2017年04月25日

言霊 言霊学講話・生まれた時に既に授かっている心の構造

それでは理屈の上で表と裏になるのではなくて、それを実際の生きた生命として人間が見ることが出来る瞬間があります。その瞬間の行を「禊祓」と申します。

伊耶那美命が黄泉国へ去り、一人になった伊耶那岐命は、五十音の整理運用の仕方の検討に入ります。この結果、初めて五十音で出来ている人間の心の構造は「こういうものなんだな」と最初の結論に達します。

この結論は人間が「オギャー」と生まれた時に既に授かっている心の構造を「天津菅麻音図」(あまつすがそおんず)と申します。清々しい衣、何の脚色、模様もない、大自然から授かった動物としての人間、何の文化活動をしていない時の人間。この音図は伊耶那岐命が持っている音図でもあります。

次に、この音図を基にして心とはどういう働きをするのか、どのように五十音を整理運用すれば人間の最高の心構えを得ることが出来るのだろうかという検討に入ります。最終的に「こうである」と検討がついた建御雷の男の神(たけみかづちのをのかみ)は最高の五十音図を手に入れます。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月24日

言霊 言霊学講話・生命とは何ぞや

人間の生命は心でも肉体でもございません。心と肉体が根源的な一つ、心と肉体を合わせたのでもない、合わせる前に既に一つだったもの。これが人間の生命でございます。

この「生命とは何ぞや」ということを人間が頭で考える時、考える側(主体)と同時に考えられる側(客体)に分離します、これを剖半と申します。人間の根源は宇宙ですから、その宇宙が分れることは宇宙剖半ということになります。

分れるから分かる、分けなければ、人間の頭脳というものは永遠に分からない。それが人間の思考の宿命です。だから分ける、永遠に分ける。では、又一つになるチャンスはないのか。

人間の心の最高真理、体乃至物の、これ以上ないという分析の結果に到達して、比べた時、初めてそれが手の表と裏として相似形にまとまります。これが古事記に書かれた言霊の原理の予言するところです。(伊耶那岐命と伊耶那美命の離婚宣言)


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月23日

言霊 言霊学講話・伊耶那岐命と伊耶那美命の離婚

 ここで古事記のお浚いをします。
初めに伊邪那岐の神(母音・イ)と伊耶那美命の神(半母音・ヰ)が協同して四十八(ウとンを除く)の言霊を生みます。(子生み)

生み終わった時に、古事記は人間の生命の根源であります言霊を出産として、男女の結婚交合に絡めて説いています。伊耶那岐命と伊耶那美命の神様が結婚して最終的に五十の言霊が揃います。

人間の心を細分化し最終的にこれ以上分けることが出来ない心の要素五十音を発見し、私達が小学校で習う五十音の単音一つ々々を結び付けて、心の最終単位要素であると同時に言葉の最終要素でもあるもの、心と言葉の最終要素として「言霊」と名付けました。その五十の言霊で人間の心は構成されています。

五十の要素を生み終えた身体の用をなした伊耶那美命は、五十の言霊の要素がある存在する高天原(主観:純精神世界)から体の領域である黄泉国(客観:物質世界)へ去ってしまいます。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月22日

言霊 言霊学講話・ヒシリ

私達日本人の先祖はその行法をイの段階にコンパクトに凝縮して自覚を得た人達のことを「霊知り」、霊(ヒ)は言霊のことを謂います。

言霊イを知った人をヒシリ(霊知り)と申します。聖の漢字は耳と口と王と書きます、耳と口で言葉そのものを総て知れば、人類そのものを知るということになります。

インターネットから世界中のことが分かる時代がいよいよ来て、何処にいても世界の動向は少なくとも何十分後には知られる科学の完成の時に、改めてそれを心でやる時代。

その科学を応用し、平和で豊かな世界を創る時代が二千年のブランクを経てここに言霊フトマニが復活してきました。人類とは?「これ」と指差す自分の心の中だけで解決してしまう。他人がどうこうとは言わない。

禊祓と申しますのは、神社神道がやっている水を浴びたり、滝に打たれたりして自らの煩悩から解脱し、又は色んな邪気を祓ったりする行ではございません。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02了)

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2017年04月21日

言霊 言霊学講話・我とは人類、人類とは我なり

ということは表現すれば分かる、どういうように八父韻を配列したら、今まで経験してきた悩みの世界を平和な豊かな人間社会にする智慧がここから出て来るということが分かります。

最後にエとイの心の領域に進んだ時に、偉ぶっているのではなくただ心の中に自然に自覚される。人類というのはどういう生物なんだい?と訊かれたら、自らを指す。(伊耶那岐の大神)

「人とは何ぞや」を知り尽くした段階が今。この五十音を全部知れば(建御雷の男の神)、それが人間の何たるかを知る、だからこれ以外に人はいない。世界総人口62億人とも言われていますが、皆さん一人々々が人類です。

