2017年06月20日

言霊 言霊学講話・言霊の裏付け

 では、その禍を直すにはどうしたら良いか、検討する適当な場所は何処か。中つ瀬のオ〜ヲ(上津綿津見の神)、ウ〜ウ(中津綿津見の神)、エ〜ヱ(底津綿津見の神)のオウエの心の瀬で文明創造の原動力となる言葉を見つけようと検討を始めました。

 そして、オ段「神直日」、ウ段「大直日」、エ段「伊豆能売」が適当であると分かり、いよいよ今度こそ純粋に「出来そうだ」を証拠付けるには、言霊の裏付けがなければならない。

 その裏付けは先天言霊の母音、半母音、父韻、親音というのではなくて、必ず後天現象子音が出て来る証拠を求めなければなりません。

 その為に中つ瀬(オ〜ヲ、ウ〜ウ、エ〜ヱ)の水の中に入っていって、瀬を「綿津見」と「筒」に名前を太安万侶さんは変えます。中つ瀬の底はエ段、中はウ段、上はオ段の検討を始めました。これは「いける」と予想したが本当だった、確実にいける。それが完全に検証されます。


言霊学講話「三つのチャンネル」(H16年6月・会報193-04)

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2017年06月19日

言霊 言霊学講話・底中上綿津見の神

次に水底に滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に底筒(そこつつ)の男(を)の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見(なかつわたつみ)の神。次に中筒(なかつつ)の男(を)の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見(うわつわたつみ)の神。次に上筒(うわつつ)の男(を)の命。
 この三人の綿津見の神様、三筒の男の命が、禊祓乃至言霊原理の総結論の内容でございます。その内容についてご説明させていただきます。

 ア段(ア〜ワ)の心の瀬(感情)の流れでは、感情は常に変化して新しい方針をまとめるには適当でない。でも、そのア次元で物を観ないと人の実相は分からない。使わないわけではないけれど、この次元では使えないということが分かりました。(八十禍津日神)

 イ段(イ〜ヰ)の心の瀬(意志)の流れでは、言霊原理がなければ禊祓は出来ない、必要不可欠だけれども、意志という次元で変化を求めても、これはあまりにも変化がなさすぎて、イ次元で禊祓の言葉を見つけることは適当でないということが分かりました。(大禍津日神)


言霊学講話「三つのチャンネル」(H16年6月・会報193-04)

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2017年06月18日

言霊 言霊学講話・その禍を直さんとして

神直毘の神・・・カムナホヒノカミ
 中つ瀬(オ〜ヲ、ウ〜ウ、エ〜ヱ)のオ段(学問)「オ〜ヲ」で検討すべきであるということが分かった。必ず黄泉国の学問を人類文明に引き上げる光の言葉にすれば、高天原の精神文明に組み込んだことになるな、何故なのだろうかが分かる。

禍を日(光の言葉)に直すから「直日」(直毘)です。

大直毘の神・・・オホナホヒノカミ
 大直毘はウ段(産業・経済)「ウ〜ウ」の流れで検討すれば、成功させる言葉が見つかるな、その確信を持つことが分かった。

伊豆能売・・・イズノメ
 エ段(道徳・政治)「エ〜ヱ」の流れで検討すれば、素晴らしい成功を得る言葉が見つかるな、その確信を持つことが分かった。伊豆能売(いずのめ)は漢字の当て名ですから御稜威(みいず)の眼(め)の意です。

amatsu_futonorito.gif禊祓を信仰的な言葉でいいますと「神の技」、人間最高の行法、威力という意味です。神直毘、大直毘、伊豆能売の中でも文明創造する大切な「エ〜ヱ」の流れの原動力となる光の言葉(タカマハラナヤサ)、永遠に人間世界を理想世界に変革するための一番の眼目です。


言霊学講話「三つのチャンネル」(H16年6月・会報193-04)

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2017年06月17日

言霊 言霊学講話・新しい文明の原動力となる言葉とは何か

次にその禍を直さむとして、成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直毘の神。次に伊豆能売。

次にその禍を直さむとして・・・
 ア(上つ瀬は瀬速し)とイ(下つ瀬は弱し)の川の瀬で常に文明を創造していく原動力となる言葉とは何かを検討し、取り込んでいくには不適当だということが分かりました。ではどうしたら良いか。

