、又は芸術家たちは、1+1=2という考え方をしないアの段階。これ等ウオアをコントロールするエの段階。

ではバラバラに動いているのかというと、ウオアエを下支えして働きかけているイの段階。このイの段階を説いているのが言霊の原理です。この原理が二千年間隠されていたということです。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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