2018年09月12日

言霊 布斗麻邇講座・「可哀想」は人を批判する束縛から抜け出す境地

新聞に人を殺したという記事ばかり、「何で人を殺すのか」というのはウとオから観た殺された人は可哀想、殺した人は憎い、アから言えば殺された人は気の毒だ、でも殺した人も気の毒だな、一生償わなくてはならない。

警察に捕まらないでも人を殺したという記憶は消えるものじゃない。いつか仏心が出てきた時は地獄に堕ちるような、心を苛まれ生きていかなくてはならない。「可哀想」という境地は人を批判する束縛から抜け出す、これでアが分かった。

もっと進みますとエとイが分かったということになります、これがコトタマを自分の心の中に自覚する第一段階でございます。ウオからアに行きますと父韻が分かってまいります。

「お前は分かるな」と言われても自然と分かってまいります。母音と父韻が活動するとどういうことになるか。そうしますとイという境地がどんなに素晴らしいかが分かってまいります。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-2)

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2018年09月11日

言霊 布斗麻邇講座・総ての人間は生かされている

人が違ってくると又、その道徳観が違いますから多様になって、その社会は闘う世界になっていきます。闘う世界は「嫌だ」とするなら、さっきのお坊さんのように空を求める。

総ての人間は生かされている、自分が生きているのではない、大自然に生かされているのだから、一本の木が枝分かれし一枚の葉っぱ同士の自分たちは、同根、同じ仲間なんだから仲良くしようよ。小便したくなった、他の人も小便したくなった、便所は一つ、「あなたからどうぞ」、それがワの心。

それが「我先」となりますと、アの境地を求める。そうなってくると人間は妙なものでアの境地は素晴らしい、今までウとオで人の批判ばかりしていた心がアの清々しい心に一歩入って、世の中って何て素晴らしいのか、というように視点が変わっていきます。

アという一字がどういう意味を持っているのか、人に教えなくても分かる。アとはこういう境地なんだ。愛と慈悲の境地から総てを、人を観る。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-2)

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2018年09月10日

言霊 布斗麻邇講座・道徳観

アイウエオの一字一字を自分の心の中に確かめていく行為からこの学問を始められることです。「あれ、欲しいな」と思った時は、欲しいのは自由です。だけど、自分以外に欲しい人がいたら、そこでどういうことになるのか。

ということから始まって、「欲しいな、欲しいな」のウの境地、どうしてそんなに「欲しいな」と思うのかを理屈で考えるオの境地。このウとオで生きておりますと人生は忙しい。

あいつはああなったから、こんなことになった、あいつは余計なことを言うから嫌な人間なんだ、俺はあんなことを言わなければちょっとはマシなのに。何でも心を分析して、分析するのは結構ですが、その分析した心で他人を口には出さないですが年中批判している。

「あ、又、あの子来たよ、嫌だね」、何が嫌だと言えば自分が人にされたくないことをするから嫌。自分がこれ位ならしてもいいなとする子なら「嫌だな」とはならない。子供だけでなく、自分が「こうすべし」という道徳を設けて、それに反する人を嫌だな、反しない人は嫌じゃない。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-2)

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2018年09月09日

言霊 布斗麻邇講座・アの境地

母音は世界語ですから人間ならそういう言葉を発する。赤ん坊の言葉は間違いなく「ア」、仏教は阿弥陀、キリスト教はアーメン、アは宗教では究極の境地です、世界語ですからアは。

ところが「ア」は総てが束縛なく、屈託ない、自由だ、こういう天地と一緒になってしまった。天地と一緒だから自由、天があって自分があると不自由です。人間というのはわがままですから、天があろうが地があろうが自分と相対するものを必ず探りたくなる。

天はどうしてあるのか、そうすると気象学が出来る、そうなりますと「天」が自由でなくなる。天も気象学も知らなければ、ただ「アー」、禅宗のお坊さんは「何かな」と思ってその何かが役に立たないと気が付いた時に赤ちゃんの心に返る。

実に広々としてアの境地は。何でも自由、人の悪口を言って「へへっ」って方も、永平寺の貫首さんみたいに本当に仏様みたいな立派な方もいらっしゃる。だけど「ア」しか知らない。

「オ」は学者さんの心、「エ」は政治家、道徳家の心、「ウ」は産業経済人の心、「イ」は医者、人の病を治したりする医師の心。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-1了)

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2018年09月08日

言霊 布斗麻邇講座・生まれた時から授かっている人間の性能

十年、二十年経っても真似をする。三十年で止めたならそれは真似だ。百幾つになっても続けていると真似が真似でなくなる、それが信心になってくる。この方は本当に真面目に修業をなさった方だなと感心いたしました。

感心をするのはいいのですがアしかしらない。オギャーと生まれて、お母さんに抱かれようが、知らない人に抱かれようが、おむつを替える時にオシッコをかけてしまいます、やりたい時は。それでいて「ごめんなさい」とは言わない。

そのようにアは何の不自由のない、心に壁がない、苦労しちゃいけないことがない、こういう言葉を言ってはいけないということもない、総てが自由の境地です。アは不思議な時に「アー」とは言わない、「オー」といいます。

富士山を見て「綺麗だな」の時に「イー」とは言いません、「アー」と言います。決まっている。人間が今63億人いると言われています、みんなが富士山やアルプスを見て「アー」と外人でも言います。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-1)

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2018年09月07日

言霊 布斗麻邇講座・ア字

お坊さんは永平寺に行きますと、朝暗い内から起きて、座禅して、永平寺は寒い所で立ち上がって掃除をする、風呂湯を使うらしいですが、撒くと二メートルくらいの氷柱、そのような辛い修業をして何を習っているのか。