「人類をどうすべきか」はイを自覚した人が「俺ならどうする」と言うのと同じ。「我とは人類、人類とは我なり」を知った段階で世の中を観たら、どういうことになるのかなが禊祓の行です。世にもユニーク「そんなことで良いのかね」と言うくらい。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02)

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2017年04月20日

言霊 言霊学講話・分からないことが分かった

最後に「お前どうだね?」と在家の修行者である維摩居士(ゆいまこじ)に答えを促した。維摩居士は坐ったまま黙っている、お釈迦様はそれを見て「うん」と言った。

「空」というものは本来わかるべきで「ない」、分かったとしても表現しようがない。言葉を絶するから「アー」と言います。言葉で説明するなら「アー」とは言いません。言葉で説明できないから「アー」と感嘆詞になる。

アの上にあるエとイは「空」の向こう側にあると宗教家は説きます。そうではありません、その「空」の内容。「空」のアにあってエとイの人間の才能として授かっています。

言霊の原理で言いますとエとイの修行段階に入った時に初めて八つの父韻で示される人間の性能が自分の何であるかが分かります。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02)

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2017年04月19日

言霊 言霊学講話・言葉では表現できない

阿字本不生と言って表現を超える。禅坊主が「空」を説明しようとすると、川へ走り出して自分の耳を洗い出した。何故なら穢らわしい、表現出来たらそれはもう知恵、知識、来る(如来)というのは表現できない。

そこから知識が出て来るものですが、そのもの自体は表現出来ない、言葉を絶する。その宇宙の向こうにあるものなんて有り得ない。「空」を説明する本はたくさんございます。ドクターSという方は分厚い本にして文化勲章をもらった。

親切丁寧に書いてらっしゃる、その苦心たるや頭が下がりますが、書けば書くほど分からない。維摩経には「真実とは、空とは、何ぞや」と並み居る菩薩達が「ああだ、こうだ」と語りだした。

仏教に有名な言葉で「維摩の一黙、雷の如し」、聞いていたお釈迦様は「うん」と言わない、「そうだ」と言わない。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02)

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2017年04月18日

言霊 言霊学講話・何故山に登るのか?

分からないから神であって、分かったら神じゃない。分かったら人間じゃない、人間の形をしながら動物的なことをやってしまう。テレビに映しながら、写真に撮りながら、人の首を斬ってしまう。

エベレストに初めて登頂したヒラリーは「何故山に登るのか?」と問われ、「そこに山があるからだ」と答えた。これはアの境地から言える良い言葉です。

けれど、「お前が殺したからお前の子孫を殺す」と人殺しをしたら、これは何千年、何万年経っても終わりません。鼻先の餌を追い走る犬と同じです、これと同じことを人間がやっている。

アは宇宙です、宇宙の向こうへは行けない、アの向こうに何かがあるかもしれないと考えるのは幻想です。宇宙の向こうに何かがあるとすれば、それも宇宙です。宇宙の先験的な成り様なのです。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02)

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2017年04月17日

言霊 言霊学講話・仏とは何ぞや

仏様と自分が同体なんだ、同じなんだとわかる、仏様が自分の中にいるということがわかる。それが分かれば、もう自由、仏様が言うがまま暮すことが、人間として最高の営みなんだということが分かる、それが千日回峰の修行です。

それは阿弥陀様というお母様、それ以上の修行はいかなる宗教でも不可能です。なので仏教は阿闍梨の生涯に入ってから、人を救う菩薩行を何千年、何万年とすることによって「初めて仏となり得る」と約束されている。そのように法華経には書いてございます。

どういう修行をして、どういうことを悟ったら、どういう仏になるかは、如何なる経文にも書いています。だから私が申し上げますように、仏教は仏が説いた教えなのであって「仏とは何ぞや」という教えを説いたわけではないのです。

だから仏とは何かは分からない、天にまします父なる神が何なのか分からない。今の宗教界は何であるか分かったら困るから分からない。今の宗教家の前で言霊を説きますと大概怒り出します。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02)

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2017年04月16日

言霊 言霊学講話・悟りの意味

このアという境地、何事にも束縛されない、人に迷惑もかけない、自由自在な立場に立った時、エとイへどうして行けないのか。千日回峰行をしたお坊さんが二回も行った、あんなに苦しい行を二回する必要が何処にあるのか。

それは「お前がした行はこういう意味があって、結果こういう魂の位まで上ったんだよ、だから今後することはこうやればいいよ」と教える方が誰もいない。何しろ常人では考えられない苦行ですから。

道なき道を一日20kmから50km歩く行を重ねて千日間、最後の九日間は飲まず食わず、横にならず、お経を唱え続ける、何一つとして私なんかに出来る行ではございません。普通断食する人は水だけは飲みます。

このような苦行をして生き延びたら、悟らない人はいない、何故なら大概の人は死んでしまう。なのに、やり遂げて死ななかった、すると、人の力では絶対に助からないことが助かったということは「仏様が自分に付いていてくれていたんだ」ということが分かる。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02)

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