2017年09月27日

言霊 布斗麻邇講座・真偽の程

「偽歴史書である、天皇に対する不敬罪である」と訴えられまして、戦争前から半ばにかけて大論争となりました。片や東京大学、京都大学の国学者や歴史学者がズラズラっと参考人に並びまして、片や弁護人の親玉のような人が武内家に付きまして、今の地方裁判所から高等裁判所に当たる大審院までの論争となりました。

大審院の審議に入る時に東京大空襲がございました。武内家が宝としていた文献が殆ど残念なことに焼けてしまいました。

終戦の時になって「不敬罪」は消滅しましたので不起訴になり、武内家は罪に問われませんでしたが、息子さんへ連絡があり「もう裁判は行われないので証拠物件を取りに来てくれ」ということから、小笠原先生と二人で出向きましたが、肝心の武内文献は灰になってしまっておりました。

その他の証拠物件で神代文字、武内文献の冒頭は「天から火々種(ひひろがね)が降ってきて、それをもちて、太刀(剣)とした」、その剣の話から歴史が始まります。いわゆる隕石のこと。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月26日

言霊 布斗麻邇講座・終戦後の歴史観

その三四十年経った頃だと思いますが「宮中の皇紀・国基、戦いのときに焼ける」とも書いてございます。今の歴史は終戦後ほとんどインチキであると消されてしまいましたから、今の歴史書に載っているかどうか分かりませんが、昔の歴史書には載っております。

蘇我と物部の戦争で皇居が焼けました時にその大切な歴史書が、さっきも申しましたが鹿の皮で巻いた本ですから、今の宮中にはその皇紀・国基はございません。五摂家である武内、物部、大伴、あと二つ、思い出しません。

特に有名なのが武内文献、物部文献、大伴文献等々。物部文献は秋田県に大曲という所があります。大曲に大きな稲荷神社があるそうですが、この神主さんが保有しているという噂です。誰にも見せてくれないので本当にあるかどうかは分かりません。

大伴文献はメキシコの奥深くに現存していることは間違いありません。全部の写真を撮ったのを宮内庁に送った知らせを私の先生が受け取っています。宮内庁へ行けば失くしてなければあるはずです。天皇へ返上しようとするその時に東京大学と京都大学の歴史の先生から反対があった。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月25日

言霊 布斗麻邇講座・五摂家

茨城県の磯原にある皇祖皇大神宮という神代代々の天皇の御霊を祀ってある神宮には「竹内古文献」という大昔の歴史書が保存されておりまして、鹿を鞣した皮に神代文字で書かれております。それを孟宗竹の漆を塗った箱に入れまして二重に保存しているようです。

当時の武内家の当主の武内巨麿さんがおっしゃることには「日本に国難が来る、日本は負けるであろう、今の日本の歴史は根本から間違っている」と。「聞く、聞かない、見てもらっても、見てもらわなくても、我が家でズーッと長い間保管してある武内宿禰という二千年前の先祖が記した歴史書を天皇へお返ししたい。」

日本の歴史書から言えば大化の改新のちょっと前、大化の改新とは聖徳太子が蘇我氏を滅ぼした前辺りに「天皇、五摂家に命じて歴史を写しさむ」と年表に書いてございます。

天皇の傍にあった日本の歴史、皇紀・国基と申します。神代文字を国語に直したものです、神代文字の方は誰にも見せませんでした。五摂家とは当時の重鎮の五人の大臣に写させたと日本の歴史年表に書いてございます。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月24日

言霊 布斗麻邇講座・生きた人間の心の学問

決して永遠に一緒にならない。何故、一緒にならないのかは哲学の大命題。それを千三百年前に今の哲学者にして絶対分からないことをピシッと箍をはめて分かったようにしてしまった。それほど、どんなに人間が抱えている問題も古事記は総て解決してしまっています。

古事記の一行々々、一言一句を解いていくより他に方法がございませんので、私もその方法でコトタマ学として解きましたのは、私の先生である小笠原孝次氏が昭和44年に初めてコトタマ学を解いた本を世の中に出しました。(言霊百神)

他にもご先輩の方が色んな本を出されております。生きた人間の心の学問としての本を出したのは私の先生が初めてでございます。当時何人かが銀座に二丁目にありましたレストラン「八眞茂登」(やまもと)に集まりました。

