2017年05月18日

言霊 言霊学講話・摂取不捨

その次の段階は、伊耶那岐命が伊耶那美命の客観的な探求の文明を自分の体として取り込んだ自分の心は「どういうようにしたら変わるのか」、心理学的な技術でそれを取りまとめます。

最後の三段階は本当の言霊の動きとして必要にして十分な考える条件を揃えておいて、いよいよ総結論に入ります。この消息を太安万侶さんが丁寧に神話としてまとめていただいた。

いよいよ、ですね、来月、私の心の中でこのことが確かめられて、体験としてお話できるならば、今まで二千年間、神倭王朝第十代崇神天皇が人類文明を創っていく大方針の鏡である伊勢神宮に奉られました「八咫の鏡」と謂われる本体の人間の性能が総て明らかになります。

二千年間のブランクを通じて、その本体である人類の総てを事足りた、総てのものを活かすことが出来る、「これは要る、これは要らない」と言うのではなく、総てのものを一人の生命として吸収して人類社会を建設していく。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月17日

言霊 言霊学講話・宇宙生命

それ以後、禊祓の結論は高天原の伊耶那岐命が黄泉国を主宰する、客観的な学問を主催する伊耶那美命を自分の身体とし、自分の伊耶那岐命が自分の心とし、心と体が一体なのは宇宙生命、その立場から「禊祓」をするようになります。

そこから衝立つ船戸の神を始めとして五つの神様を生んで禊祓の方針は「こうである」、吸収してきた外国の学問の実相を知るためには、五つの分析をし、基準を定めた上で「禊祓」に入ります。

奥疎の神から辺津甲斐弁羅の神までの六神で自分の身を宇宙そのものの考えで、新しく出てきたものを自分の体に吸収して、それを本当に吸収し終わった時には「どういうようになるのか」を心の中でその運用をよく確かめた上で、「これでよろしい」と結論に至る言霊学そのもののお話を来月からお話しようと思います。

太安万侶さんは「禊祓」に入るまで三段階、初めは完成された高天原の精神文明、今後、素晴らしい勢いで完成していくであろう物質科学文明を対峙させる。高天原・主宰神の伊耶那岐命と黄泉国・主宰神の伊耶那美命との両立を構想としてまとめます。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月16日

言霊 言霊学講話・岐美離婚の原因

ユダヤ教のお祭りは牛を殺して祭壇に牛の血を流す。ということはウという宇宙、目に見えるウという宇宙を分析して、その血、その内容を見る仕事を心がける黄泉国。その国をよく見て恐れおののいて帰ってしまった伊耶那岐命。

帰る際に、先ほど申しました十拳剣の主体側の最高の真理である「建御雷の男の神」と言われる五十音図で表される判断力を尻手に振りました。ということは、経験した黄泉国の文化を精神的に完成した五十音図の何処に分担すべき性質のものなのかを、ちゃんと考えながら高天原へ帰ってきました。

尻手に振って考えた結論は、主体的な学問と純客観的な学問はちょっとやそっとのことで手を結ぶことは出来ない、そういう宿命を持った各々の学問だということをハッキリ分かった上の「道引きの石」として判断力の道を分ける。

「貴方と私はある時機が来るまで決して交わることがない仕事に携わるべき関係」を確認して、それを離婚という格好として文章に書いてございます。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月15日

言霊 言霊学講話・音子と音名

その建御雷の後に「…男の神」という「男」が付いています。これを男女で分けますと主体の方、主客どちらが偉いのかではなく、主体を男(音の子)、客体を女(音の名)、「男」ですから主体側の真理と古事記は理っている。

ですから、それを黄泉国なり自分以外に適用したら、それが真理として通用するか、どうか、今後の話ですよということを、この「建御雷の男の神」という神様の名前で匂わしている。

これから始まる「禊祓」は、主体的な真理が客体側の何時何処で適用しても真理として使えるか、使えないかと言う実験なのです。黄泉国と禊祓の章でいよいよその実験を証明しようと太安万侶さんはしているのです。

