2017年09月16日

言霊 布斗麻邇講座・初地の仏

何故かと言えば、これから先に行けないと思えば引っ返すしかない、これを表現しようと思ったら、自分が今まで「イヤだ、イヤだ」と言っている世界に帰らなければならない。

rokudou.pngこれを初地の仏と言って黙っていれば仏さま、喋ったら地獄。一度口を開けば地獄に堕ちること矢の如くならん。千年以上も前から仏教は教えています。(六道

何故なら「ア」の上があることを知らない。アが究極でないことをコトタマの原理は教えています。ところが「アー」より上の「エ」と「イ」があることを二千年前に人類は忘れてしまった。


布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月15日

言霊 布斗麻邇講座・表現が出来ない「ア」の世界

陰惨なようで、陰惨でない、清冽、毒がない。それが凄いでしょ?「ググッと力を入れて奥に刃を突いて押した」という行で終わるのですから。読む人はブルブルっと震えます。だけど嫌な感じはしない。

それは何故か、自分がその気になって後で自殺してしまうのですから。知らない方も多いでしょうが、今、取り壊している市ヶ谷の防衛省に乗り込んで、連隊長の首をぶった斬って、自分も連れて行った右翼の大学生と腹を切って死んだ。

侍の頃の話じゃない、今から数十年前の話です。それを知った時に川端さんの弟子の三島さんもやったかと思いました。自分のやることに表現が出来ない「アー」の世界ですから、それを表現するには死ぬより他ない、実際に死んだ。

ですから、この境地にいながら黙っていれば阿羅漢と言って、一番下の位の初地の仏様なんです。ところが一言でも喋ったら「アー」と言っている内はいいですけど、「アー」の中に何かを入れようとしますと、選挙に打って出たり、師団長の首をはねてしまったり地獄に落ちてしまう。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月14日

言霊 布斗麻邇講座・縁覚と畜生

それから川端康成さんは世界で有名になった。だからそういう歌を詠っていれば極楽、仏様、ですけど、ある時、東京都知事に立候補した人の口車に乗っかってしまって応援しました。

自分は「アー」の世界に住んでいて、実社会のことは何もしらなかったんだなと気づいた。だから知人でもあった都知事の立候補者を応援することで、この社会と繋がりがある実感を持ちたかったと、それは、どうかは知らないですけど、良く解釈すれば。

応援しましたけど立候補した知人は落ちてしまった。それから気が変になって自殺してしまいました。「アー」の世界の自殺ですから原因は未だに分からない。

川端康成の信奉者だった三島由紀夫も自殺しました。あの方の小説も「アー」の世界。最後の小説は若い将校が、自分は参加しなかったけれど、二二六の責任をとって、死のうとする所から始まって、自分の奥さんに短刀を持たせて自分の首に切っ先を当てるところで終わる。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月13日

言霊 布斗麻邇講座・あゝ赤赤や

普通では言葉も交わせない人と何日も歩いた、それだけでも罪。別れる時は港から学生が去ってしまう。三浦洸一の踊り子の歌に「さよならと〜何も言わないで♪」、それくらい悲しい。お友達になって、素晴らしいと想っていたのに夢のまた夢で行ってしまった。

トンネルを過ぎるとの雪国もそう。川端康成さんは「アー」という境地に憧れていた。ですから周囲には美人が集まっていた。

あまりに「美」ばかりを見てしまったからなのか、ノーベル賞受賞者の記念講演で披露された歌、これで誤魔化しちゃったのかなと。それは「赤赤や、あゝ赤赤や、赤赤や、あゝ赤赤の暁の月」と詠って、これが仏像の救いの歌です、室町時代の歌人の歌ですと紹介した。

聞いた人はただ、「アー」としか言いようがない、いい歌でも何でもない(笑)、でも、よくよく聞いてみると「アー」としか言いようがない程、絶景であって、仏教の悟りの極意観が通用した。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月12日

言霊 布斗麻邇講座・言葉を超える世界

感動した藝術を前にしますと「これは良いな」とは言わない。そういう藝術は何点もございませんから、出合いましたら自分の心を観るとよろしいです。ただ「アー」としか言えません。

今の評論家は仏像一つ説明しても年代とか、素材とか、何も知らない。そのような人の本を買ってはダメですよ、言葉を超える世界ですから。仏教やキリスト教の経典や聖書が色んなことを書いて教えを説いておりますけど、救われた気持ちを説いたものは一つもない。

それは表現が出来ないから。ただ、「アー」としか。それをよく知っていたのが小説家の川端康成。「雪国」や「伊豆の踊子」を書きましたけど、康成さんが一高の学生だった頃に天城峠までズーッと歩いて旅館に泊まりながら呑気に旅をしていた。

踊り子は客の前で踊って稼がなくてはならない。その二人が仲良くなった。片や親のすねをかじながら呑気に旅している学生、一高の格好をしてますから、見た目にカッコイイ。片や教育のない踊り子、好きになってしまう。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月11日

言霊 布斗麻邇講座・ただ「アー」としか

る=在る
 それでは次のアの世界はどうか。ウとオのシガラミをスッと切った処の段階。シガラミを切ってしまいますと、ただ人間は「アー」と言うだけ。悟ったらただ「アー」。赤ん坊になってしまう。