そこのご主人は終戦後の歌舞伎座の裏で串かつの屋台を開いてところから始まって、銀座二丁目に大きな店を持つまでになりまして、銀座一丁目から八丁目までの店の中でもっとも高く、美味しいと言われた店です。

その店で私の先生は毎月会合を開いておりました。会費は五百円、お開きの後に二万円くらいのご馳走を食べまして、飲み物はいくら呑んでもただ。八眞茂登のご主人は銀座では有名な方でした。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月23日

言霊 布斗麻邇講座・大が付くのは

伊耶那岐の神と申しますのは、今までの伊耶那岐神とは違った力を持った神様。この神様を数えますと百になります。どっちみち古事記の一行々々を説いていきませんとコトタマの原理は全然分からないように出来ているのです。

私が持っているのは角川書店の古事記です。岩波の文庫本の古事記でも同じだと思いますが、天地の初発の時から須佐之男の命までたった12頁です。この12頁に人間の心の全部、人間の心の全部の現象を説き尽くしてしまっています。

これは大変なことです、現在の原子物理学が「物とは何ぞや」の原子核内の全部を話すとしたら千頁も二千頁書いても書き足らないと思います。古事記はたった12頁で人間の心に起こってくる総てのことを説明して余りがない、欠けるところもない。

その素晴らしい12頁を読んでみますと、伊耶那岐命と伊耶那美命の神様の、一口で申し上げますと、愛と絆と創造と葛藤の物語。最後は離婚してしまうのですから。しかもこの離婚は「言戸の渡し」。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月22日

言霊 布斗麻邇講座・又の名は…

私が「百の神様が出てきます」と申しますと、物好きな方がいらして勘定されて、何とかあらを探してやろうとされたかどうかは分かりませんが、よーく、勘定しますと(神様の名前)、もっと出てきます。

ただし、「又の名は…」というのがあります。例えば、言霊ンの神様、火の夜芸速男の神(ホノヤギハヤヲノカミ)(火のR毘古・火の迦具土)(ホノカガヤビコ・ホノカグツチ)を同じ名前で言っただけのことですからオミットしなければなりません。

それから、何々の神、その子という子供が出てきます。子供はコトタマには入りませんので抜かします。そうしますと、人によると九十九ではないかとおっしゃる方もいらっしゃいます。

九十九でも間違いない。ただし、伊耶那岐(イザナギ)神は禊祓の項ですと名前を変えて出てきます。それまでは伊耶那岐神、または伊耶那岐命ですが、伊耶那岐と神の間に「大」が入り、伊耶那岐の大神になります。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月21日

言霊 布斗麻邇講座・百の神名

コトタマ学(原理)を勉強するには古事記と日本書紀は欠かせない学問です。その他にコトタマ学を説き明かす方法は世界に一つもございません。ことに古事記がもっとも大切な学問になります。

古事記を知らないでコトタマを説く人がいらっしゃるとしたら、それは「まやかし」です。コトタマを知っていて古事記を知らない方も「まやかし」です。古事記とコトタマは切っても切れない関係です。

古事記は「天地の初発の時(アメツチノハジメノトキ)、高天原に成りませる神の名(みな)は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)、この三柱の神は独神(ヒトリガミ)になりまして身(ミミ)を隠したまひき」から始まり、それは、それは神様の名前のオンパレード。

ズラズラと出てまいります、誰が読んでも、こんな書物は他にないという程、その意味が分かる人がいたら不思議な程、神様の名前で埋まっております。

何故かと申しますとコトタマの数は五十、その運用が五十、合わせて百。ちょうど天之御中主神から最後の須佐之男の命まで、ちょうど百の神様の名前が出てまいります。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月20日

言霊 布斗麻邇講座・古事記とは

今度でコトタマ学を説きますのも五度目か六度目を迎え、その都度、観点を変えてお話申し上げてきました。前にお話ししなかったことついてもお話するかもしれません。ここは前に話したことと違うのではないかと気づかれたら、早くご質問下さい。

やゝもすれば違っていることを申し上げているように受け取られるように思われるかもしれませんが、決してそういうことはございません。立場を違えてお話しいたしますので、もし疑問が起こりましたらご質問下さい。