一生、こうやって坐って、よく飽きないな、五十音の内の「ア」の一字を一生懸命習っている。たった一字ですよ。永平寺のトップは貫首と言います、その方が一時間に渡ってお話ししたり、用をしている所をNHKが取材しておりました。

珍しいことをしているなと、目を皿のようにして見入っておりました。百幾つになられて仏道一筋の立派な方ですが、「この人じゃなくっちゃ分からないことを、これっぱっか位喋ってくれないかな」と耳をそばだて、目を見開いて、テレビと睨みっ子しながら聴いておりましたが、残念ながらアの一字以外のことは絶対に喋りませんでした。

世界人類という言葉は一回も出てきませんでした。空、空即是色、色即是空、その空に徹してしまった。良い言葉もおっしゃっていました。若い時に永平寺に来て西も東も分からない。そこで和尚さんのことを朝から晩まで真似をすることにした。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-1)

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2018年09月06日

言霊 布斗麻邇講座・母音、半母音、子音との関係

逆に我々が発見しようとする時はどういうことになるかを次にお話しいたします。
私達が小学校で習う五十音図、母音、半母音、子音、これは皆さんお分かりだと思います。でも、これはただの音の繋がりであって一つ一つに意味があるなんて夢にも思っておりません。

東大の国学者の先生に「一字一字意味があります」と言いますと「へぇ〜!」と驚かれますから。試しにお伺いすれば、もてはやされるか、気違いかと思われておっぽり出されるかもしれません。笑

一字一字、重大な意味がある、今から二千年前に儒教でも、仏教でも、キリスト教でも言っている、そういう真理が二千年前にピタッと切られてしまい、そのことについてはタッチ出来ないような心の壁を作られましたから二千年前以後は誰も分からなくなった。

コトタマの原理が復活しますと一字一字意味がありますから、では、どういう意味かはさっき申し上げましたように、一字一字が人間の心を構成している一部分であるということから、コトタマ学を聞いていただいて、母音、半母音、子音との関係がこういうものなんだなとお分かりになれば、さて、どうするべきか・・・

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-1)

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2018年09月05日

言霊 布斗麻邇講座・言葉にする前の頭の仕組み

まず、古事記は「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神」から始まりズラズラーッと十七の神様が出てまいります。出て来る最初は母音でございます。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神、国之常立神・・・そして最後にイとヰが出て、十七の先天構造は頭脳内の神様。

「早く帰って暖かい床に入って酒の一杯でも飲んで寝てしまいたいな」と、自分は何を望むのか、未だ計画を練っている段階の役目をするコトタマ、それが十七音(神)ございます。

この先天構造のコトタマは人間がどんなことをしても直接に見ることは出来ない。考えることも出来ない。見えない、考えることも出来ないのにどうして分かったのか。

それは今の科学がしている方法と同じで、そういう働きがあるということを想定した上で、その神様が働きだすとどういうことが起こるのか、その出来事から逆にこういう働きが先天構造でなければならないはずだ。

何百、何千、何万回、何十万回、何百万回と例を引いて考えながら、それに矛盾が起こらないようにまとめた時はそれが真実だということになります。そういう手間をかけながら昔の霊知りたちは古事記の神様として書かれている謎を発見した。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-1)

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2018年09月04日

言霊 布斗麻邇講座・五十音を心に確かめる

それに言葉の要素、小学校で習うアイウエオ五十音の言葉の要素の一つ一つを心の分析した要素に付けます。どうやって引っ付けるかは秘中の秘、これが分かるだけで日本人の祖先が少なくとも数百年、数千年を掛けて考えだしたことなんですから。

ちょうど、今の原子物理学が発達しまして、原子で燃料を得、原子爆弾でたいそうな力を発揮出来るようになるまで近代科学は、研究が始まってから五千年の月日をかけて完成させたものになっております。

それと同じで人間の心を分析し究極の要素を探し出して、アイウエオ五十音の一つ一つに結び、この結びようで間違いないと結論付けるまで、物質科学の研究の年数近くをかけたに相違ありません。

そのコトタマが現代に復活してきて、どういうように勉強していけばいいか、母音から父韻から子音から親音の一つ一つが「なるほど」と、自分の心は五十の要素で出来ている、何一つ疑いなく分かってしまうと自覚するにはどうしたら良いか。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-1)

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2018年09月03日

言霊 布斗麻邇講座・日本語の要素と単位

布斗麻邇のお話をしますと何せ、二千年間隠れていた学問ですから、何もかも新しい見地から書かれた内容ですので、今の学問がいくら出来る方でも、私も昔、大学の国文学者の先生に聞いてもらいたくて、よく押しかけたものですが、皆さん、分からない。

私より国文学を知っている方でも日本語の語源となるこの学問は分からない。何故かと申しますと学問と申しますのは、自分の経験知を基に解釈しようとしますから分からない。

この学問はそういう国文学的な知識がない方が分かる、ただ、それを「そうなのか」と受け止めていただければ誰でも分かる。それを自分が知っている学問から自分が解釈しようとしますと、これは百年経っても分からない。その点をご承知いただいて私の話を聞いて下さい。

コトタマと申しますのは、これ以上は分析出来ないところまで人間の心を分析して行きまして、全部で五十の要素が見つかり、これ以上分析すると要素でなくなってしまう、何が何だか分からないものに分解してしまうギリギリのこれ以上は分析出来ない、心を構成している要素が五十あるということが分かる。

言霊・布斗麻邇「コトタマの自覚」(H18年12月・会報223-1)

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