黄泉国の客観的な物の研究の領域へ行ってしまった伊耶那美命を、主人である、夫である伊耶那岐命は追いかけていきます。そうしますと客観的な物質世界は今から数千年前に始まったばかりの未発達、地についたばかりの騒がしさ。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月14日

言霊 言霊学講話・主観側の結論

これが人間の二大思考領域。「これがお茶だ」と思ったら、「何故お茶と思ったのか」を心の方で研究する領域(ア)と「お茶とは何ぞや」のお茶を物質として研究する領域(ワ)の二つに分かれます。

sanshin.gifでも、本体の宇宙は一つ。ここに何かがあって、それが、思考が起こると同時に考える方と考えられる方に分れる。本体は宇宙生命で同じもの、でも、人間の思考の宿命として考えると瞬間的に分かれてしまう。

その純粋な主観側の結論としての「禊祓」がございますから、そのことをお気に留めていただくと良いかと存じます。

伊耶那岐命が自分の心の中で最高の心の持ち方を完成して「建御雷の男の神」という名前を付けました。今、サッカーが盛んな鹿島アントラーズの本拠地、鹿島神宮という所に奉られている神様です。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月13日

言霊 言霊学講話・高天原と黄泉国

それを古事記は五十人の子供を生んで子供の種が尽きた伊耶那美命を「御陰炙(みほどや)かえて…」と表現しています。今で言うと子宮が熱をもって産めなくなってしまった。「…病(や)み臥(こや)せり」と続いて、これは死んでしまったということです。

ですが、次の章では子供を生み尽くして死んでしまった伊耶那美命は黄泉国で活動している、これはどういうことになっているのか。一般図書の古事記の注釈では黄泉(こうせん)、冥界で生活していると日本の国文学者は説いています。

冥界ではなく、思考が働くと同時に頭の中では、考える側と考えられる側に分かれます。高天原の領域は考える側の主体側、純粋な心の領域。

奥さんの伊耶那美命が死んでしまって行ったのは黄泉の国ではなくて考えられる側の客体側の領域。物事を客観的に見て、それを研究する領域。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月12日

言霊 言霊学講話・両児島

ですが、これからの古事記は
ここに詔りたまはく、「上つ瀬は瀬速(はや)し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日 (やそまがつひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
この章は来月に持ち越しますが、このように太安万侶さんはどういうようにこの「禊祓」を説こうとしてきたか。その心の中に入ってそれを説明してみたいと思います。そうしますと太安万侶さんの結論がどれだけ素晴らしいことか。

もし、これが分かったならば、人類の指針として「衝立つ船戸の神」を掲げたことと同じくらい素晴らしいことであると、言外に太安万侶さんが教えて下さっている章です。

太安万侶さんが「禊祓」をどのように説いたかをお浚いしてお話します。
前にお話しましたように伊耶那岐命は奥さんの伊耶那美命が黄泉国へ行ってしまった。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月11日

言霊 言霊学講話・イキる

前の会報に「イる」という境地が分かったなら、人間の最高の境地と申し上げました。「イる」という境地は総てのことを分かっていて何もしない。けれど、何かやらなければならない時には、「では、な」と立ち上がる姿を日本語では「イキる」と申します。

「イる」に「キ」が入る、それは父韻の活動の総てを分かった者が人類本来の知性の根源である力動韻(父韻)を意識的に使う時に宇宙が動きます、文句なく動きます。それを自分の心の中で自覚する段階がイの次元です。

そのメカニズムを教えてくれているのは、五千年前の日本の霊知り、その教えを纏めたのが、今から千三百年前に太安万侶と言うが天才的な人が、神話というふざけた形の指月の指で古事記を編纂しました。

今までお話した「衝立つ船戸の神」から「辺津甲斐弁羅の神」までは、神様がどういう意味なのかを「察しなさいよ」、つまり「禊祓」の時の人間の心の運びはこういうことですよとお話し申し上げました。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月10日

言霊 言霊学講話・イの境地を自覚する

何故、このように細かくしっかりと区別してお話出来るかと申しますと、これからお話する「禊祓」の本番、言霊の動きによって「禊祓」の行を五十の言霊が自由に踊って素晴らしい人間の現象を生み出していく前説になります。

