2017年10月23日

言霊 布斗麻邇講座・架空人物とされていた墓

そのお墓の造り方が尋常でないので届け出ました。そうしましたら素晴らしい千三百年持ちこたえた造りが、穴を掘りまして、木炭を敷き、木造のお棺を置かれておりました。日本が土葬でなく火葬になった始まりだそうです。

太安万侶さんは火葬で葬られたそうです、ですから着装していた真珠の首飾りが出て来たと説明されておりました。その棺の蓋を閉めて四方上下と木炭の層、粘土、砂を重ねて、それから石、土を重ねた。

そのように丹念なお墓でしたから千三百年を持ちこたえたのだと思います。でも、それだけでは太安万侶さんのお墓だとは分かりません。太安万侶さんは今まで歴史学者の間では架空人物とされておりました。

何故、架空人物とされたか、古事記の由緒書のところに官位と名前が書いてございますが、天皇から「古事記を編纂しろ」という命令を受けて数ヶ月で太安万侶さんは完成したという驚きですが、その由緒書にある官位と名前の書き方が、官位は書かれているが何処に務めていたかが書いていない、だから「偽」だと。

ところが、お棺の下から銅板が出てきました。その銅板は99%の純度の板に炭で「太安万侶の墓」と墓誌が書かれておりましたから、太安万侶のお墓だと判明した。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月22日

言霊 布斗麻邇講座・造化三神

「天地の初発の時(アメツチノハジメノトキ)、高天原に成りませる神の名(みな)は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)、この三柱の神は独神(ヒトリガミ)になりまして身(ミミ)を隠したまひき」

古事記の冒頭の文章の「三人の神様が出てきた」、それだけのことですが、何ら難しいことはございません。それではコトタマの原理は出て来ない、何を言おうとしていたのか。太安万侶さんの言葉を勘ぐらなければなりません。

勘ぐるために今から十数年前に家内と一緒に奈良の若草山、奈良市内から見ると若草山の向こう側「田原」という所は何にもない農村地帯ですが、ここの茶畑に太安万侶さんの墓が昭和五十四年に発見された。

二重円形の墓で取り出された時は茶畑の持ち主である農家の方が、茶は若木の時に植え替えるそうです。それで若木が育ったので植え替えようとして畑を耕していたら、変なものに当って掘り返してみたら、見事な円形のお墓が出てきた。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月21日

言霊 布斗麻邇講座・心と物とが車の両輪となり新しい文明社会を創る

これ以上、物質文明の開発を遮二無二進めようとするならば、人類は絶滅の危機にさらされてしまいます。そこで第一精神文明と第二物質科学文明とが車の両輪として、どういうような社会を創っていけば良いのか。

その時に古事記の「禊祓」というコトタマ布斗麻邇の真理が光輝き出すということになります。第六章の「禊祓」が何処からそのような順序になるかは、これからの課題でございます。

第一章から第六章まで伊耶那岐命と伊耶那美命の愛と絆と葛藤の物語としてコトタマを解く。もう一つは理論として「禊祓」という大業の後に、天照大神、月読命、須佐之男の命の三柱の神様として結論を得るまでを理論的に解かれている両面から、流れるような筆でもって説かれております。

たった12頁ですが、人類の生命を左右する大きな問題を解いているコトタマ布斗麻邇を、その何分の一かでもお伝え出来れば幸いでございます。こういうことを前提に「天地の初発の時」の本文に入らせていただきます。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月20日

言霊 布斗麻邇講座・総てそのままの姿で家の中に持ち込む

人間という思想を確立した方が、自分の中にある五十音の構造を基に外国から押し寄せてくる物質的な色んなアイデアを人類全体の家族の発想として、良い、悪いで判断するのではなくて、総てそのままの姿で家の中に持ち込む。

しかも、コトタマの光を当てて、言葉として全部吸収した上で、人類の歴史を形作っていく。その作業を「禊祓」と申します。これから時が来て、人類がコトタマ布斗麻邇に気がついて世界連邦政府を創りうる時に、中心課題となるのは「禊祓」です。

どういうことが「禊祓」で行われたかと申しますと、高天原の中にいる自分は自分であると、そういう精神である。物質というものを取り扱っている黄泉国の外国の人々の考え方は、自分の体である、精神と体が一体となった自分として受け入れて、その自分がどういうことをやるべきかを「禊祓」という方法で治めていく。

そういうことから人類文明を創造していく。今から三千年前に人類の第一精神文明は終わり、至る現在、物質文明は完全ではありませんが基礎は作られたと見て良いと思います。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月19日

言霊 布斗麻邇講座・二道

精神的な原理はコトタマの原理で完成されております。これ以上突き進むことは人間が人間である限り出来ないと思います。物質の研究はこれから限りなく進んでまいりますから、どういうことが起こるか分かりません。

まず、コークスという観念が出来まして、それが16だとすると、コトタマの先天構造が17、伊耶那岐命と伊耶那美命は一つになって伊耶那岐の大神となりますから16、そこで全然、相容れないもの同士ではあるけれど、16という数でもって出合うことになりますが、同じものではなく(二道)、正反対のものとして出合うことが証明されます。

そのようなことから伊耶那岐命は高天原へ帰りまして、伊耶那美命の黄泉国の性質を、十拳剣でもって尻手に振って十分に分かりましたので、今度は伊耶那岐の大神となり、細君の伊耶那美の大神の心の構造を全責任において取りまとめ、精神と物質共に人類文明を創っていくためには「どうしたら良いのか」ということを理論的に証明して検討していく段階になります。

