2017年05月05日

言霊 言霊学講話・判断力の基準

道の長乳歯(ナガチハ)の神・・・
 物事の連続性、関連性を調べる。
時量師(トキオカシ)の神・・・
 その外国の文化が五十音図の何処に位、位置すべきかを調べる。
煩累(ワヅラヒ)の大人(ウシ)の神・・・
 どっちでもとれるような曖昧さ、今の日本の政治家がする玉虫色の決め方でなく「どっちか」をハッキリ決める。
道俣(チマタ)の神・・・
 AとBの問題の何処が分岐点として変わってくるかを決める。
飽昨(アキグヒ)の大人(ウシ)の神・・・
 明らかに物事を一つにまとめる。

これ等、五神の説明はご興味があるなら「古事記と言霊」をお読み下さい。ここでは長くなりますので省きます。この五神の名は自分が身につけてきた、経験してきた黄泉国の文化、生産物の実体を知るための判断の基準となる鑑、判断力の基準を示した神様の名前です。

以上の五つの篩(ふるい)を通しますと物事の実相、真実の姿をハッキリ見ることが出来る。自分を無にして大方針を打ち立てて、身につけてきた文化の実相を真実の姿を見る篩を通してくると、自分が立っている状態がハッキリ分かってまいります。

分かってきましたら今度はどう扱えば良いかということが次に書いてございます。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03了)

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2017年05月04日

言霊 言霊学講話・生まれた時から授かっている判断力

「杖」と申しますのは、宗教書や各民族の神話で、他に剣とか。他に柱とかと申しますが、総て人間が持って生まれた判断力のことを指しています。

有名な禅語に「扶(たす)けては断橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に帰る。」

何に扶かったのか、「杖」の判断力、学校で教わった判断力ではない、生まれた時から授かっている判断力。判断力と書かないで言い表した言葉。橋が壊れてしまった川を渡ることが出来、その判断力があるから月の出ない真っ暗な晩でも、間違いなく自分の村に帰ることが出来る。

その「杖」になった、初めの大方針、「建御雷の男の神」という音図を「衝立つ船戸の神」と掲げた大方針としたと言うことです。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年05月03日

言霊 言霊学講話・大神の意味

その大方針は何かと言うと、先に申しました主観的真理、最高の真理である自分の心の中だけで自覚した「建御雷の男の神」を掲げました。

「衝き立つ船戸の神」は「斎(いつ)く立つ」の謎です。その実体は「建御雷の男の神」と音図上では同じです。後で申し上げますが、何故「建御雷の男の神」と書かないのか。それは言霊の原理を二千年間隠す必要があったから。

某氏が代議士になりますと、代議士・某氏という名前になります。それが総理大臣になりますと、総理大臣・某氏になると同じで、某氏は変わりません。

「建御雷の男の神」は伊耶那岐命が自分の心の中だけで「これが最高だ」と築き上げた原理。今度はそれを禊祓するに当たって大方針として掲げた時に「衝き立つ船戸の神」と名前が変わりますが、本体は同じ。中身は変わりませんが役割が変わったということです。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年05月02日

言霊 言霊学講話・杖

全然、先入見なく黄泉国が創造している騒がしいけれど、とても活発な色んな産物を排出してくる実相を知った自分が、どういうように変貌したならば、黄泉国の文化を自分のものとして完全に消化して、自分という宇宙そのものが文明として完成することが出来るかを創り出そうとした自分。

他のことを他と考えない。地球上に起こっていること、宇宙に起こっていることは全て自分であるとする。そして、何の利益もなく、何も考えずに、純真な自分を変貌することによって人類文明を創造していく。崇高にして素晴らしい大事業を始める実験が始まったということでございます。
次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は、道の長乳歯の神。次に投げ棄つる御嚢(みぶくろ)に成りませる神の名は、時量師の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累(わづらひ)の大人の神。次に投げ棄つる御襌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣の神。次に投げ棄つる御冠(みかぶり)に成りませる神の名は、飽昨(あきぐひ)の大人(うし)の神。

かれ投げ棄(う)つる御杖(つえ)に成りませる神の名は、衝(つ)き立つ船戸の神・・・
 自分自身が黄泉国の学問や色んな考え方全てを自分の身に付けていき高天原に帰ってきた。その自分が出発点とし、禊祓をしようとしている自分が変貌するのですから、どのように変貌するかの大方針を決めなければなりません。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年05月01日

言霊 言霊学講話・禊ぎ祓へたまひき

全てが一つの藝術の要素になり得るべきものである普遍的なアガベーの愛の上に立って、黄泉国の文化を吸収した現実の自分を出発点とした「人類則我、我則人類」で初めて実行できる最高のクリエイションである立場を伊邪那岐の大神と申します。
その伊邪那岐の大神の立場に立って禊祓が開始されます。

吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はらへ)せむ・・・
 と言った自分の身と言うのは、黄泉国へ行って色んなことを知ってしまった自分を出発点とし、知ってしまったことを如何に文明創造に摂取するのかの問題を抱えている自分の身体を禊祓する。

竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘 (たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あわぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき・・・
 これは天津菅麻音図のことを指しております。

amatsu_sugaso.gif説明しますと長くなりますので省きます。この伊耶那岐命本来の何の粉飾もない、文明活動に携わっていない人間の心の構造の上に立って禊祓が始まった。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月30日

言霊 言霊学講話・全てを受け容れる

建御雷の男の神が主体内真理を知った時に、そうしなかったのは既に伊耶那岐命は知っていたから。全然知らなかった黄泉国へ行って色んなことを経験し、伊耶那美命と離婚し「これからは一緒の範疇では考えられない世界にお互いに居る」と宣言しました。

主体内真理と同様の有用なことを客観的な黄泉国でも有用であると知ったから離婚しました。全然違う領域のことを自分の体が経験したということは、自分は天津菅麻音図という何の先入観のない心で以て経験したわけです。

この経験した自分が、決して「そんなのは嫌だ」と言わずに全部受け容れた自分。その自分も自分であるのが伊邪那岐の大神でございます。主体世界が客体世界を飲み込んでしまって、それの全部が主体だとする立場。

それは自分と違う世界を経験した時にそれを最高の愛の眼で見るしか出来得ない立場。拒否はせず、色んな事はあるけれど、それが一番人類の最高の視点から見れば、一切に無駄がない。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月29日

言霊 言霊学講話・黄泉国での経験をどう扱うか

どこがどう違うのか、自分は心の最高の真理を知ってしまった。しかし、これは心の中だけの確信なのであって、黄泉国の質の違う文化と相対した時に、それをどう扱ったら良いかは未だ分かっていなかった。

もし、これを見極めなければ主観的な真理であって客観的な何時、何処の文化に適応する真理とは有り得ない。そのために黄泉国へ行って帰ってきたわけですから、この黄泉国で見聞したことをどう扱うか、どう扱ったら良いかの禊祓を始めます。

今の政治家や学者に「外国で経験したことを政治に活かすにはどうしたらいいかね?」と訊きますと、大概は自分の経験知から為になることだけを拾い上げて、要、不要を選り分けると思います。

私たちもそうすると思います、隣の良いところは真似しよう、悪い所は取りやめようとします。これはオ次元の考え方。自分が是非を最初から決めてしまうやり方。そういうやり方をしないのが伊耶那岐の大神。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月28日

言霊 言霊学講話・伊耶那岐の大神

どういうことを伊耶那岐命が行うのか、古事記に
ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔(の)りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘 (たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あわぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

ここを以ちて・・・
 今まで一時間半お話しましたことを述べています。「こういうことがございました」という意味です。

伊耶那岐の大神の詔(の)りたまひしく・・・
 「さぁ、禊祓をいたしましょう」と、ここで伊耶那岐命は「伊邪那岐の大神」になります。大神というのは禊祓をする偉い神様だからというわけではございません。「大」が付くか付かないかで意味はまったく違ってまいります。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月27日

言霊 言霊学講話・高天原へ逃げ帰る時

尻手に振るということは、色んなことを経験したことを、自分の持っている十拳剣の言霊の原理の何処を担当した現象であるのか、機能的にはどうなのかを調べて高天原に逃げ帰ったということです。

追っかけてきた伊耶那美命と伊耶那岐命(自分)は、此処からは高天原、此処までが黄泉国という境に置かれた道引きの石(ちびきのいは)で相向き合わします。そこで永遠の離婚宣言をいたします。

これから後の真理の探求の仕方は、高天原の精神的な研究と黄泉国の物質的な研究では完全に逆方向であって、決して一致することはありません。もし、それがあるとしたら究極の問題として相似形になるだろうということを予想しました。

離婚宣言をした伊耶那岐命は、自分の持っている主観のみの建御雷の男の神という原理が、今まで知りえなかった物事を客観的に見る世界をどう扱ったら世界文明を創造し得るかを主題として、どういうように活かしていくべきか、その行に入ります、その行が「禊祓」の行です。此処までが「禊祓」を説明する前提です。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月26日

言霊 言霊学講話・伊耶那美命を追いかけて

ただし、この音図は主体である伊耶那岐命の心の中だけでまとめた真理ですから、主体的真理ですから「私はこれが最高真理だと思う」と言うだけで、これが外界に適応するかどうかは経験、自覚していない真理です。

この真理を心に持って外界に適応しても「違うことはないかな」を確かめる為に、伊耶那岐命は黄泉国へ出かけていく。元の奥さんのいる黄泉国へ出かけます。

ところが、この時代の黄泉国は物事を客観的に研究する世界で、初歩的な学問であり、自我に根ざした研究ですから一度発見したものは「これが真理だ」と自己主張する世界でした。

そのやかましいこと!あまりの騒々しさに驚き、早々に伊耶那岐命は逃げて帰ります。その逃げ帰る時に十拳剣である判断力を尻手に振ってと書いてございます。ある真理を前手に振ると応用して色んなものを生産し、創造し、運用することです。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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