 言霊を自覚(高天原)して見る現象と黄泉国(無自覚)で見る現象は、少なくとも同じではあるけれど、黄泉国の文化を高天原の精神文明に取り込み、原動力になるには、引き上げなければならない。

 引き上げるに八十禍津日神(上つ瀬は瀬速し)と大禍津日神(下つ瀬は弱し)は適当でない(禍)ですから、今度は光の言葉をオウエ(中つ瀬)の段階で確かめ、探さなければならない、そういうことが分かってきました。


言霊学講話「三つのチャンネル」(H16年6月・会報193-04)

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2017年06月16日

言霊 言霊学講話・頭でなく心でわかること

下つ瀬は弱し・・・
 イの段階は人間の意志、ここに言霊の原理、論理、その流れでもって探っても、ウンともスンとも答えてくれません、これも不適当です。でも、言霊の原理がなければ禊祓は出来ません。

大禍津日の神・・・
 これもその禍を渡して日に転ずることが出来る。意志という段階に原動力となる言葉を探すことは出来ない。これも功と罪をハッキリ見分けます。

この二神は、かの穢き繁き国に到りたまひし時の、汚垢によりて成りませる神なり。
 八十禍津日神と大禍津日神の功と罪が分かった。今まで高天原にだけいたのでは「禍」がないですから分かりません。黄泉国の何だか分からないゴチャゴチャした所から作り出している文化に伊耶那岐命が接したから見分けが付いた、このような表現で書いてございます。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03了)

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2017年06月15日

言霊 言霊学講話・人格や愛の自覚があるのか、ないのか

 怒るべきとしたら心は仁王さんのように顔は笑ってビシっと怒る。そうしましたらお子さんはビシっと止める。それ以降は二度とやりません。その怒る現象は何ら変わりませんが内容が違う。人格や愛の自覚があるのか、ないのかの違いです。

 自覚が「あるか、ないか」もアの段階で観ますとよく判ります。芸術的にも光が当たると影ができるから作品が生きる。ということは裏表をよく分かっていないと良い政治は出来ません。

 ですが、アの段階で禊祓の方法を探してはいけない。感情の起伏で検討するには不適当だけれども、実相を観るにはアの段階で観る必要がある。その功罪(八十禍津日神)を生かしながら禊祓の検討を探して行こう。

 八十の上下の言霊をよく知ることによって、禊祓では使ってはいけない禍ではあるけれど、使い方によってはその禍を渡して日に転ずることが出来る。その「日」は次の直日に繋がります。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月14日

言霊 言霊学講話・現象は同じでも意味内容が違ってくる

 上の段が善の表、下の段が悪の裏、総て対照的です。言霊の現象としては同じですが、意味内容がまったく違ってくる。それはどういうことか。日常のことで申しますとすぐにお分かりになります。

 小さいお子さんを育てていてお母さんがイライラしていますと、お子さんが傍で騒ぎ立てると「煩い!黙って!少しは黙っててよ!」と怒鳴りつける。ところがお子さんは怒鳴られほど面白がってやりますから。

 お子さんは親の心をよく分かる、理屈を知りませんから、アにいます。「お母さんはイライラすることを止めたほうがいいよ、俺の身を思って叱りつけているんじゃない、お母さんの都合で叱ってる。だから言うことをきかないよ。」

 お母さんがお子さんを一人の人格者としてみたら、自分の機嫌で人を怒るべきじゃない、子供が騒いでいるのをこの場でやって「良いことか、悪いことか」、今後のことを思えば「怒るべきか、怒らざるべきか」。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月13日

言霊 言霊学講話・物事の実相がよく見える

 何故ならば、物事を明らかに観るにはアという感情の段階、澄まされた感情の段階でないと人間の実相はわかりません。(飽昨の大人の神)それは理屈で観ても分からない、欲望で見たら尚更分からない。

 ところがアの感情そのものを使って検討するには、コロコロ速すぎて何のことかサッパリ分からなくなる。このアで検討するには不適当だけれども、アで観ると物事の実相がよく見えるから、全然不適当でもない。

