2017年06月17日

言霊 言霊学講話・新しい文明の原動力となる言葉とは何か

次にその禍を直さむとして、成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直毘の神。次に伊豆能売。

次にその禍を直さむとして・・・
 ア(上つ瀬は瀬速し)とイ(下つ瀬は弱し)の川の瀬で常に文明を創造していく原動力となる言葉とは何かを検討し、取り込んでいくには不適当だということが分かりました。ではどうしたら良いか。

 言霊を自覚(高天原)して見る現象と黄泉国(無自覚)で見る現象は、少なくとも同じではあるけれど、黄泉国の文化を高天原の精神文明に取り込み、原動力になるには、引き上げなければならない。

 引き上げるに八十禍津日神(上つ瀬は瀬速し)と大禍津日神(下つ瀬は弱し)は適当でない(禍)ですから、今度は光の言葉をオウエ(中つ瀬)の段階で確かめ、探さなければならない、そういうことが分かってきました。


言霊学講話「三つのチャンネル」(H16年6月・会報193-04)

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2017年06月16日

言霊 言霊学講話・頭でなく心でわかること

下つ瀬は弱し・・・
 イの段階は人間の意志、ここに言霊の原理、論理、その流れでもって探っても、ウンともスンとも答えてくれません、これも不適当です。でも、言霊の原理がなければ禊祓は出来ません。

大禍津日の神・・・
 これもその禍を渡して日に転ずることが出来る。意志という段階に原動力となる言葉を探すことは出来ない。これも功と罪をハッキリ見分けます。

この二神は、かの穢き繁き国に到りたまひし時の、汚垢によりて成りませる神なり。
 八十禍津日神と大禍津日神の功と罪が分かった。今まで高天原にだけいたのでは「禍」がないですから分かりません。黄泉国の何だか分からないゴチャゴチャした所から作り出している文化に伊耶那岐命が接したから見分けが付いた、このような表現で書いてございます。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03了)

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2017年06月15日

言霊 言霊学講話・人格や愛の自覚があるのか、ないのか

 怒るべきとしたら心は仁王さんのように顔は笑ってビシっと怒る。そうしましたらお子さんはビシっと止める。それ以降は二度とやりません。その怒る現象は何ら変わりませんが内容が違う。人格や愛の自覚があるのか、ないのかの違いです。

 自覚が「あるか、ないか」もアの段階で観ますとよく判ります。芸術的にも光が当たると影ができるから作品が生きる。ということは裏表をよく分かっていないと良い政治は出来ません。

 ですが、アの段階で禊祓の方法を探してはいけない。感情の起伏で検討するには不適当だけれども、実相を観るにはアの段階で観る必要がある。その功罪(八十禍津日神)を生かしながら禊祓の検討を探して行こう。

 八十の上下の言霊をよく知ることによって、禊祓では使ってはいけない禍ではあるけれど、使い方によってはその禍を渡して日に転ずることが出来る。その「日」は次の直日に繋がります。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月14日

言霊 言霊学講話・現象は同じでも意味内容が違ってくる

 上の段が善の表、下の段が悪の裏、総て対照的です。言霊の現象としては同じですが、意味内容がまったく違ってくる。それはどういうことか。日常のことで申しますとすぐにお分かりになります。

 小さいお子さんを育てていてお母さんがイライラしていますと、お子さんが傍で騒ぎ立てると「煩い!黙って!少しは黙っててよ!」と怒鳴りつける。ところがお子さんは怒鳴られほど面白がってやりますから。

 お子さんは親の心をよく分かる、理屈を知りませんから、アにいます。「お母さんはイライラすることを止めたほうがいいよ、俺の身を思って叱りつけているんじゃない、お母さんの都合で叱ってる。だから言うことをきかないよ。」

 お母さんがお子さんを一人の人格者としてみたら、自分の機嫌で人を怒るべきじゃない、子供が騒いでいるのをこの場でやって「良いことか、悪いことか」、今後のことを思えば「怒るべきか、怒らざるべきか」。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月13日

言霊 言霊学講話・物事の実相がよく見える

 何故ならば、物事を明らかに観るにはアという感情の段階、澄まされた感情の段階でないと人間の実相はわかりません。(飽昨の大人の神)それは理屈で観ても分からない、欲望で見たら尚更分からない。

 ところがアの感情そのものを使って検討するには、コロコロ速すぎて何のことかサッパリ分からなくなる。このアで検討するには不適当だけれども、アで観ると物事の実相がよく見えるから、全然不適当でもない。

八十禍津日 (やそまがつひ)の神・・・
80_yaso.png どういうところでアの段階が分かるか、それが「ヒカリ」。天津菅麻音図(アオウエイ)を反転(イエウオア)して百音図にします。百の言霊が並びます。どの言霊も二度出てきます。どういうことか、八十禍津日ですから上下の母音、半母音の二十音を取った数、八十(やそ)。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月12日

