2017年04月16日

言霊 言霊学講話・悟りの意味

このアという境地、何事にも束縛されない、人に迷惑もかけない、自由自在な立場に立った時、エとイへどうして行けないのか。千日回峰行をしたお坊さんが二回も行った、あんなに苦しい行を二回する必要が何処にあるのか。

それは「お前がした行はこういう意味があって、結果こういう魂の位まで上ったんだよ、だから今後することはこうやればいいよ」と教える方が誰もいない。何しろ常人では考えられない苦行ですから。

道なき道を一日20kmから50km歩く行を重ねて千日間、最後の九日間は飲まず食わず、横にならず、お経を唱え続ける、何一つとして私なんかに出来る行ではございません。普通断食する人は水だけは飲みます。

このような苦行をして生き延びたら、悟らない人はいない、何故なら大概の人は死んでしまう。なのに、やり遂げて死ななかった、すると、人の力では絶対に助からないことが助かったということは「仏様が自分に付いていてくれていたんだ」ということが分かる。


言霊学講話「実践智」(H16年5月・会報192-02)

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2017年04月15日

言霊 言霊学講話・十拳剣(トツカノツルギ)

これを何千年も前に日本人の祖先として、父の名として「イ字本不生」。人間の最高の魂の存在であるイの次元、宇宙の働きとして「チイキミシリヒニ」の八父韻。

このお父さんの存在を二千年前に神倭王朝第十代崇神天皇が隠してしまいました。何処に隠したか、伊勢神宮の本殿にある八咫の鏡として隠してしまいました。八父韻を表わす八咫の鏡は八角形をしています。

八咫の鏡である太祝詞音図は八父韻の両側に母音と半母音がありますことから十拳剣、拳を十連ねた剣として言い表しています。

父韻はイ段にありますので一番上の、伊勢神宮の内宮本殿の屋根に鰹木(数招き)が十並んでいます。「招き」(おき)は、招待、こっちへ来いよ、来いよ、手へんに召す。伊勢神宮の本殿に十本、外宮は九本(九拳剣)、この数の違いは本に書いてございますので、疑問に思われましたらお読み下さい。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-0了)

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2017年04月14日

言霊 言霊学講話・父の正体

お母さんは分かった、でもお父さんは天の彼方の神、崇めることしか出来ないということになります。私は宗教についてはまったくの素人ですから間違っていましたらごめんなさい。

ですが、言霊の原理から見ますとそれが世界の現状です。では、もう一つ進んで、お父さんも同根なら本当の兄弟です。それには二千年間完全に世界から姿を消しており、また言霊の原理が蘇りませんと、「お父さんも同根なり」を自覚出来ません。

宗教と言霊の原理は何処から違っているのか、この父の名が「あるか、ないか」、「天にまします父なる神よ、その名を崇めさせ給え」の神様の名は八つの父韻を指します。

父韻は人間の心の一番奥底にあって、総ての人間の心の営みを創造する、クリエイトしていく原動力となる火花です。捉えようがないのです、心の奥でパチパチッと光る火花。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月13日

言霊 言霊学講話・宗教では存在しない父

ウオの世界に自分が「嫌だ々々」と言っていたその知恵に頼らざるを得ない。世界的な宗教団体に私も出席したことがありますが、「我と汝同根、また奇特なり」と言った人なのかと思えない程に喧々諤々、疲れてしまうと「もういいや、又にしましょう」ということになる。

それが今の宗教界の実情です。宗教はアを求めるには頼らざるを得ません。けれど、宗教では世界は治まっていかないということがわかってきます。何故ならば、お前と俺は同一のお母さんと知りました。

ところが、お父さんはどうなのか。世の中にはお母さんは同じでもお父さんが違うという人はたくさんいます。これが皆目わからない、この世に存在しない、宗教では存在しない。

キリスト教の最高の祈りとして「天にまします父なる神よ、その名を崇めさせ給え」、天にいるお父さんの神よ、その名前を崇めさせて下さい。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月12日

言霊 言霊学講話・アの境地に達しても授かっていない

「我と汝同根、また奇特なり」を知ったのに何故世界には戦争が絶えないのか。諍いが少なくなるどころか多くなるばかりなのか。「愛」を知りましたが、何故「愛」の下に戦いのない世界を創る智慧がないのか。

愛と慈悲の心に変わりはありませんが、このウオの世界を仲良くさせよう、諍いのない世界にしようとする時に、ウオの矛盾に苦しんでアの境地にいった人が、否応なしにまたウオの世界の知恵に戻ってしまいます。

ウオの世界の知恵しか持ち合わせていない、そこに矛盾があります。経験知の世界は各々が主張をしますと必ず争い事が起こることを知りながら、それが嫌だからこの平等の愛の世界を求めたはずなのに。

自分は兄弟であることを知りましたから、自分は争い事をしない、でも、年中争っている世界をどのようにしたら良いのかの智慧、それはアの境地に達しても授かっていない、自覚していないということに変わりはございません。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月11日

