2017年04月08日

言霊 言霊学講話・あるがまま

宗教は自分ならざる存在、神を認めること。そうしますと人間の合理性では掴むことが出来ないもの。むしろそれを逆に申しますと、人間の合理性をそこから与えられている世界を求めるようになります。

その宗教の世界、合理的ではないが実際に人間が生かしていただいている実力の世界。それはアの世界。生まれながらに具わっていますが、ただ自覚をしていない、ですが、ウオの下から上がってきましてアの世界を求めるようになります。

アの世界とは「ー」、形容が付かない、「イー」とは申しません。不思議だなと言う時には「オー」、不思議さがないと「アー」、宗教的な言葉には必ずこの「ア」が付きます。アーメン、阿弥陀(アミダ)、アラー等々。

日本語じゃないのになぜ「アーメン」なんだ、昔、「ア」という一字は世界語でした。宗教的な言葉には「ア」が付きました。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月07日

言霊 言霊学講話・物事を合理性をもって理解しようとすると合理的でないものに突き当たる

話に聞いたことがありますが、世界人種の中で効率を求めて止まないのはドイツ人だと。そのドイツ人社会では一番世界で迷信が多いのだそうです。私はドイツへ行ったことがないので事実かどうかは知りませんが、理屈では理解が出来ます。

物事を合理性をもって理解しようとしますと、合理的でないものに突き当たります。この合理的でないものは合理的な考え方の一番の限界です。そこに迷信というものが起こります。

野球選手も優勝するまで髭を剃らないなんてことを言います。でも、優勝することと髭を剃らないことは何の関係もございません。でもそれに頼らざるを得ない。一生懸命練習して、これ以上練習のしようがないほど練習したけど、だから勝つというわけでもない。

では、験を担ぐ、いわゆる、合理的でないものに頼ることになる。それに頼らないとなんとなく自信がもてなくなる。又は、この道を通って球場へ行くと負けるということで、この道は通らないというような野球選手も多いようです。これは不合理です。

ですが、その合理性を求めて他の人間宇宙があるのではないか、その世界を求めると、これは宗教というものに突き当たる。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月06日

言霊 言霊学講話・不合理なウとオの世界

この「ウ」の宇宙から人間の性能として何が出てくるかと言えば、五官感覚(眼耳鼻舌皮)によって知り得る心の世界。この宇宙から広く進展しますと、人間の営みの産業経済活動が起こります。

その次の段階である「オ」の宇宙は、五官感覚で捉えられる出来事AとBをどのような関連があるのかを考える宇宙。何故「オ」の宇宙なのか。物事の関連を考えるには、自分が体験した心の現象を思い起こす。

一秒前に起こったことを今現在に記憶を呼び覚まして、それを頭に止めて、その関連を調べていきます。記憶と申しますのは尻尾、過ぎ去ったことは尾です。これは広い意味で学問、これは経験知。経験したことの記憶を思い返してその記憶の関連を調べる。

人間と申しますのはウの宇宙とその関連性を求めるオの宇宙だけに目をやりまして世の中に生きておりますと、世の中は矛盾だらけだと気が付きます。どうしても理屈に合わないことが世の中にあり過ぎる。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月05日

言霊 言霊学講話・心の宇宙

この目に映る宇宙は物質的な現象界の宇宙、その現象がどうして出てくるかを分析しますと、分子、原子、原子核内の動きから、一つの物質宇宙もそのように段階的に見ていきますと大きく分けて何階層かの宇宙にも考えられます。

宇宙を観る目は、目で見た宇宙、科学的に分析して原子の段階に目を据えた宇宙。もっとそこから進めていきまして、陽子、中性子、又は16乃至17のコークから物質宇宙を見るとどうなるか。そのように幾段階かに分けますと分かります。

人間の心の宇宙も大きく分けて五つの次元の宇宙(ウオアエイ)、五つの段階を持った宇宙であることが分かってまいります。この五つの宇宙に人間は生まれた時から住んでいます。その宇宙が何であるかを知らなくてもその五つの宇宙に住んでいます。