「帰ったらカレーライスでも食いたいな」と思った、それはどういうことでそう思ったのか。言霊が物凄い勢いで頭の中でクルクル活動し、それらを全部意識して、人間の生命を直視する時にだけ出来ることです。

言霊の先天活動として母音で表せる人間の魂の故郷。尊厳、つまり宇宙。宇宙のイ段は母音であると同時に人間の知性である父韻の働きである性能、いわゆる、大自然の性能と同時に人間の知性の根源でもある。

そして、イの境地を自覚しますと大自然であると同時に宇宙を創造する役目をいたします。宇宙の創造神を想像した時、あちこちに動き回っているかと言えば、ジーッと坐っていながらに総てのことを知ることが出来る。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月09日

言霊 言霊学講話・霊葉(ヒバ)

言霊として説明がつくことが出来るならば、言霊を「霊葉」(ヒバ)と申します、光の言葉。ヨハネ伝の冒頭には「太初(はじめ)に言(ことば)あり。言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り」と書かれてあります。

神である言葉、それは人の光なり。その光の言葉を加えなければなりません。外国の一切の文化を絶対に別け隔てなく吸収して、それに新しい生命を与えて、総てのどんな悪人もどんな善人も活かして、その総合体として世界の文明を創っていく。

その大事業は決してよりどのようにしたら成就し、総てを生かしていく、その時にどういう言葉を原動力して発するべきかの作業が次です。

こういうように人間は心を運んでいる、運用している詳細は太安万侶の文章から初めて「ああ、そうだったのか」と分かりますことで、世界の心理学者が千人集まりましてもこんなに詳しくは説明して下さいません。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月08日

言霊 言霊学講話・同じ言葉としてまとめる

奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)の神、次に辺津甲斐弁羅(へつかひべら)の神・・・
 「甲斐」は地名と関係なく山と山の間の峡谷のこと。出発点の状況を結果に向かってどういうようにしたら行き着くことが出来るか。出発点から終着点にまとまるにはどういう力が必要なのか。

 この両方の力は実は分かれているものではなくて、頭の上では分かれていますが、それを推進していくには同じ言葉としてまとまらなければなりません。それには奥と辺の間を縮めなければなりません。

 回を減らすから「かひべら」、何だ、そんなことかと思われるかもしれませんが、心理学的に皆「どうしたら良いかな」の時には必ずこの操作をしています。ご自分の心をよく観て下さいませ。

参照リンク)
 言霊 日本と世界の歴史・喜んで納得してもらう
 言霊 日本と世界の歴史・何とか仲良くなりましょうよ

 自分の心の判断力の言葉によって心が動いていくには何かの助けが必要になります。それはどのような助けの言葉なのか。これからは心理上の説明ではなくて、人間の心の中に起こっていることをイ段の言霊の動きとして述べる章に入ります。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月07日

言霊 言霊学講話・始めの状況を渡していく

 こういうことから始めるのだなと分かれば、文明を創造して成功したら、こういう姿になるんだなというイメージは誰でもお分かりになる。始めが分かれば終着点が分かる、その終着点の方へ状況を遠ざける、縮めて考える。奥疎、辺疎のイメージが決まりますと、

奥津那芸佐毘古(おきつなぎさひこ)の神、辺津那芸佐毘古(へつなぎさひこ)の神・・・
 名前を見ただけでは指月の指ですから分かりません。自分が「人類則我」という立場に立ったとしたら、今の地球上の状況をどういうように変えるべきかをご自分自身が考える時、殺しても生かしても勝手です、誰にも迷惑はかからない。

 ですが、自分がアガベという最高の愛情を以て、総ての人を見る立場から自分の中に取り込む時、自分自身の身体と同じですから、始めの状況を渡していく「津」は渡す意。

 「那」は総て、「芸」は技、総ての技、「佐」は助け、「毘古」は力、出発点の持っている技を助けて完成の方向へ持っていく総ての力は「何か」を問いかける。

 「辺津那芸佐毘古」は結果として「こうなるのが良い」とするにはどういう力が、どういう助けが要るかを調べる。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月06日

