2017年10月19日

言霊 布斗麻邇講座・二道

精神的な原理はコトタマの原理で完成されております。これ以上突き進むことは人間が人間である限り出来ないと思います。物質の研究はこれから限りなく進んでまいりますから、どういうことが起こるか分かりません。

まず、コークスという観念が出来まして、それが16だとすると、コトタマの先天構造が17、伊耶那岐命と伊耶那美命は一つになって伊耶那岐の大神となりますから16、そこで全然、相容れないもの同士ではあるけれど、16という数でもって出合うことになりますが、同じものではなく(二道)、正反対のものとして出合うことが証明されます。

そのようなことから伊耶那岐命は高天原へ帰りまして、伊耶那美命の黄泉国の性質を、十拳剣でもって尻手に振って十分に分かりましたので、今度は伊耶那岐の大神となり、細君の伊耶那美の大神の心の構造を全責任において取りまとめ、精神と物質共に人類文明を創っていくためには「どうしたら良いのか」ということを理論的に証明して検討していく段階になります。

この段階の作業を「禊祓」と申します、今の神社神道では瀧を浴びたり、水の中に入ったりするのを「禊」、あるいは「祓」と言って、自分の心の清めと考えられておりますが、古神道、コトタマ布斗麻邇とはそういうものではありません。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月18日

言霊 布斗麻邇講座・結界

現代の学者がやりたくてしようがない、生命と物質とは根本的には一つの道理になるに違いないとして、証明したくてしようがない、でも、そうはならない、突き放してしまった。

昔の人がどうしてこのことが分かったのかは分かりませんが、結論が出ている、それが第五章の「黄泉国」の物語でございます。

次に高天原に帰ってきました伊耶那岐命は伊耶那美命達(物質的な研究をする人達)は絶対に此処から高天原へは入れないよと言って「言戸の渡し」である言葉の関所を設けてしまいましたから、純精神的なものの考え方でないと高天原へは入れないようにした。

四隅にしめ縄を張って(結界)中に神主が入り幣を振ります、こっちからは魔物が入らないように。これは言戸の渡しを今の神社神道が使ったのです。

もっと古神道ではコトタマの原理は鎮魂の魔物というのではなくて、心と物ということに関して厳格な区別をつけたのでございます。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月17日

言霊 布斗麻邇講座・離婚宣言

千三百年前に太安万侶さんは「究極の心理学と物理学とは永遠に一つにはならないよ」と宣言してしまった。ところが、今の学者さんは「一つ」を証明したくて、頭の良い人ほどやりたい。

でも、そうはならない、そのために「言戸の渡し」と言って離婚宣言をするのです。言葉の戸を渡す、言葉が通用しないように正反対になっているということでございます。

伊勢神宮に伝わる古歌がございまして「神路山深く辿れば二道に千木の片削ぎ出合いなまし」。千木というのはご存知ですね、神社の屋根に付いてます。

chigi.gif
千木は内削ぎと外削ぎがあります、神路山と申しますのは伊勢神宮の裏にある山。ズーッと深くコトタマを深く辿っていきますと、心理学の演繹法(内削ぎ)と物質科学の帰納法(外削ぎ)は二道で出合う、一つにはならない、伊勢神宮に神様としてお祀りしている時から、古歌として遺っている。

布斗麻邇講座「心の宇宙」(H18年5月・会報216-3)

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2017年10月16日

言霊 布斗麻邇講座・分かれるから分かる

心と体に分けましたから調べられる。又、この宇宙を精神と物質に分けた、それでも調べられる。何千年とかけて分けまして、心の全容の最終要素はコトタマだと分かった。物質は人間の体として調べたら遺伝子のDNAが最終局面の真理だと。

又は、物質界の最終要素はコークスであると原子物理学で調べれば「一つ」である同じものを、内に調べていったことと外に調べていったこととが同じ結論として出るだろうと誰しもが思う。

私が三十代の頃、そういう学問を一生懸命勉強しました、何とか一緒(一つ)にしたいから。そういう世間というものは狭い。「俺もやっているんだ」とおっしゃる方がいっぱいいらして。よく喋ったものです。

願望として、同じものを分けて逆の方向へズーッと行って、これ以上調べられない究極のところまで極めて、心はコトタマ、物はコークス、一つになった時にピタッと合うか。

こんなことを言ったところで、物理学者や遺伝子学者はせせら笑うかもしれませんが、でも、皆さん、そう考える他ないのです。そうしますと、千三百年前の太安万侶さんには一つにならないことが分かっていた。だから「言戸の渡し」と書いた、一枚となら掌の表と裏にはなる。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2了)