但し、その宇宙がどういう段階かの疑問を起して、それを知ろうとするならば、一つの方法しかございません。それは目に見える現象として出てきた宇宙を考えれば、身に感じる宇宙は「ウ」の宇宙。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月04日

言霊 言霊学講話・同じ宇宙の住処

人間はそれを可能にする心境までいくことが出来るのかをまず説明した上で、その心境に至った時はこういうことが可能になるということから「禊祓」を説明することにいたします。

毎度申し上げることですが、人間がオギャーと生まれた時から五つの性能を授かって参ります。古代の日本人はその五つの性能に対してアイウエオ五十音の五母音をそれに当てました。

アイウエオという五つの母音を持って人間がこの世に生まれてくる時には、どういう性能をいただいて生まれて来るか。言い換えますと、人間が住んでいるそこにある宇宙はどういう宇宙なのか。

外にある宇宙は一つしかございません。この宇宙に対して人間が「お前の見ている宇宙と俺の見ている宇宙は違う」と言ったら笑われます。一つしかない宇宙ですから。但しこの宇宙にも分析しますと色んな宇宙がございます。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月03日

言霊 言霊学講話・人間社会の文明をどのように創っていったら良いかの行い

どういうことか、自分がこの世の中に居て、社会に出て色んな事を経験いたします。その経験したことを基にして、人間社会の文明をどのように創っていったら良いかの行いです。

今の政治家が聞いたらあまりに大きなテーマですからひっくり返って気絶するんじゃないかくらいの考えです。それでいて実行するには、世界中を飛び回らなければ成就しないのか、出来ないのか、と言えば「さにあらず。」

今此処から一歩も動かずして、心の中心に住んでそれを実行することでございます。

その方法は話しが進む内にご理解いただけるのではないかと思います。そういうことをするには、どういう心境であれば可能なのか。それを前提にお話ししておりませんと、物事がおとぎ話になってしまいます。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月02日

言霊 言霊学講話・ミソギバライとは

それはこの言霊フトマニに携わってきた時から目指してきたことです。簡潔に物事を理解していただくにはどうすれば良いか、自分が経験してしまう、自分の心の中で禊祓の行を実際に体験すれば理論は要らず「こうやるのですよ」と言えば済むことです。

それを目指して老躯に鞭打ち励んでおります。分かったところをそのまま、その月にお伝えしていき、私が何時あの世に行ってしまっても言い遺したことがない状態になれば素晴らしいと思い、お話しを申し上げます。

では「禊祓」とはどういうことなのかの理屈は何回も申し上げております。今回はなるべく例をひいてお話させていただこうと思います。

「禊祓」とは昔の古神道の言葉ですから、滝に打たれ、冬に冷たい水を浴びるといった、自分の心に付いた罪穢れを祓うと現代人は思っております。昔の禊祓と申しますのは、そういった行とはまったく別です。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年04月01日

言霊 言霊学講話・人類にとって最高の藝術であって最高に難しいものは何か

一週間ほど前になりますが、古事記の古神道の総結論になります禊祓の行、最も真実に近いと思われるやり方の朧気ですが感得いたしましたことを、今月と来月、二回に亘ってお伝えを申し上げようと思います。

もし、今月と来月で私がお話申し上げる事が出来たら、それは世の中にとって素晴らしい何かの転換の芽が出て来るはずのものでございます。人類にとって最高の藝術であって最高に難しいものは何か。

それは人類文明をどう創るか、人類の社会をどのような社会にしていけば良いか、これは高度な政治的な問題であると同時に、高度な藝術活動でもあります。社会において人間の一人一人が一つも自由を束縛されず、それでいて総ての人が満足していく社会を創ることが出来るなら、これほど素晴らしい政治活動、藝術活動はないはずです。

それを可能にするのが古神道の禊祓の行法です。「禊祓というのは簡単に言うとどういうこと何ですか?」の質問を何人かの方々から訊かれまして、一番難しいことをお話するのに一番難しいのは簡単に申し上げることです。


言霊学講話「禊祓」(H16年5月・会報192-01)

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2017年03月31日

言霊 言霊学講話・「知らない」ということを自分で決めるわけにいかない

アを自覚して、相手のワをも自覚して、「こうすれば成就するよ」と予言できる心の運び。その運び方の中で、何処が自分も相手にもヒカリが差し出すかは「ナ」。このヒカリが差す処が今まで全然分かりませんでした。