言霊 言霊学講話・宗教の教えにない

その素晴らしい世界がアの世界。ところがアを知れば戦争がなくなるのか、何千年も前から「また奇特なり」と言いつつ、世の中に戦争は絶えません。何故絶えないのか、兄弟同士で喧嘩するのが誰も良いとは思っていませんが、戦争をなくす手立てを知らない。

アという世界から観ると、兄弟として生まれながら、お互いが兄弟であることを知らない。少なくともアという段階に来た時に、初めて兄弟だということを知った。ところがこの兄弟であるということに矛盾がある。

iwasaka.gifそれは宗教では教えてくれない言霊布斗麻邇独特のもの。人間の心の先天構造十七言霊(ウ・アワ・オエヲヱ・チキシヒイミリニ・イヰ)、何方でも生まれながらに授かっています。

ウオアと反省していき、アの段階で自覚できた時、これは母音ですから、人間ならお母さんは同じお母さん、兄弟がてんでバラバラになって、ある時に出会って戸籍を調べたら「どうやら兄弟らしい」ということです。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月10日

言霊 言霊学講話・我と汝同根、また奇特なり

「宇宙が始まって以来あるのがアですよ」という意味ですから、アが世界語(ミダ、ーメン、ラー)になる大本は「阿字本不生」で説明がつきます。

このアの世界が分かりますと、自分の生命の根源が「ア」ということ、広い々々宇宙が自分の心の住処だと自覚しますと、自分だけが住んでいるのではなくて、あいつも住んでいるということが分かります。

心はどの人間も心の根源は同じ根っこから出てくる、ただ枝葉として違うだけ。禅語では「我と汝同根、また奇特なり」と申します。奇特と申しますのは「有り難い」と言うことです。

「お前と俺は同じ根っこから出ている兄弟なんだ、なんて有り難いことだ、兄弟なのに何でそんなに諍って戦争したり、喧嘩したり、殴り合いしたりするんだ。止めようじゃないか」ということに気がつく、これは素晴らしいこと。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月09日

言霊 言霊学講話・生まれながらに自由なア

世界的な単語は他にたくさんございます。仏教、ヒンズー教ではマニ(麻邇)、キリスト教ではマナ。それぞれの宗教の教義は違いますが、人間の究極の言葉という意味では同じです。

アは人間の理屈を超えた世界、だけど厳然とある世界、この世界に入りますと個人的なウオの束縛がフッと消えまして、自分の本生が宇宙であるということ現実に悟ることが出来る領域に飛び出します。

仏教ではそれをアが付く「阿闍梨」(アジャリ)と申します。比叡山の千日回峰行を完了したお坊さんは明治時代以前では、大きな阿弥陀様の世界、宇宙を知った方は「大阿闍梨」の称号を賜って、天皇の前に草履履きでお目通り出来たお許しをいただいた。

アを知った人という意味です。高野山真言宗では「阿字本不生」と申します。「アという音は元々うまれないんだよ」という意味です。「生まれない」ということは本からある、「生まれる」のは今ままでなかったけれど、ここからいるということです。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月08日

言霊 言霊学講話・あるがまま

宗教は自分ならざる存在、神を認めること。そうしますと人間の合理性では掴むことが出来ないもの。むしろそれを逆に申しますと、人間の合理性をそこから与えられている世界を求めるようになります。

その宗教の世界、合理的ではないが実際に人間が生かしていただいている実力の世界。それはアの世界。生まれながらに具わっていますが、ただ自覚をしていない、ですが、ウオの下から上がってきましてアの世界を求めるようになります。

アの世界とは「ー」、形容が付かない、「イー」とは申しません。不思議だなと言う時には「オー」、不思議さがないと「アー」、宗教的な言葉には必ずこの「ア」が付きます。アーメン、阿弥陀(アミダ)、アラー等々。

日本語じゃないのになぜ「アーメン」なんだ、昔、「ア」という一字は世界語でした。宗教的な言葉には「ア」が付きました。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月07日

言霊 言霊学講話・物事を合理性をもって理解しようとすると合理的でないものに突き当たる

話に聞いたことがありますが、世界人種の中で効率を求めて止まないのはドイツ人だと。そのドイツ人社会では一番世界で迷信が多いのだそうです。私はドイツへ行ったことがないので事実かどうかは知りませんが、理屈では理解が出来ます。

物事を合理性をもって理解しようとしますと、合理的でないものに突き当たります。この合理的でないものは合理的な考え方の一番の限界です。そこに迷信というものが起こります。

野球選手も優勝するまで髭を剃らないなんてことを言います。でも、優勝することと髭を剃らないことは何の関係もございません。でもそれに頼らざるを得ない。一生懸命練習して、これ以上練習のしようがないほど練習したけど、だから勝つというわけでもない。

では、験を担ぐ、いわゆる、合理的でないものに頼ることになる。それに頼らないとなんとなく自信がもてなくなる。又は、この道を通って球場へ行くと負けるということで、この道は通らないというような野球選手も多いようです。これは不合理です。

ですが、その合理性を求めて他の人間宇宙があるのではないか、その世界を求めると、これは宗教というものに突き当たる。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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