言霊 言霊学講話・感情的な検討

上つ瀬は瀬速(はや)し・・・
kami-naka-shimo_se.png 「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして」とありますから、伊耶那岐命自身の天津菅麻音図に則って検討を始めることになりますと、天津菅麻音図の「上つ瀬」はアです。

 アからワへ流れる川の瀬、「上つ瀬は瀬速し」、感情の次元で検討するとどうなるのか、鳴いた烏がもう笑った、一番あてにならないのが人間の感情です。「何という立派な行為だろう」、次には「何言ってやんだ、俺だって出来らぁ」というように人間は捨て鉢でございます。

 良いことをしたのを素直に喜べはいいのでしょうが、人間はなかなかそういうものではありません。「あいつは日頃悪いことをしているから当たり前だ」と裏腹に思います。

 文明創造をする時にアという感情の流れの中でそれを検討するのは困る、不適当ということは「罪」になります。ところが感情のアがなければ禊祓は出来ません。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月11日

言霊 言霊学講話・外国の文化を精神文化に取り入れる原動力

ここからは未だ言霊の原理は出ていません。そのようにして外国の文化を精神文化の中にスムーズに取り入れる為には、ただ見て取り入れるわけではなくて、取り入れるに当たってはどういう原動力が働くのか。

常にそこに新しい生命を与えなければ人間というのは生きていけない、人類文明を創っていけない。その人類文明を常に恒久的に進歩させていく原動力を見つける段階から今日のお話に入ります。
ここに詔りたまは く、「上つ瀬は瀬速(はや)し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日 (やそまがつひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
そういう原動力を求めるのには自分という心(天津菅麻音図)の五つの段階(アオウエイ)の何処で検討して正しい答えが出てくるのか。どの段階でやるのかを決めなければなりません。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月10日

言霊 言霊学講話・一つの発想を推進する原動力

 これから映画館へ行くのに何処がいいかな、銀座を通るからおめかししよう、そうしますと日比谷の映画館だろうと、映画のハシゴをしてご馳走食べて帰ろう、というようにイメージが湧きます。その目的のイメージが「辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)神」と申します。

 そうしますと出発しました心(奥)とそうしようとする心(辺)と、そうなった心は、本当は二つに分かれているのではなくて、今ここに持っている心の分身、その持っている心が、奥から辺を一つにするにはどんな原動力、考え方が良いのかが「奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)の神」と「辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神」。

 暇だから外へ「行こうかな」、「何処へ行こうかな」、実際に実行するのは「行こうかな」、「何処へ行こうかな」、「何をしようかな」は一つの発想から来ていますので、実際に其処へ行ける。その一つの心が推進する原動力となります。

 その原動力となるべきものは何であるか。これは誰でもやっていること。これは無意識にやっておりますが、このように一つ一つの心を分析して、絶対にこういう順序を何処かで違えたら「これは成功しないんだよ」ということを、すごい正確無比の心理学的に説いている、古事記中段の第二の禊祓の太安万侶さんの文章です。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月09日

言霊 言霊学講話・禊祓の出発点

次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は・・・
 その後の五つの神様(道の長乳歯の神飽昨の大人の神)は取り入れた外国の文化の実相を五つの観点から見る指月の指です。自分が体験した黄泉国の文化の正体を見定めて禊祓に入って行きます。
次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古の神。次に辺津甲斐弁羅の神。
 その時に外国の文化を取り入れた自分、知識として取り入れた自分という者がハッキリ判りますから、ここを禊祓の出発点といたします。その最初の姿をハッキリさせることを「奥疎の神」(おきさかる)と申します。

 その自分を検討して行き、合理的に精神文明の中に物質文明を取り入れていき変えていく原動力となるのは何か。それが「奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこ)神」。

 検討して取り入れてしまったらどうなるのかの予想は「辺疎の神」(へさかる)。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月08日

言霊 言霊学講話・主眼を方針として打ち立てる

衝(つ)き立つ船戸の神・・・
 どういうように検討していけば良いか、盲滅法では検討がつかないので、自分一人が研究した時にこれが最高の精神であろうと発見した「建御雷の男の神」という主体的な原理を斎(いつ)き立てる、その神の名が衝立つ船戸の神。実は同じです。

 ズーッと自分の心を見つめながら、古事記の神話を読んでいきますと、建御雷の男の神が斎き立てたということが分かります、これが分かりませんと禊祓は出来ません。

 さっきも申し上げましたが、自分の心に照らし合わせていかないうちは、決してこの意味が分からないように太安万侶さんが書いてくださった。

 読んで分かるように書いたわけではないのです。分からないように捻ったのですから意地悪この上ない。分かってはいけない時代に書かれましたから、その点をご承知おき下さいませ。

 分かった眼で見れば建御雷の男の神という主体的、心の中だけで発見した最高の原理を禊祓の方針として打ち立てた。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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