先月でコトタマの概論、古事記と言霊との関係は大凡申し上げましたので、これから古事記の中身に入らせていただきます。

古事記は奈良時代に入る前と奈良時代の天皇の勅命で太安万侶が書き上げ、編纂した本が「古事記」でございます。古事記が編纂されて八年目に舎人親王達と書いてございます、一人ではなく舎人親王を中心として大勢の人が編纂したのが「日本書紀」です。

布斗麻邇講座「古事記」(H18年5月・会報216-1)

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2017年09月19日

言霊 布斗麻邇講座・人間は素晴らしい可能性を持つ創造主

人間の仏としての役割です。それで人間は生きている。ただ、そう思わない。エとイが隠れてしまっておりましたから。ほとんど得るためにやっている。このコトタマの原理を勉強したら「儲かりますかね?」と訊かれたことがあります。

この勉強は「儲けないようにすると儲かる」、「儲けようとすると損する」、真逆です。今の世の中で永田町におります人達は次元から言えば一番下です。何故ならば欲望がウンと大きいからです。

「イ」は宇宙を全部見渡してそれを知る限り知って活動している。それをスメラミコトと申します。果位の菩薩、観音様、勢至菩薩、普賢菩薩。

このようにご段階を上っていって、「エ」と「イ」をちゃんと授かっているのですが、全然意識をしていない、だからもったいない。全部分かってしまえば、どんなに人間は可能性の働きがあるということがお分かりになりますから、欣喜雀躍として暮らすようになります。

若者にそのことを伝えれば若者はそれこそ小躍りして喜ぶ。そういう教育をすれば競って学校へ行って勉強することになります。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4了)

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2017年09月18日

言霊 布斗麻邇講座・エる イる

る=選る
 昔の人は値を「竸る」と申しました。どれくらい値打ちがあるかを競っていきます。又は「選る」。

る=いる
 総ての境地をお腹に入れてしまって、世の中のことを全部知ってしまって、それでいながら黙っている境地。一度口を開きますと「気」が動きますので「イキル」。八父韻の活動が始まりますと、その姿は「ス」。

イキル姿が人間の所作です。ただ、そう思わない、ただ口が動き、体が動くだけだと。でも、この素晴らしい宇宙意志のことを言っています。

ひろーい、ひろーい宇宙が天文活動をしている、それを見ている人間が何百億光年の星だと一つ一つに名前を付けていく。そういう活動をするのも「イ」。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月17日

言霊 布斗麻邇講座・修業では56億7千万年かかる

小笠原先生も三島由紀夫さんについては「この人も何かやりそうだ」と先生の書いた「言霊百神」という本を一回送りました。ナシのつぶてで三島さんには弟子が十人いたそうですから、三島さんの手許には届かず選り分けたのだと思います。

もう一度送りましたけど、やはりナシのつぶてで、「これはいけないな」と先生がおっしゃったのを私は覚えています。というわけで三島さんには届かなかった。もし、お読みになったら頭の良い方ですから、少なくとも事件を起こすことはなかったように思います。

この「ア」という広い、広い、広い、万人共通の自分の人格の根源である内容として「エ」と「イ」が人間には授かっている。次元を自分の経験知識から修行してシフトしようとすると大変なんです。五十六億七千万年かかる、仏教にそう書いてある。

聖書には666は謎の数字になっておりますが、未だに宗教界では分からずにいます。ある時に「先生、聖書に666とありますが、何のことですか?」と訊かれて、私は今まで考えたこともなかった。

だけどスラスラと口が動いてしまった。「6が66になった時ですよ」と何も考えずに答えたものの、後になって数霊のことだと。さっき申し上げましたでしょ、神様と言霊を結び付けるのは50の2乗ですから。コトタマの原理が出てきた今は現実にこの世のものです。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月16日

言霊 布斗麻邇講座・初地の仏

何故かと言えば、これから先に行けないと思えば引っ返すしかない、これを表現しようと思ったら、自分が今まで「イヤだ、イヤだ」と言っている世界に帰らなければならない。

rokudou.pngこれを初地の仏と言って黙っていれば仏さま、喋ったら地獄。一度口を開けば地獄に堕ちること矢の如くならん。千年以上も前から仏教は教えています。(六道

何故なら「ア」の上があることを知らない。アが究極でないことをコトタマの原理は教えています。ところが「アー」より上の「エ」と「イ」があることを二千年前に人類は忘れてしまった。