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2017年10月15日

言霊 布斗麻邇講座・永遠の離婚

なかなか、とっ捕まれないので伊耶那美命自身が追っかけてきます。とうとう此処から先は黄泉国、此処から向こうは高天原の境に置かれた「道引きの石」(ちびきのいは)、字を調べるのを字引と申します、道を調べますから道引き。

高天原と黄泉国との間に置かれた道引きの石を挟んで伊耶那岐命と伊耶那美命は相対峙いたします。伊耶那岐命はコトタマの精神的な要素で調べる方法と、物質科学のような物質を調べる方法は、まったく性質を異にして正反対の考え方であって、これはどんなに物質世界が完成に近づいても同じになることは有り得ない。

ということから伊耶那岐命と伊耶那美命は「道引きの石」を挟んで離婚宣言(言戸の渡し)をいたします。一年経ったら又仲良くしようね、というような生易しいものじゃない、人類の頭脳上の離婚ですから永遠の離婚。

物事は一つの生命ですから、一つです。ところが人間はその一つの「生命」を調べることは出来ない。生命は人間の思考の対象外、だから尊いとも言える。生命を調べるために分けた。分けなければ分からない、どのように分けたか、心と体に分けた。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月14日

言霊 布斗麻邇講座・尻手に振りながら逃げ帰る

そうしますと、伊耶那美命は「見てくれるな」と言ったのに見てしまい、そんな蔑んだことを考えるのは不届きだと、首っ玉を捕まえてでも私が黄泉国を完成させるまで高天原へは帰らせないと、色んな手下を使って追っかけてきます。

捕まっては大変だと伊耶那岐命はただ逃げ帰るのではなくて良いことをして逃げ帰ります。

剣(判断力)は柄の方を持つのが正常な使い方ですが、刃の方を持って柄の方を「尻手」に振って高天原へ帰ってくる。どういうことかと申しますと、演繹的ではなくて帰納的に、こっち側の始めから向こう側の終わりへ行くのが本来だけれども、終わりの方から始まりに帰る調べ方をして逃げ帰ります。

逃げ帰りながらも物質というものを調べる学問というものは、高天原の主体的な学問とでは何処が違うのか。高天原の学問で吸収できるのかどうかを調べながら帰る、それを「尻手に振る」と申します。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月13日

言霊 布斗麻邇講座・俺が、俺が

そうなってきますと宇宙へ飛び出して行ってもそれ一つで間に合うようなものが出てくるかもしれません。一つの物が出来たと思うと次から次へ新しいアイデアが生まれる、アイデア同士が喧嘩して、我先に、我先にと出て来る。

そうしますと、長い間高天原にいた「お先にどうぞ」の精神世界から観ると、何とも居づらい、生きにくい、年中闘っていなくてはならない、年中「俺が、俺が」と主張しなくてはならない。

東京都がまとめてゴミを廃棄するに指定のゴミ袋に入れて出すことになったら、反対する人は「ゴミを見るとどんな生活をしているかが分かってしまう、プライバシーの侵害だ」って。今はそのように言う人はおりませんが、やり始めた頃はすごい論争が起こりました。

どんなことも「プライバシー」、咳一つでも俺は他の人とは違う、クシャミ一つでも違う、と言ったような「俺は、俺は」の高天原にはないことを黄泉国ではサンザンパラやっているので「これは、これは、こんなところに長くいるもんじゃない」と慌てふためき驚き高天原へ帰って行きます。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月12日

言霊 布斗麻邇講座・会いたさ見たさ

ということから第五章の「黄泉国」は客観世界へ帰っていった伊耶那美命に会いに高天原から出かけていって、其処で伊耶那岐命は伊耶那美命とチャンチャンバラバラ、ものすごい家庭内紛争を起こします。

伊耶那岐命が黄泉国へ出かけて行きますと伊耶那美命が「未だこの国は高天原と違って出来上がっていない新しい国だから、貴方から見れば見苦しく思うでしょう。だから、中を覗かないで下さい。その内、この国を何とかして形にしたら貴方を呼び入れますから。どうか見ないで下さいよ」と中に入ってしまいます。

ところが、伊耶那岐命は「会いたくて、会いたくて」来たのに、中を見ないでくれと言われても、情熱の赴くまま少しはいいだろうと、垣間見たのでしょうな、今でもそうでしょうが、昔は尚更のこと外国の文化、学問は争いだらけ。