理論的に捏ね回して理解しておりましたところ、そんなものが吹っ飛んでしまって、悪人がそのまま善人になる、「カ」ーッと心に焼き付きますと、ありのまま、そのままで光の歴史の中で取り上げられる。

昔のスメラミコトはこの方法で政を行っていた、この学問は「知らない」ということを自分で決めるわけにいかない。何故なら私が知ったわけではありません、皆さんに私も教えられているからです。

勉強されて「あの時、あの野郎が言っていたのは、ここだったんだな」とお分かり下されば私は光栄でございます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04了)

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2017年03月30日

言霊 言霊学講話・ヒカリを何処で自覚できるのか

このやり方の道は禊祓として書いてあります。再肯定するのですよとは書いてございません。再肯定する段階でヒカリが差し込む。自分の中のヒカリが発散することを自覚する。

古事記に書いてあるヒカリを何処で自覚できるのか。神直日(かむなほび)、大直日(おほなほび)、伊豆能売(いづのめ)というところです。

石上神宮の布瑠の言本(ヒフミヨイムナヤコトモチ_ロラネシキルユヰツワヌ_ソヲタハクメ_カ_ウオエニサリヘテノマス_アセヱホレケ)日文四十七文字の何処がそのヒカリに当たる部分かと申しますと「ソヲタハクメ_カ」というところです。

futonorito.png心の底から「ー!」っと何をすべきかが分かってきます。その「カ」を三段階の(ウオエニサリヘテノマス_アセヱホレケ)といたします。その最高の精神構造に立ってくるアセの父韻の並びは「ア・タカマハラナヤサ・ワ」。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月29日

言霊 言霊学講話・父母は子供を愛で包みながら行くべき道を指し示す

この人間が持っている本生の智慧の根本を神として崇めて、人間には具わっていない外のものとして信仰が成り立つ。神は「自分だ」としたら、アのお母様、イの働きの父韻がお父様、両方揃うことになります。

子供を愛で包みながらそこへ行くべき道を指し示す。それは本来の父親がする仕事でございます。父と母が完全に調和するとお子さんは育っていく。

アでは知識を「NO!」と否定しました、エの段階では肯定します。ただ、ここでは道を指し示すために肯定するその道とは言霊の原理です。言霊の五十音に照らし合わせて、今まで自分がやってきたことを「NO」と言った経験知をもう一度見直す。

これは分際がある、一定の限度がある知識だとして否定したわけです。その限度とはどういう限度なのかを五十音に当てはめる。今度は再肯定をする。これが上に上がっていく道です。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月28日

言霊 言霊学講話・イロハとカゾ

一千万年経とうと絶対に変わらない、一つ覚えたものは人間が死んでからでも言葉としてズーッと残ります、保証します。否定して何にもなくなる時、自我と申しますのは、自分が仕入れた良し悪しの知識の総量です。それを否定したら自我がなくなり、アの宇宙へ飛び出す。

アのお母様の愛はお子さんがどんなに無茶なことをしても「よしよし」と言って、初めからガンと叱らない。何とかおとなしくさせよう、良い子にさせよう、自分の身を切ってでも子供を助けようとするのがお母さんです。

でも人間の性能はその愛だけではございません。愛と同時に、お母さんだけでは子供は生まれません、お父さんがいる。昔、「イロハ」と言えば母親のことを謂いました、父親は「カゾ」(数)と申しました。

何通りに変わったとか、数は現象の変化を表わします。永遠に変わらないものには数はございません。現象の変化に付随するのが数、その数が父親です。ということは母親を刺激して現象を表示させる父親の働きである八つの父韻が父親です。

キリスト教はこの父の名、八つの父韻を「天にまします父なる神よ、御名を崇めさせたまえ」と最高の祈りにしています。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月27日

言霊 言霊学講話・相手ではなく自分を変える

「人を殺すなかれ」というのは真理です。どんなことがあったとしても人を殺すことはいけません。ですが、「打て!」と命令されて逆らえば、アメリカでは営倉に入れられて銃殺刑です。もしくはキャンプに送られて重労働を課せられる。