布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月15日

言霊 布斗麻邇講座・表現が出来ない「ア」の世界

陰惨なようで、陰惨でない、清冽、毒がない。それが凄いでしょ?「ググッと力を入れて奥に刃を突いて押した」という行で終わるのですから。読む人はブルブルっと震えます。だけど嫌な感じはしない。

それは何故か、自分がその気になって後で自殺してしまうのですから。知らない方も多いでしょうが、今、取り壊している市ヶ谷の防衛省に乗り込んで、連隊長の首をぶった斬って、自分も連れて行った右翼の大学生と腹を切って死んだ。

侍の頃の話じゃない、今から数十年前の話です。それを知った時に川端さんの弟子の三島さんもやったかと思いました。自分のやることに表現が出来ない「アー」の世界ですから、それを表現するには死ぬより他ない、実際に死んだ。

ですから、この境地にいながら黙っていれば阿羅漢と言って、一番下の位の初地の仏様なんです。ところが一言でも喋ったら「アー」と言っている内はいいですけど、「アー」の中に何かを入れようとしますと、選挙に打って出たり、師団長の首をはねてしまったり地獄に落ちてしまう。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月14日

言霊 布斗麻邇講座・縁覚と畜生

それから川端康成さんは世界で有名になった。だからそういう歌を詠っていれば極楽、仏様、ですけど、ある時、東京都知事に立候補した人の口車に乗っかってしまって応援しました。

自分は「アー」の世界に住んでいて、実社会のことは何もしらなかったんだなと気づいた。だから知人でもあった都知事の立候補者を応援することで、この社会と繋がりがある実感を持ちたかったと、それは、どうかは知らないですけど、良く解釈すれば。

応援しましたけど立候補した知人は落ちてしまった。それから気が変になって自殺してしまいました。「アー」の世界の自殺ですから原因は未だに分からない。

川端康成の信奉者だった三島由紀夫も自殺しました。あの方の小説も「アー」の世界。最後の小説は若い将校が、自分は参加しなかったけれど、二二六の責任をとって、死のうとする所から始まって、自分の奥さんに短刀を持たせて自分の首に切っ先を当てるところで終わる。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月13日

言霊 布斗麻邇講座・あゝ赤赤や

普通では言葉も交わせない人と何日も歩いた、それだけでも罪。別れる時は港から学生が去ってしまう。三浦洸一の踊り子の歌に「さよならと〜何も言わないで♪」、それくらい悲しい。お友達になって、素晴らしいと想っていたのに夢のまた夢で行ってしまった。

トンネルを過ぎるとの雪国もそう。川端康成さんは「アー」という境地に憧れていた。ですから周囲には美人が集まっていた。

あまりに「美」ばかりを見てしまったからなのか、ノーベル賞受賞者の記念講演で披露された歌、これで誤魔化しちゃったのかなと。それは「赤赤や、あゝ赤赤や、赤赤や、あゝ赤赤の暁の月」と詠って、これが仏像の救いの歌です、室町時代の歌人の歌ですと紹介した。

聞いた人はただ、「アー」としか言いようがない、いい歌でも何でもない(笑)、でも、よくよく聞いてみると「アー」としか言いようがない程、絶景であって、仏教の悟りの極意観が通用した。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月12日

言霊 布斗麻邇講座・言葉を超える世界

感動した藝術を前にしますと「これは良いな」とは言わない。そういう藝術は何点もございませんから、出合いましたら自分の心を観るとよろしいです。ただ「アー」としか言えません。

今の評論家は仏像一つ説明しても年代とか、素材とか、何も知らない。そのような人の本を買ってはダメですよ、言葉を超える世界ですから。仏教やキリスト教の経典や聖書が色んなことを書いて教えを説いておりますけど、救われた気持ちを説いたものは一つもない。

それは表現が出来ないから。ただ、「アー」としか。それをよく知っていたのが小説家の川端康成。「雪国」や「伊豆の踊子」を書きましたけど、康成さんが一高の学生だった頃に天城峠までズーッと歩いて旅館に泊まりながら呑気に旅をしていた。

踊り子は客の前で踊って稼がなくてはならない。その二人が仲良くなった。片や親のすねをかじながら呑気に旅している学生、一高の格好をしてますから、見た目にカッコイイ。片や教育のない踊り子、好きになってしまう。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月11日