こうしよう、ああしようの工夫やアイデアは色んなものが出てきます、今の世界と同じです。ケータイが出てきてそんなに経っていないのに、TVが要らないような、地球の何処でも電話で話が出来て映像も観られるものが出てきました。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月11日

言霊 布斗麻邇講座・自証

最期に和久産巣日の神の子を更に検討していき、伊耶那岐命の心の中だけの問題ですが、主観的に人間の持っている最高の精神構造は之より他ないだろうとハッキリ確定されます。この心を建御雷の男の神(タケミカヅチノヲノカミ)と申します。

この世に生まれてきた人間が苦心努力した結果、最高に世のため、人のためにはこれ以上の心の持ち方はないという構造でございます。それが天津太祝詞音図です。それを器物として取り扱っておりますのが、伊勢神宮本殿の真ん中にお祀りしておりますのが八咫の鏡です。

iwasaka_A-B.gif八咫の鏡とは五十音を八咫の鏡になるような図にまとめたり、立体的な形にしたものです。五十音を8つの方向に展開する形にしたものです。天照大神の精神構造を表わします。(図参照)

八咫の鏡が出来上がりましたので、自分としては心の中で持つ心の構造として之は最高の構造だと確信はございますが、証明がない。自分の心では証明したのだけど、主観的な証明だけで、他人の心に成就するのか、何処にいても通用するかどうかは分からない。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月10日

言霊 布斗麻邇講座・コトタマの整理活用

その生まれでてきた三十二のコトタマ子音が、人間の心のどういう構造になっているのか、一つ々々がどういう働きをするのかを整理整頓して活用する方法を独りで考える作業に入ります。

これが生まれでてきたコトタマの整理活用の仕事、これは第四章。

どういうようにコトタマ子音を並べたら人間の心にピッタリとするのか、大雑把に並べましたのが「和久産巣日の神の子(ワクムスビノカミノコ)」、天津菅麻音図のことでございます。

何だかわからないウニュウニュと湧き出ている得体がしれないのを、これくらいにコトタマをまとめたら何とか格好がつくかな。天津菅麻音図と申しますのは、オギャーと生まれた赤ちゃんが授かっているコトタマで表した心の構造のことです。

赤ちゃんですから社会に対するクリエーション(創造)がございません。父韻の並びも明らかでない音図です。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月09日

言霊 布斗麻邇講座・この世とあの世

第四章は、伊耶那岐命と伊耶那美命が一緒になって子を生んでいきたい、子種が尽くされもう生めなくなり、奥さんの伊耶那美命は「子種がなくなってしまったので私は帰ります。子供を生み尽くしたのでこんな所にいても面白くも何ともない。」要するに「本来の国へ帰ります」と言って黄泉国へ帰ってしまいます。

今の国学者は伊耶那美命が黄泉国へ帰ることを、黄泉(こうせん)と読んで、あの世へ帰ってしまったと説明します。飛んでもない、あの世は幽霊、そうではなくて、主体とする心の世界ではない物質世界の客観世界へ帰っていった。

黄泉国、「よ」は予め、「も」は母、「つ」は津、渡す、予めの母が活動する国。父が主体とするなら母は客体です。物質世界を研究する領域ということになります。

伊耶那美命は「子供が生めないのならここにいても意味がない、私がいた本来のあの世へ帰ります」と言って帰っていった。「帰りたければ帰ればいいよ、俺が後から追っかけるから」と旦那の伊耶那岐命は独りだと寂しいので何かしなければということから。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月08日

言霊 布斗麻邇講座・島の振り分け

配分の位置が決まりましたので第三章では先天構造が開始しして、生み出されていく三十二の子音の生み方が話になります。三十二の子音は今から私が申し上げる順序で生まれてまいります。

タトヨツテヤユエケメ クムスルソセホヘ フモハヌ ラサロレノネ カマナコ、三十二の子音でございます。この子音が出て来る島が前から含めて三つございます。

先天が組み込まれる心の位置が5つ、子音が組み込まれる心の位置が3つ、合わせて8つになります。これ等で人間の生きているコトタマの全部。生きているコトタマの位置する所が8つの島になります。

ということは、それらの島から出来た日本語で暮す人間が「大八島」の8つ。日本には本州、九州、四国、北海道、淡路島、佐渡ヶ島、壱岐島、というように昔の人が何かをとって「大八島」と申します、それが第三章です。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月07日