言霊 言霊学講話・こういうものから始める

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古の神。次に辺津甲斐弁羅の神。
自分の身に外国で見聞きしたことを付けた自分、その自分をどういうように分析処理していけば良いかの方法を書き表したのが以上の六神の名前です。

奥疎(おきさかる)の神、辺疎(へさかる)の神・・・
 「奥」と申しますのは起きる起点になる物事の始め。「辺」は山なら登って下っていく先、物事の終わり。外国の文化を身に付けて帰って来たその自分を起源として、創造を始めようとするその出発点が「奥」。

 その状況の出発点をぎゅーっと「さかる(疎)」、距離を遠ざける、疎遠の「疎」、自分というものの出発点の方向にコンパクトにまとめて、「こういうものから始める」というのを明らかにする。


言霊学講話「知訶島」(H16年5月・会報192-04)

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2017年05月05日

言霊 言霊学講話・判断力の基準

道の長乳歯(ナガチハ)の神・・・
 物事の連続性、関連性を調べる。
時量師(トキオカシ)の神・・・
 その外国の文化が五十音図の何処に位、位置すべきかを調べる。
煩累(ワヅラヒ)の大人(ウシ)の神・・・
 どっちでもとれるような曖昧さ、今の日本の政治家がする玉虫色の決め方でなく「どっちか」をハッキリ決める。
道俣(チマタ)の神・・・
 AとBの問題の何処が分岐点として変わってくるかを決める。
飽昨(アキグヒ)の大人(ウシ)の神・・・
 明らかに物事を一つにまとめる。

これ等、五神の説明はご興味があるなら「古事記と言霊」をお読み下さい。ここでは長くなりますので省きます。この五神の名は自分が身につけてきた、経験してきた黄泉国の文化、生産物の実体を知るための判断の基準となる鑑、判断力の基準を示した神様の名前です。

以上の五つの篩(ふるい)を通しますと物事の実相、真実の姿をハッキリ見ることが出来る。自分を無にして大方針を打ち立てて、身につけてきた文化の実相を真実の姿を見る篩を通してくると、自分が立っている状態がハッキリ分かってまいります。

分かってきましたら今度はどう扱えば良いかということが次に書いてございます。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03了)

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2017年05月04日

言霊 言霊学講話・生まれた時から授かっている判断力

「杖」と申しますのは、宗教書や各民族の神話で、他に剣とか。他に柱とかと申しますが、総て人間が持って生まれた判断力のことを指しています。

有名な禅語に「扶(たす)けては断橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に帰る。」

何に扶かったのか、「杖」の判断力、学校で教わった判断力ではない、生まれた時から授かっている判断力。判断力と書かないで言い表した言葉。橋が壊れてしまった川を渡ることが出来、その判断力があるから月の出ない真っ暗な晩でも、間違いなく自分の村に帰ることが出来る。

その「杖」になった、初めの大方針、「建御雷の男の神」という音図を「衝立つ船戸の神」と掲げた大方針としたと言うことです。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年05月03日

言霊 言霊学講話・大神の意味

その大方針は何かと言うと、先に申しました主観的真理、最高の真理である自分の心の中だけで自覚した「建御雷の男の神」を掲げました。

「衝き立つ船戸の神」は「斎(いつ)く立つ」の謎です。その実体は「建御雷の男の神」と音図上では同じです。後で申し上げますが、何故「建御雷の男の神」と書かないのか。それは言霊の原理を二千年間隠す必要があったから。

某氏が代議士になりますと、代議士・某氏という名前になります。それが総理大臣になりますと、総理大臣・某氏になると同じで、某氏は変わりません。

「建御雷の男の神」は伊耶那岐命が自分の心の中だけで「これが最高だ」と築き上げた原理。今度はそれを禊祓するに当たって大方針として掲げた時に「衝き立つ船戸の神」と名前が変わりますが、本体は同じ。中身は変わりませんが役割が変わったということです。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年05月02日

言霊 言霊学講話・杖

全然、先入見なく黄泉国が創造している騒がしいけれど、とても活発な色んな産物を排出してくる実相を知った自分が、どういうように変貌したならば、黄泉国の文化を自分のものとして完全に消化して、自分という宇宙そのものが文明として完成することが出来るかを創り出そうとした自分。