八十禍津日 (やそまがつひ)の神・・・
80_yaso.png どういうところでアの段階が分かるか、それが「ヒカリ」。天津菅麻音図(アオウエイ)を反転(イエウオア)して百音図にします。百の言霊が並びます。どの言霊も二度出てきます。どういうことか、八十禍津日ですから上下の母音、半母音の二十音を取った数、八十(やそ)。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月12日

言霊 言霊学講話・感情的な検討

上つ瀬は瀬速(はや)し・・・
kami-naka-shimo_se.png 「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして」とありますから、伊耶那岐命自身の天津菅麻音図に則って検討を始めることになりますと、天津菅麻音図の「上つ瀬」はアです。

 アからワへ流れる川の瀬、「上つ瀬は瀬速し」、感情の次元で検討するとどうなるのか、鳴いた烏がもう笑った、一番あてにならないのが人間の感情です。「何という立派な行為だろう」、次には「何言ってやんだ、俺だって出来らぁ」というように人間は捨て鉢でございます。

 良いことをしたのを素直に喜べはいいのでしょうが、人間はなかなかそういうものではありません。「あいつは日頃悪いことをしているから当たり前だ」と裏腹に思います。

 文明創造をする時にアという感情の流れの中でそれを検討するのは困る、不適当ということは「罪」になります。ところが感情のアがなければ禊祓は出来ません。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月11日

言霊 言霊学講話・外国の文化を精神文化に取り入れる原動力

ここからは未だ言霊の原理は出ていません。そのようにして外国の文化を精神文化の中にスムーズに取り入れる為には、ただ見て取り入れるわけではなくて、取り入れるに当たってはどういう原動力が働くのか。

常にそこに新しい生命を与えなければ人間というのは生きていけない、人類文明を創っていけない。その人類文明を常に恒久的に進歩させていく原動力を見つける段階から今日のお話に入ります。
ここに詔りたまは く、「上つ瀬は瀬速(はや)し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日 (やそまがつひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
そういう原動力を求めるのには自分という心(天津菅麻音図)の五つの段階(アオウエイ)の何処で検討して正しい答えが出てくるのか。どの段階でやるのかを決めなければなりません。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月10日

言霊 言霊学講話・一つの発想を推進する原動力

 これから映画館へ行くのに何処がいいかな、銀座を通るからおめかししよう、そうしますと日比谷の映画館だろうと、映画のハシゴをしてご馳走食べて帰ろう、というようにイメージが湧きます。その目的のイメージが「辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)神」と申します。

 そうしますと出発しました心(奥)とそうしようとする心(辺)と、そうなった心は、本当は二つに分かれているのではなくて、今ここに持っている心の分身、その持っている心が、奥から辺を一つにするにはどんな原動力、考え方が良いのかが「奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)の神」と「辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神」。

 暇だから外へ「行こうかな」、「何処へ行こうかな」、実際に実行するのは「行こうかな」、「何処へ行こうかな」、「何をしようかな」は一つの発想から来ていますので、実際に其処へ行ける。その一つの心が推進する原動力となります。

 その原動力となるべきものは何であるか。これは誰でもやっていること。これは無意識にやっておりますが、このように一つ一つの心を分析して、絶対にこういう順序を何処かで違えたら「これは成功しないんだよ」ということを、すごい正確無比の心理学的に説いている、古事記中段の第二の禊祓の太安万侶さんの文章です。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月09日

言霊 言霊学講話・禊祓の出発点

次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は・・・
 その後の五つの神様(道の長乳歯の神飽昨の大人の神)は取り入れた外国の文化の実相を五つの観点から見る指月の指です。自分が体験した黄泉国の文化の正体を見定めて禊祓に入って行きます。
次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古の神。次に辺津甲斐弁羅の神。
 その時に外国の文化を取り入れた自分、知識として取り入れた自分という者がハッキリ判りますから、ここを禊祓の出発点といたします。その最初の姿をハッキリさせることを「奥疎の神」(おきさかる)と申します。

 その自分を検討して行き、合理的に精神文明の中に物質文明を取り入れていき変えていく原動力となるのは何か。それが「奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこ)神」。

 検討して取り入れてしまったらどうなるのかの予想は「辺疎の神」(へさかる)。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月08日