言霊 布斗麻邇講座・己の意識

第二章は第一章の神様で示された十七のコトタマが「我」という自分の意識を持つようになるには、どういうことをもって意識出来たのか。宇宙の先天構造は人間の個性を離れ大本の心の宇宙が発動して先天構造を創りだす。

その活動によって「己」という、さっき申しました金毛九尾の己ではないですよ。自分という意識を持つか、どうかを第二章で説かれます。その二章の時に「島」を生みます。それは心の「締り」という意味です。

「取り付く島もない」と言います。「取り付く島」ですから、どうにもならない時に「溺れる者は藁をも掴む」と申します。その「取り付く島」、何かを発想するにあたってはここを起点に何かを考え出そうとしようという時に「島」あるいは「締め」を生み出します。

その「島」は先天十七言霊が活動し三十二の現象子音を生んでいきます。子音になりますと物事が出来上がってくる、形として現れ出る最小の三十二の要素。その子供の現象子音を生むにあたって、心の宇宙の何処を締めて生まれでてくるのか。

心の中の宇宙が始からどこに拠点をおいてその子音は活動するのか。根拠となる島を生んでいきます。それが第二章、島の名前、その島にどういう子音が根拠とするのかはその都度申し上げます。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月06日

言霊 布斗麻邇講座・無意識の証明

将来、総人口の一億人くらいしか分からないであろう、そのピカピカっ、泣いたり、怒ったりしているその基はどういう構造から始まっているのか。「この野郎」と言ったり、「楽しいね」と言ったりしている。

言葉を発する前の脳の働き、先天、人間の五感感覚では絶対に分からない。ちょうど今の原子物理学が原子核内の人間が目視出来ない電子や中性子、陽子、16個のコークスという根源に近い存在があるようです。

誰も見たこともないものを想像上に仮説を立てて、それが色んな実験の結果、そうであろうと思うことが証明された時、初めて世の中に「コークス」なる物があると証明が出来る。

実際に見なくとも証明していくのが現代の原子物理学のやり方です。コトタマの原理も同じです。今から一年万前に何万人、何百万人か分からないけれど賢者が集まって、何百年、何千年と研究した結果、この原理が成立した。

つづき
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2017年10月05日

言霊 布斗麻邇講座・古事記の筋立て

古事記の12頁でコトタマ学総てを、どういう順序でどういうように述べているのか、お知りになっておけば、古事記はこんなに面白い物語で出来ているんだな、始めから終わりまでズーッと見通せるように考えられるのではないかと思われます。

急ごしらえですが古事記の話の筋を一章、二章と分けてお話しようと、それから本文に入って行けば、私のお話が分かり易くなるのではないかと思いますので、一章からどういうように古事記が運ばれているかをお話させていただきます。

【第一章】
人間が「綺麗なバラだなぁ〜」、言葉として心の中で表現します。表現するということは、必ず頭の中で色んなことが起こって、どういうように表現すればいいかなと考えて「綺麗だな」と、ピカピカっとしてからゴロゴロと鳴る言葉の前に何秒かかかる。

昔の人は言葉を雷に喩えました。古事記に「神鳴り」という神様の名前が時々出てまいります。ピカピカっとする処、人間には何時どんなことが起こったのか一生分からないでいる。

布斗麻邇講座「心と体」(H18年5月・会報216-2)

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2017年10月04日

言霊 布斗麻邇講座・私という観念

概念に拠る見方は三角形(正反合)、禅語に「地球壊すとも彼死なず」、この地球が吹っ飛んだとしても宇宙(彼)は何ていうことはない。宇宙全体では新生あり、死滅ありでも、のほほんとしている。その宇宙の目でみれば物事の実相がよく見える。

例えば卓上の花を経験知で観れば、葉っぱの色はグリーン、ちょっと薄め、学者の目から見れば。正反合、正反合の三角を次々と作る。ところが宇宙(円)を埋める三角は隙間が出来る、その隙間には何が入るのか、抜けた所には何が入るのか。

それは金毛九尾、「これは俺の意見だ」、「俺」という言葉が入る。お経の本が出たとします、その新聞の広告に「素晴らしいお釈迦様の思想」、その「思想」って何ですか?

1+1=2は思想ではありません、真理、誰が見ても真理だから「真理」です。ところが「思想」は違う、お釈迦様の「思想」、私の「思想」はどうなんですか?