自分の持っている学問は一般全部には通用しない、ここからここまでという限界があるということを自分に言い聞かせなければなりません。その行為を禅では「無」と申します。

この考えは全般には通用しない部分的真理である、理論的な方は相手を批判する、だからぶつかり合う。自分の考えを「NO!」と否定して、相手ではなく自分を変える、これしか方法はない。

オの理論からアへ上げるには「NO!」、どんなに立派な理論であっても。でも、安心して下さい、「NO!」と否定してもその学問は消えてしまうわけではありません。人間は一度覚えたものは脳裏から消え去ることはありません。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月26日

言霊 言霊学講話・経験知を否定する

ウからアに行きますのには、ウを合理化するのがオの学問であると申し上げましたが、オの学問は「生命とはこういうものだから、こういうことをお遣りなさい」という学問じゃない。

こういう物を見た、ああいうものを見た、その関連を自分で考えた結果を発表する学問です。ですから、これがうまく行って最後の発想の段階へ行くのが理想です、「考える」語源は「神返る」です。

神に返るということは、「ああでも、こうでも」と自分の考えの中から、人間本来の頭の性能と一致するのが学問の理想です。けれど「神返る」までに至らない考えですから、自分に都合良くても、他人には都合が良くないことに成りかねない。

ですからアの段階へ行くには、私が経験した理論は、一般人総てに通用しないということを自分に言い聞かせる。全然違うということではなく一般的なこともたくさんございます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月25日

言霊 言霊学講話・ヒカリの言葉の並びとは

「ア・タカラハサナヤマ・ワ」の父韻の並びは、自分(ア)が相手(ワ)に接する時の人間の知性である印象を与える力動韻は「マ」で終わります、相手がどう反応するかは未知数です。(ア・タカラハサナヤ・ワ)

ところが、先ほどの「霊諸招」(ひもろぎ)と申しまして、総てを引き寄せて諸文化が活きるように、世界文明の一役を担うように、息吹を与えて、人類文明を創造していくスメラミコトの父韻の並びが「タカラハサナヤマ」では出来ません。

このヒカリについて書こうとしたら神懸りになって、書いている自分の意図がなくなり、こういうことを書こうとして書きだしたのに、分からなくなった、だけど書ける。変なことになってしまって、どういう文章が書けるのか自分で分からなくなった。

書き上がった文章を読み返しましたら、俺よりもいいや、こんなこともあるのか、不思議にも自分で全然気が付かなかったことが書いてある、誰が読んでも分かりやすいや。(笑)ご興味あれば会報の三月号をお読み下さい。

そうしましたら、自分が今までやってきたことが、そのままスーッとヒカリを説明する人生を今まで歩ませてもらったなという答えが書かれています。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月24日

言霊 言霊学講話・初地の仏

芸術家か宗教家はアの本生を自覚していないと「タカラハサナヤマ」の話し方は出来ません。けれど阿闍梨、阿羅漢の「初地の仏」は仏の位で言えば最下位です。では、何故「初地」なのか。仏陀でありながら本当の仏陀じゃない。それが「タカラハサナヤマ」の並びが表わしています。この言葉の並びは相手がどう思うか。

「ワ」というのは真正面に向い合って抱え込もうとする。その人を動かそうとする、相手がどういう経歴をしてどんな心を持っているかが分からない、アの位では分かりません。個人的には愛で臨みますと人の心はほぐれてくるものです。

愛の象徴として「右の頬を打たれたならば返って左の頬を打たせてこれを受けよ」、ビシャーっと打たれたら、さぞかし御手が痛かったことでございましょう、よろしければこちらも「どうぞ」、そう言われて打つ人はほとんどいません。

斬られようとしたら「どうぞ」、盗人にそれだけでは何ですから、こちらも「どうぞ」、というように宗教家には有りがちな行為です。自分よりも他人と思えば。でも、愛情は注いで大変だなと慮っても相手次第。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月23日