言霊 言霊学講話・主眼を方針として打ち立てる

衝(つ)き立つ船戸の神・・・
 どういうように検討していけば良いか、盲滅法では検討がつかないので、自分一人が研究した時にこれが最高の精神であろうと発見した「建御雷の男の神」という主体的な原理を斎(いつ)き立てる、その神の名が衝立つ船戸の神。実は同じです。

 ズーッと自分の心を見つめながら、古事記の神話を読んでいきますと、建御雷の男の神が斎き立てたということが分かります、これが分かりませんと禊祓は出来ません。

 さっきも申し上げましたが、自分の心に照らし合わせていかないうちは、決してこの意味が分からないように太安万侶さんが書いてくださった。

 読んで分かるように書いたわけではないのです。分からないように捻ったのですから意地悪この上ない。分かってはいけない時代に書かれましたから、その点をご承知おき下さいませ。

 分かった眼で見れば建御雷の男の神という主体的、心の中だけで発見した最高の原理を禊祓の方針として打ち立てた。


言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月07日

言霊 言霊学講話・人類即我の自覚

自分は高天原の精神原理を身につけた伊耶那岐命、奥さんの伊耶那美命を追っかけて、乱雑ではあるけれど、高天原の原理とは内容をまったく意を異にする客観的な物質世界に接して黄泉国を知ってしまった自分。

その自分を出発点とした自分が「人類即我」の清々した自覚を持つにはどうしたら良いのか。(伊耶那岐の大神)

何だかわからない魑魅魍魎とした知識を体験してしまった自分を浄化して、闇の世界から光の世界へ引き上げる方法はないものだろうか。それにはどういうことを検討していけば良いか、その方法が「禊祓」でございます。

先月にお話しましたが、お浚いします。
ここを以ちて伊耶那岐の大神、詔(の)りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこめ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はわへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘 (たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
かれ投げ棄(う)つる御杖(つえ)に成りませる神の名は、衝(つ)き立つ船戸の神。次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は、道の長乳歯の神。次に投げ棄つる御嚢(みぶくろ)に成りませる神の名は、時量師の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累(わづらひ)の大人の神。次に投げ棄つる御襌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣の神。次に投げ棄つる御冠(みかぶり)に成りませる神の名は、飽昨(あきぐひ)の大人(うし)の神。

言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

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2017年06月06日

言霊 言霊学講話・影がなければ絵にならない

 S)正義の戦と言って正当化するのはどうなんですか?
 O)自分の利益のためと言っているようでいて、何だかそうなってくると世の中分からないでしょ?善いも悪いもない、よく考えてごらんなさい、人間の悪というのは実はないのですよ。

 S)そんなことはない、「あります」と言い張りました。
 O)ないのですよ、強いて言うならば、人間が‘善’が何であるかを知るためにのみ‘悪’は仮に存在するものです。
   そういうことから、人間が悪とか善を考えるレベルを抜け出る眼で見ると善も悪もないのです。それを‘ヒカリ’と言います。芸術的に言いますと全然影のない絵はありません、影がなければ絵になりません。

   表があるから裏がある、裏がない表は有り得ない。裏が悪で表が善、表ばかり見ていると裏があると思ってしまう。自分が正しいことをしていると思っていると裏にあるものは悪いと思う。

つづき
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2017年06月05日

言霊 言霊学講話・悪いことも善くなるための契機

私(S)は小笠原先生(O)に食って掛かった、瞬きしただけで悪人が悪人でなくなる、そのように言われましたから。どうも解せなくて。第一に世の中に神がいるなら何故こんなに悪いことが起こるのか。先生は「悪いことも善くなるための契機になる」とおっしゃった。

 S)神は全知全能だから悪いことがなくても世の中を善くなるための神ではないですか。
 O)貴方のおっしゃりたいことはわからないことはないですよ。貴方は神に人間が悪いことをしながら神が悪いと言う。人間が悪いことをするのであって神様がそれを許しているわけではありません。
   でも、神の眼から見たら悪くも善くもない、わかりませんか?

 S)絶対に分からない!
 O)それでは本当のことを言いましょう。私の眼をみて私が質問しますから答えて下さい。悪(あく)って何ですか?貴方の言う「悪」って何ですか?

 S)人を殺すことは悪です。殺すだけでは言い足らないと思って「自分の利益のために人を殺すことは悪いことです」と言い返した。
 O)戦争へ行って人を殺して金鵄勲章をもらった人がいる。得意になって故郷に帰り死んだら奉られた、そういうのはどうなんですか?