と言うのは自分の心の根源の宇宙が分かる。あまりに素晴らしいので「アー」、私は何回か見たことがありますけど、初めて見た時には驚いてしまった、気が違ったのかと思った。

そのキレイなこと!キレイなこと!微粒子の氷のような、どんな宝石も比べ物にならないくらいキレイ、光の世界。私の先生にそのことを申しましたら「寂光」と教えて下さいました。寂しい光、ピカッピカッとではなく、おとなしい光。

その見た瞬間は心が和んで、もう何もいらない、もう満足だ、だから何も心が欲しがらない、と同時に「もう何も要らない」と言うのですから言葉が出ない。藝術と宗教がその分野。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月10日

言霊 布斗麻邇講座・今の貴方だったら、どう答えるね

飯食べてる時に「旨いかい?旨いかい?」と言ったら、聞かれた人間も旨いか、どうかも分からない。じゃ、どうしたらいいのか、過去が分からなくて、未来が分からなくて、現在が分からないのであれば人間、立つ瀬がないじゃないか。

「どうしたらいい?」、それが禅の公案、その問題に今の貴方だったら、どう答えるね、というのが、その公案のお答えを引き出す方法。

過去だけを引き出すのが「オ」ということを覚えておいて下さい。将来を絶対に語れないのがオの学問です。将来のことをオで語って当たった例がない。

株を売買する人に「明日はどうだね?」と訊いたら100%当たるようなことを確かに答えられる人はいない。当たるも八卦、当たらぬも八卦、買ってみなければ分からない、なんてことを言えば、売ることは出来ないですから「これはいいですよ」と勧める。口では何とでも言えますが分かりきったことです。それが当たるだろうと買うほうがどうかしている。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月09日

言霊 布斗麻邇講座・一瞬でも過去でなければ分からない

それには自分も相手も同じ神様(生命)の愛で包まれているという意識がなければ不可能です。その神の愛の意識でもって、これも人間の修行のために起こっていたことなのだと感謝の気持ちで受け止めれば、この時、尾っぽの作用は最高の次元に昇華されるのです。

「オ」というのは今此処で過去を受け止めている過去の全部の記憶と言うことが出来ます。これを「居る」と申します。自分が今此処に居るのは記憶を背負い、どんな偉い学問の世界も過去が今此処にあるがごとくに思い比べて、その関連性を辿っていく。

一瞬でも過去でなければ分からない。今起こったことは科学では分からない。禅坊主の話を持ち出しますと、「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」、不可得は分からないという意味です。

過去のことは過去に起こったことだから今は分からない。過去のことは過去に起こってしまって分からない。未来心、これから起ころうとする心も未だ起きていないので分からない。じゃあ、現在、起こっている心が分かるかというと現在中だから分からない。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

つづき
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2017年09月08日

言霊 布斗麻邇講座・もうこの辺で終わりにしませんか

パズルでなければ何の意味もないように思われますが、この尻尾。イスラエルとアラヴがモーゼの時代から三千年、それを切った、張ったで今でも争っている。始めは体一つしかなかったのに三千年も続くともう習慣になってしまって敵がいないと寂しい。

敵がいないと「俺はどうやって食っているのか」、絶対に仲良くしない、完全にもつれて、みんな尻尾のために続けている。「あの野郎がこんなことして!」この尻尾の世界、性能のことをコトタマ学では一字で「オ」と言います。

起こったことは失くなってしまっているのに記憶だけが残る。この記憶の世界を「オ」、尻尾の世界。この尾っぽは、永劫の昔から現代までの物事の癖。こんなこと、あんなこと、と言った現代まで歩いてきたここまでのことを人間各自が背負ってきた因縁の世界。

ここのところの因縁をどう受け取るかで将来が決まる。三千年間、ぶっ叩き、ぶっ叩かれた。人を殺したり、殺されたり、いい加減にしろよって。お前は俺を、俺はお前をぶっ叩いたけど、もうこの辺で終わりにしませんでしょうかって。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月07日

言霊 布斗麻邇講座・何の話をしてるのか?

天下の名僧といわれた兄弟が橋の上を歩いていた。そうしましたら向こうから絶世の美人が渡ってきた。二人共にあんぐり口を開けてしまって、兄はよだれも垂らして、言葉も出ない。

弟の方は過ぎ去るとハッと我に返って「坊主とあろう者が情けない」、兄は振り返って、美人の方を見て、又、よだれを垂らしてしまった。橋を渡り終わって、兄に弟が「兄さん、あまりにも不設楽すぎる、少しは行儀も考えろ。」

「美人を見てよだれを垂らすのは仕方がない、通り過ぎたならまともに返れ」と弟が窘めると、兄が「お前は何の話をしてるのか?」、美人をみてよだれを垂らしていたじゃないか、「あぁ、そんなことか。」

弟はそれから修行僧として兄にはとてもかなわないと悟ったという話です。
どこが違うのか、通り過ぎてしまったなら尻尾もないのですから、兄さんの方は忘れてしまった。弟は覚えていて「何であんなことをやるんだ」、どうして尾っぽだけが現れているのか。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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