言霊 言霊学講話・アは世界語

それを千日間回峰しても無事に、最後の九日間は飲まず、食わず、横にならず、眠らず、これからにして人間業じゃない。医学的に言いますと六日間眠らないと死ぬといいます。それでいて生き延びた時、人間業ではないということで「阿闍梨」の位を授かる。

この苦行を自分がそんなことをしたとは思えない。にも、係わらず生きているのは、この自分は自分じゃない「阿闍梨」である、サンスクリット語でアを知った人という意味です。アは世界語です、阿弥陀、アーメン、宗教語にはアが付きます。

阿闍梨はキリスト教の用語では「アノインテッド」(Anointed)、日本語に訳しますと「油塗られし者、アの言葉(ぶ)を自由に使いこなす(ら)人、どんな人にも慈悲と愛の心で接することが出来る人。

takara.pngアの真髄を知っている人の職業は芸術家か宗教家です。この方の父韻の並び方は、自分が居て、他人が居て、どういう手順で話すことが出来るか。それは「タカラハサナヤマ」(宝音図)と並びます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月22日

言霊 言霊学講話・意識で捉えられる自分は現象に過ぎない

「あいつは変なセーターを着ている奴だ」と言われて会いに行ったら、水色のセーターを着ていた、だから「あいつ」じゃないとは言えません。俺という、私という者の真実は何かと言えば、現象にあるわけじゃなくて、そういう現象が出てくる本体が私です。

それでは、その本体って何だ、こうなりますと分からなくなる。色即是空、空即是色、色(しき)は「いろ」ではございません。目に映るもの、意識で捉えるもの総て。色で捉えられないもの、これが空(くう)。

意識で捉えるものに拘るから「アンチクショウ、コンチクショウ」ということになりますが、意識で捉えられない空(天名〔アナ〕)で捉えますと世界総人口共通です。変わるのは言葉に組まれたところから個性が出てくる。

本生の空は変わらない、その変わらない段階をアと申します。アを知った方とはそういう方です。千日回峰行をした方は道なき凸凹の山道を駆け足で駆け抜ける、千日間続けるのですから、その間にどこか怪我をしたら、そこで終わり。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月21日

言霊 言霊学講話・自我と真我

人間は過去をヨイショと受け止めてこれをどう処理するかを決めるのは現在。その現在を学問では分からないから過去だけを調べる。株屋がどうして株がわからないのか、経済学者がどうして株を買わないのか、わからないから。

じゃ、将来がわかるとはどういうことなのか。ウとオは因果、原因、結果ということです。こうするとこうなるよ、過去についての法則がそうなるよ、それがわかるのはアという段階でウとオというものがわかってきます。

そしてアの段階は仏教では「初地の仏」(しょちのほとけ)、「阿羅漢」(あらかん)、又は「辟支仏」(びゃくしぶつ)と申します。アを知っている人「阿闍梨」(あじゃり)、比叡山の千日回峰行を二回も行ったお坊さんは阿羅漢の位を授かった。

阿闍梨の位は明治時代以前では天皇の宮殿に草鞋を履いたまま上ることが出来た尊い位とされました。ただし、そのアの位に上りますと、お前は誰だい?「俺だよ、俺だよ」という自我と、本当の俺、私を、どこまでも突き詰めて行きます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月20日

言霊 言霊学講話・将来を決定するのは過去ではない

ウオアエイの人間の精神的な進化につきまして手短にお話を申し上げます。ウは欲望ですから何方でも持っています。「武士は食わねど高楊枝」というのは馬鹿、「食わねえぞ」なんて言っているほど欲しい。

その欲望がどのようにした合理的に達成できるかを考えるオの学問、経験知。オは尾、尻尾、勉強するには既に起こってしまったことを頭で思い返して、その思い返したことを関連付けて法則を作る。過ぎ去ったことはもう「ない」ことですから尾です、生命の玉の緒と申します。

ですから尾っぽの学問、今を考える学問ではございません。過去のものを頭に想起して、思い返して、その関連を調べるのが科学。科学は物ですから思い返した物を再現できます。

人間の他の精神的な学問は総て再現できません。歴史を再現することはできません。ですから歴史学は将来「こうなる」ということが言えない。将来を決定するのは過去ではありません。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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