言霊学講話「摂取不捨」(H16年6月・会報193-02)

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2017年06月04日

言霊 言霊学講話・奇想天外な発想

何故、伊耶那岐の神に(大)が付くのか、それがすこぶる重大なところでして、伊耶那岐命と伊耶那美命は相対していたけれども一緒にしよう、二人の身を一つにするわけにはいきませんが、パッと見て対象の全貌を知った自分だけを見て世界の文明を創造する奇想天外な発想。

今の考え方として何かの問題に対して「これは良いけど、ここはあまり良くない」と言わないと世の中が悪くなるから規制の法律を作ろうとして取り入れます。ところが、昔の日本人の大先祖は規制なんてものの姑息な手段をとらなかった。

そのもの総てを取り入れる、それを引き受けた自分は、我が眼に映じ、耳に聞いたことは総て自分の責任において処理すべき得る方法はないだろうか。

相手に失礼なことではない、相手の総てをそのまま自分の知識として取り込んで、その知識として身につけたものを全部生かす方法はないだろうか。パッと瞬きしただけで悪人が悪人でなくなる方法はないだろうか。


言霊学講話「摂取不捨」(H16年6月・会報193-02)

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2017年06月03日

言霊 言霊学講話・もういいでしょう

綺麗な水からは蓮の花は咲きません、そういう世の中を創り出している。もうこれ以上汚くすると、せっかく生み出した物質文明も失なってしまいます。もうこれ位で良かろうって。

水戸黄門というテレビ番組の中で最後に黄門様が助さん格さんに「もういいでしょう」と締めのセリフがございますが、そういう時です。

もうすぐ、胸をパァ〜っと開いて、眼光紙背に徹すべし。「コトタマ学入門」という表題だけを読んで「読んだ」と言ってはダメですよ、裏もあります。(笑)

助さん格さんに「もういいでしょう」と現実に言われてどう変わっていくか(言向け)。そうしてそれからどういうことが起こるか、メガネを掛けている人はよく磨いてかけ直して、色眼鏡だけは外して下さい、そうしますと必ず分かります。


言霊学講話「摂取不捨」(H16年6月・会報193-02)

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2017年06月02日

言霊 言霊学講話・泥沼の中からでないと蓮の花は咲かない

一人でも出来る原理を授ける。五十音図は五つあります、言霊ウを中心に置いた天津金木音図をモーゼ率いるヘブライ民族の言葉と数霊に置き換えて教えました。それをカバラの原理と申します。

その原理に則りますと居ながらに物質文明を操作することが出来る。金儲けも自由自在、知りたい人は饅頭一つでも持って私の所へいらっしゃいませ。(笑)でも、カバラは日本の天津金木音図を脚色しましたから、そういうためのものではございません。

それから三千年、ご覧の通りの凄い物質文明が出来上がりました。しかし、一人の血筋だけが神ですから。神でないものを神として創った文明ですから不合理なことはいくらでもあります。

殺人も泥棒も横行する精神的に言えば泥沼の世。あの泥沼の中からキレイな薄紅色の蓮の花が咲くように物質文明が花開きました。今の世の中は汚い々々と言いますが、そういう泥沼の中からでないと蓮の花は咲かない。


言霊学講話「摂取不捨」(H16年6月・会報193-02)

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2017年06月01日

言霊 言霊学講話・その一言

今から三千二三百年前、日本の大先祖の一人である神足別豊鋤天皇が世界中で一番頭の良さそうな人間を選びまして、その人に勅命しました。

それは「これから三千年間は、お前とお前の子孫がイニシアチブを執って、物事を外に観る原理(カバラ)の力によって世界を再統一せよ。」

その人が祖国へ帰る時に大変なことを告げました。この言葉は竹内文献にもハッキリ遺っておりますが、その人の名前を「モーゼ」と申します。「汝モーゼ、汝より他に神なしと知れ」と勅令します。

「これから三千年、お前とお前の子孫が神である、お前の言う通りになる戦術をお前に授ける、それによって物質文明を完成させよ」と書いてありますが、一人の力でそのようなことが出来るのか。


言霊学講話「摂取不捨」(H16年6月・会報193-02)

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