言霊 布斗麻邇講座・ただ「アー」としか

る=在る
 それでは次のアの世界はどうか。ウとオのシガラミをスッと切った処の段階。シガラミを切ってしまいますと、ただ人間は「アー」と言うだけ。悟ったらただ「アー」。赤ん坊になってしまう。

と言うのは自分の心の根源の宇宙が分かる。あまりに素晴らしいので「アー」、私は何回か見たことがありますけど、初めて見た時には驚いてしまった、気が違ったのかと思った。

そのキレイなこと!キレイなこと!微粒子の氷のような、どんな宝石も比べ物にならないくらいキレイ、光の世界。私の先生にそのことを申しましたら「寂光」と教えて下さいました。寂しい光、ピカッピカッとではなく、おとなしい光。

その見た瞬間は心が和んで、もう何もいらない、もう満足だ、だから何も心が欲しがらない、と同時に「もう何も要らない」と言うのですから言葉が出ない。藝術と宗教がその分野。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月10日

言霊 布斗麻邇講座・今の貴方だったら、どう答えるね

飯食べてる時に「旨いかい?旨いかい?」と言ったら、聞かれた人間も旨いか、どうかも分からない。じゃ、どうしたらいいのか、過去が分からなくて、未来が分からなくて、現在が分からないのであれば人間、立つ瀬がないじゃないか。

「どうしたらいい?」、それが禅の公案、その問題に今の貴方だったら、どう答えるね、というのが、その公案のお答えを引き出す方法。

過去だけを引き出すのが「オ」ということを覚えておいて下さい。将来を絶対に語れないのがオの学問です。将来のことをオで語って当たった例がない。

株を売買する人に「明日はどうだね?」と訊いたら100%当たるようなことを確かに答えられる人はいない。当たるも八卦、当たらぬも八卦、買ってみなければ分からない、なんてことを言えば、売ることは出来ないですから「これはいいですよ」と勧める。口では何とでも言えますが分かりきったことです。それが当たるだろうと買うほうがどうかしている。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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2017年09月09日

言霊 布斗麻邇講座・一瞬でも過去でなければ分からない

それには自分も相手も同じ神様(生命)の愛で包まれているという意識がなければ不可能です。その神の愛の意識でもって、これも人間の修行のために起こっていたことなのだと感謝の気持ちで受け止めれば、この時、尾っぽの作用は最高の次元に昇華されるのです。

「オ」というのは今此処で過去を受け止めている過去の全部の記憶と言うことが出来ます。これを「居る」と申します。自分が今此処に居るのは記憶を背負い、どんな偉い学問の世界も過去が今此処にあるがごとくに思い比べて、その関連性を辿っていく。

一瞬でも過去でなければ分からない。今起こったことは科学では分からない。禅坊主の話を持ち出しますと、「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」、不可得は分からないという意味です。

過去のことは過去に起こったことだから今は分からない。過去のことは過去に起こってしまって分からない。未来心、これから起ころうとする心も未だ起きていないので分からない。じゃあ、現在、起こっている心が分かるかというと現在中だから分からない。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

つづき
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2017年09月08日

言霊 布斗麻邇講座・もうこの辺で終わりにしませんか

パズルでなければ何の意味もないように思われますが、この尻尾。イスラエルとアラヴがモーゼの時代から三千年、それを切った、張ったで今でも争っている。始めは体一つしかなかったのに三千年も続くともう習慣になってしまって敵がいないと寂しい。

敵がいないと「俺はどうやって食っているのか」、絶対に仲良くしない、完全にもつれて、みんな尻尾のために続けている。「あの野郎がこんなことして!」この尻尾の世界、性能のことをコトタマ学では一字で「オ」と言います。

起こったことは失くなってしまっているのに記憶だけが残る。この記憶の世界を「オ」、尻尾の世界。この尾っぽは、永劫の昔から現代までの物事の癖。こんなこと、あんなこと、と言った現代まで歩いてきたここまでのことを人間各自が背負ってきた因縁の世界。

ここのところの因縁をどう受け取るかで将来が決まる。三千年間、ぶっ叩き、ぶっ叩かれた。人を殺したり、殺されたり、いい加減にしろよって。お前は俺を、俺はお前をぶっ叩いたけど、もうこの辺で終わりにしませんでしょうかって。

布斗麻邇講座「天地の初発の時」(H18年4月・会報215-4)

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