この段階の作業を「禊祓」と申します、今の神社神道では瀧を浴びたり、水の中に入ったりするのを「禊」、あるいは「祓」と言って、自分の心の清めと考えられておりますが、古神道、コトタマ布斗麻邇とはそういうものではありません。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月18日

言霊 布斗麻邇講座・結界

現代の学者がやりたくてしようがない、生命と物質とは根本的には一つの道理になるに違いないとして、証明したくてしようがない、でも、そうはならない、突き放してしまった。

昔の人がどうしてこのことが分かったのかは分かりませんが、結論が出ている、それが第五章の「黄泉国」の物語でございます。

次に高天原に帰ってきました伊耶那岐命は伊耶那美命達(物質的な研究をする人達)は絶対に此処から高天原へは入れないよと言って「言戸の渡し」である言葉の関所を設けてしまいましたから、純精神的なものの考え方でないと高天原へは入れないようにした。

四隅にしめ縄を張って(結界)中に神主が入り幣を振ります、こっちからは魔物が入らないように。これは言戸の渡しを今の神社神道が使ったのです。

もっと古神道ではコトタマの原理は鎮魂の魔物というのではなくて、心と物ということに関して厳格な区別をつけたのでございます。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月17日

言霊 布斗麻邇講座・離婚宣言

千三百年前に太安万侶さんは「究極の心理学と物理学とは永遠に一つにはならないよ」と宣言してしまった。ところが、今の学者さんは「一つ」を証明したくて、頭の良い人ほどやりたい。

でも、そうはならない、そのために「言戸の渡し」と言って離婚宣言をするのです。言葉の戸を渡す、言葉が通用しないように正反対になっているということでございます。

伊勢神宮に伝わる古歌がございまして「神路山深く辿れば二道に千木の片削ぎ出合いなまし」。千木というのはご存知ですね、神社の屋根に付いてます。

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千木は内削ぎと外削ぎがあります、神路山と申しますのは伊勢神宮の裏にある山。ズーッと深くコトタマを深く辿っていきますと、心理学の演繹法(内削ぎ)と物質科学の帰納法(外削ぎ)は二道で出合う、一つにはならない、伊勢神宮に神様としてお祀りしている時から、古歌として遺っている。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月16日

言霊 布斗麻邇講座・分かれるから分かる

心と体に分けましたから調べられる。又、この宇宙を精神と物質に分けた、それでも調べられる。何千年とかけて分けまして、心の全容の最終要素はコトタマだと分かった。物質は人間の体として調べたら遺伝子のDNAが最終局面の真理だと。

又は、物質界の最終要素はコークスであると原子物理学で調べれば「一つ」である同じものを、内に調べていったことと外に調べていったこととが同じ結論として出るだろうと誰しもが思う。

私が三十代の頃、そういう学問を一生懸命勉強しました、何とか一緒(一つ)にしたいから。そういう世間というものは狭い。「俺もやっているんだ」とおっしゃる方がいっぱいいらして。よく喋ったものです。

願望として、同じものを分けて逆の方向へズーッと行って、これ以上調べられない究極のところまで極めて、心はコトタマ、物はコークス、一つになった時にピタッと合うか。

こんなことを言ったところで、物理学者や遺伝子学者はせせら笑うかもしれませんが、でも、皆さん、そう考える他ないのです。そうしますと、千三百年前の太安万侶さんには一つにならないことが分かっていた。だから「言戸の渡し」と書いた、一枚となら掌の表と裏にはなる。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2了)

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2017年10月15日

言霊 布斗麻邇講座・永遠の離婚

なかなか、とっ捕まれないので伊耶那美命自身が追っかけてきます。とうとう此処から先は黄泉国、此処から向こうは高天原の境に置かれた「道引きの石」(ちびきのいは)、字を調べるのを字引と申します、道を調べますから道引き。

高天原と黄泉国との間に置かれた道引きの石を挟んで伊耶那岐命と伊耶那美命は相対峙いたします。伊耶那岐命はコトタマの精神的な要素で調べる方法と、物質科学のような物質を調べる方法は、まったく性質を異にして正反対の考え方であって、これはどんなに物質世界が完成に近づいても同じになることは有り得ない。

ということから伊耶那岐命と伊耶那美命は「道引きの石」を挟んで離婚宣言(言戸の渡し)をいたします。一年経ったら又仲良くしようね、というような生易しいものじゃない、人類の頭脳上の離婚ですから永遠の離婚。

物事は一つの生命ですから、一つです。ところが人間はその一つの「生命」を調べることは出来ない。生命は人間の思考の対象外、だから尊いとも言える。生命を調べるために分けた。分けなければ分からない、どのように分けたか、心と体に分けた。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月14日

言霊 布斗麻邇講座・尻手に振りながら逃げ帰る

そうしますと、伊耶那美命は「見てくれるな」と言ったのに見てしまい、そんな蔑んだことを考えるのは不届きだと、首っ玉を捕まえてでも私が黄泉国を完成させるまで高天原へは帰らせないと、色んな手下を使って追っかけてきます。

捕まっては大変だと伊耶那岐命はただ逃げ帰るのではなくて良いことをして逃げ帰ります。

剣(判断力)は柄の方を持つのが正常な使い方ですが、刃の方を持って柄の方を「尻手」に振って高天原へ帰ってくる。どういうことかと申しますと、演繹的ではなくて帰納的に、こっち側の始めから向こう側の終わりへ行くのが本来だけれども、終わりの方から始まりに帰る調べ方をして逃げ帰ります。

逃げ帰りながらも物質というものを調べる学問というものは、高天原の主体的な学問とでは何処が違うのか。高天原の学問で吸収できるのかどうかを調べながら帰る、それを「尻手に振る」と申します。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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