他のことを他と考えない。地球上に起こっていること、宇宙に起こっていることは全て自分であるとする。そして、何の利益もなく、何も考えずに、純真な自分を変貌することによって人類文明を創造していく。崇高にして素晴らしい大事業を始める実験が始まったということでございます。
次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は、道の長乳歯の神。次に投げ棄つる御嚢(みぶくろ)に成りませる神の名は、時量師の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累(わづらひ)の大人の神。次に投げ棄つる御襌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣の神。次に投げ棄つる御冠(みかぶり)に成りませる神の名は、飽昨(あきぐひ)の大人(うし)の神。

かれ投げ棄(う)つる御杖(つえ)に成りませる神の名は、衝(つ)き立つ船戸の神・・・
 自分自身が黄泉国の学問や色んな考え方全てを自分の身に付けていき高天原に帰ってきた。その自分が出発点とし、禊祓をしようとしている自分が変貌するのですから、どのように変貌するかの大方針を決めなければなりません。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年05月01日

言霊 言霊学講話・禊ぎ祓へたまひき

全てが一つの藝術の要素になり得るべきものである普遍的なアガベーの愛の上に立って、黄泉国の文化を吸収した現実の自分を出発点とした「人類則我、我則人類」で初めて実行できる最高のクリエイションである立場を伊邪那岐の大神と申します。
その伊邪那岐の大神の立場に立って禊祓が開始されます。

吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はらへ)せむ・・・
 と言った自分の身と言うのは、黄泉国へ行って色んなことを知ってしまった自分を出発点とし、知ってしまったことを如何に文明創造に摂取するのかの問題を抱えている自分の身体を禊祓する。

竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘 (たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あわぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき・・・
 これは天津菅麻音図のことを指しております。

amatsu_sugaso.gif説明しますと長くなりますので省きます。この伊耶那岐命本来の何の粉飾もない、文明活動に携わっていない人間の心の構造の上に立って禊祓が始まった。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月30日

言霊 言霊学講話・全てを受け容れる

建御雷の男の神が主体内真理を知った時に、そうしなかったのは既に伊耶那岐命は知っていたから。全然知らなかった黄泉国へ行って色んなことを経験し、伊耶那美命と離婚し「これからは一緒の範疇では考えられない世界にお互いに居る」と宣言しました。

主体内真理と同様の有用なことを客観的な黄泉国でも有用であると知ったから離婚しました。全然違う領域のことを自分の体が経験したということは、自分は天津菅麻音図という何の先入観のない心で以て経験したわけです。

この経験した自分が、決して「そんなのは嫌だ」と言わずに全部受け容れた自分。その自分も自分であるのが伊邪那岐の大神でございます。主体世界が客体世界を飲み込んでしまって、それの全部が主体だとする立場。

それは自分と違う世界を経験した時にそれを最高の愛の眼で見るしか出来得ない立場。拒否はせず、色んな事はあるけれど、それが一番人類の最高の視点から見れば、一切に無駄がない。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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2017年04月29日

言霊 言霊学講話・黄泉国での経験をどう扱うか

どこがどう違うのか、自分は心の最高の真理を知ってしまった。しかし、これは心の中だけの確信なのであって、黄泉国の質の違う文化と相対した時に、それをどう扱ったら良いかは未だ分かっていなかった。

もし、これを見極めなければ主観的な真理であって客観的な何時、何処の文化に適応する真理とは有り得ない。そのために黄泉国へ行って帰ってきたわけですから、この黄泉国で見聞したことをどう扱うか、どう扱ったら良いかの禊祓を始めます。

今の政治家や学者に「外国で経験したことを政治に活かすにはどうしたらいいかね?」と訊きますと、大概は自分の経験知から為になることだけを拾い上げて、要、不要を選り分けると思います。

私たちもそうすると思います、隣の良いところは真似しよう、悪い所は取りやめようとします。これはオ次元の考え方。自分が是非を最初から決めてしまうやり方。そういうやり方をしないのが伊耶那岐の大神。


言霊学講話「自証から他証へ」(H16年5月・会報192-03)

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