刺しにはやっぱり「てぇ」が良いよ、江戸っ子は刺し身を「てぇ」と言います。何がなんでも目出度い時は鯛の「てぇ」だよ。いや、俺は鰤だな、正月は鰤、いや、鯛でいい、その差が出ます。たくさん考える人ほどこの隙間が出来る。

どうして「金毛九尾」と言うのか、十尾でないのか、地球上の総ての人々の空白な所、実相が見えない所に「俺」という観念が入る、「私」という観念。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1了)

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2017年10月03日

言霊 布斗麻邇講座・月の光では薄ぼんやりとしか見えない

冷たいものを持ったら「おー、冷たい」、熱いものを持ちますと手を離します、「熱いなぁー」と持っている人はいない。どんなに教育のない人でも焼け火箸なんて持ったら「アチッ!」と言います。

持って熱い、冷たいを感じるのは五感感覚によるウの智慧、それらの関連性を調べるオの智慧、感情を持って見るアの智慧、それらをどう繋げていけば完璧に捉えることができるかのエの智慧、捉えたものを言葉として表現するイの智慧。

概念の智慧とはまったく違います。今朝も今日は講習会があるので、色んな人に手紙を書いたりして、早めに出ようとして仕事を片付けようとしていて、今の人がクレーンに乗って物事を見る見方と天之御柱の智慧の見方ではどう違うのかなと考えておりましたら、ハッと気が付きました。

これは世界初の発表ですから(笑)。概念と申しますのは月の光なので薄ぼんやりとしか見えない。実相が分からないですから、天之御柱が立った物事の味方とではどう違うのか。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年10月02日

言霊 布斗麻邇講座・勉強してもしなくても持っている大本の智慧

それならこう覗けますから、そして便利な機械も出来ました今。と同時に現代人は概念でもって物事を考えようとします。それは誠に便利ですが、落とし穴がある。それは生まれて此の方までに習った経験知です。

経験知でもって物事を見ようとします、どんなに偉い人でもそうでない人でも経験知でもって考えようとします。ところが、昔の人は経験だけでもって見ていないのです。経験知があると知ってはいても考える時には脇に置いて、いわゆる般若。

「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦・・・」般若心経ってありますでしょ、智慧、あの世の智慧、極楽の智慧、仏教では「般若」と申します。儒教では木火土金水、言霊ではアオウエイの天之御柱。

立った天之御柱でもって判断するのです、昔の人は。人間なら誰でも授かっている大本の智慧、勉強してもしなくても持っている大本の智慧、それを禅で「冷暖自知」と申します。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年10月01日

言霊 布斗麻邇講座・頭をひねくらないでフッと聞いて下さい

生きておられたら「先生、ちょっとお借りします」と言えますが亡くなってしまったのですから。だから「古事記と言霊」という本を書かざるを得なかった。

というわけで一字々々解釈してまいりますが、ちょっとお話もうしあげたいのは、読んで分からない所がありましたら赤線でもチェックでも構いません、次の講習会でも、電話でも結構ですから質問なさって下さい。

これはどういうことが書いてあるのだろうと言って頭をひねくらないで、フッと聞いて下さい。何故ならば現代人の頭ではどんなにひねくっても分からないのです。これがわかったなら大変です、分からないのです。

何故なら昔の人が話していた頭の出来具合と今の人の頭の出来具合とはまったく違っております。今の人は概念という武器を持っております。概念と申しますのは全体を見ることは出来ないから、建築現場にありますクレーン、それに乗って見ようとします。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月30日

言霊 布斗麻邇講座・私が死んだら私が言った言葉は全部忘れてしまって下さい

私もそれに追いましたが、「後を頼むよ」と言われました時は、私はへそ曲がりなもんで素直に引き受けませんでした。何故ならば小笠原先生が100とするならば、いくら贔屓目でも40くらい。

その頭の鋭いこと!この文章を見ても分かります、ビシーっとまとめていて、私は逆立ちしてもこういう文章は書けません。しかも、英会話はベラベラ、七十過ぎてからギリシャ語とラテン語の勉強を始めた努力家でした。

「とても貴方の後を継げるはずがない、勘弁して下さい」と断った。たぶんそれだけの先生ですから島田はたぶん断るだろうと。用意していた言葉が「私が死んだら私が言った言葉は全部忘れてしまって下さい。」

「頭の中からきれ〜いに追っ払っちゃって、合っても間違っても構わないから自由にしゃべってくれ、これなら出来るでしょ?それで結構だから喋ってくれ。」それなら出来ないことはないと返事しましたから、この言霊百神を教科書にするわけにはいかないのです。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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