2019年03月19日

言霊 布斗麻邇講座・フルノコトモト

成りませる神の名は甕速日(みかはやひ)の神。
 甕速日の神は五十音図をパッと一見し、これは何を意味しているのかが分かるような音図。天津太祝詞音図は「これが宇宙を照らす、人類を幸せにする、唯一の心の構造」ということが分かる人が見れば分かる。一つの全部まとまったものがパッと分かるようになっている音図。これを甕速日の神と申します。

次に樋(ひ)速日の神。
 樋は「とい」、水を流すように全体の流れを知るようになる、分かる音図のこと。

例えば石上神宮の布瑠の言本「ヒフミヨイムナヤコトモチ_ロラネシキル_ユヰツワヌ_ソヲタハクメ_カ_ウオヱニサリヘテ_ノマスアセエホレケ」この四十七文字のコトタマの一音一音分かってまいりますと、これは素晴らしいことを言い表しています。

この世の中を一遍に新しい光り輝く第三の生命世界に導く方法を、コトタマ四十七文字で重複すること無くその方法を説いています。これは素晴らしいものです。これは石上神宮の三千年来の秘言、唱え言です。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月18日

言霊 布斗麻邇講座・一番自分に良いことを言ってくれる十音の並び

いくらダビンチでも、観ている人の心をつっつく、押して結果は分からない。押して結果はどうなるかは分からない。それで、九拳剣。

アは自分の心を宇宙として絵を描いて、最後に行き着く処は観てくれる観客。その観客に圧力はかけるけれど、それが本当にいい絵だと思ってくれるかは不特定で不確定。九つは決定しているけれど、最後の一つは分からないからです。

十拳剣のアタカマハラナヤサワ、一度スメラミコトが命令したものは、徹底的に出された本人が幸せになるように言いますから、何人もそれに歯向かうことが出来ない。一番自分に良いことを言ってくれる、十音で完結いたします。

次に御刀の本(もと)に着ける血も、湯津石村に走(たばし)りつきて
 湯津石村については古事記と言霊に詳細に書いてございますので、ここでは省略いたします。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月17日

言霊 布斗麻邇講座・一つの意味あるもので繋がれている

次に石筒(いはつつ)の男(を)の神。
 一連の繋がれているものが(縦に五母音・五半母音または五つの子音が並び)、一つの意味あるもので繋がれていることがわかった。(五葉筒)一つ一つ見てみると、筒の中に入るものは、みんな一つ穴の狢で繋がっていることが分かった。

これもご自分の心で観てみれば「あの野郎、嫌な野郎だな」と思ったら、アの心がどういうように繋がっているか、アタカラハサナヤマと並んでやがる(笑)。相手を憎んだりすると、必ず相手に気づかれているということも分かってきます。

アタカラハサナヤマの心の並びは最後に「マ」、父韻の「ミ」ですから。相手は「俺を批判してやがる。」ア段の心の並びは、芸術的にどんなに素晴らしくても、万人がそれを受け容れるか受け容れないかは分からない。

アという宇宙の心でズーッと創作を続けて、最後の「ミ」で相手の心をつっつく、押す、感じろよ、感じろよ。どんな名画でもムシャクシャしている人にどんなにつっついても感動の一つも起こさせることは出来ません。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月16日

言霊 布斗麻邇講座・事象を現す並び方

ここに伊耶那岐の命、御佩(みは)せる十拳(とつか)の剣を抜きて、その子迦具土の神の頸(くび)を斬りたまひき。
 迦具土の神は粘土板に五十音を彫って、それを素焼きにした板。その一つ一つを集めた頸を斬ったことに二つあります。一つは十拳剣で迦具土の神は斬られたが故に出て来て分かった原理を述べています。

この時に伊耶那岐命と言ってしまうと無責任になってしまいますから、自分が斬ったらどうなんだ、そうすると物事は明瞭に事が重大なことに気が付きます。

ここにその御刀(みはかし)の前に着ける血、湯津石村(ゆついはむら)に走りつきて成りませる神の名は、石柝(いはさく)の神。
 縦に五つの言葉(五葉)が並んでいて、順序よく心の構造を表わしているんだなということがハッキリ分かった、自証できた。

次に根柝(ねさく)の神。
 根の方を斬ってみると父韻がちゃんと並んでいた。その並び方はどうだか分からないけれど、これが原動力となって物事を創っていくものなんだなということが分かった。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月15日

言霊 布斗麻邇講座・自分が求めなければ知ることが出来ない

自分が求めなければ分からない、求めてこれは悪い癖なんだと思えば、フッとその結びつきが分かる。これで父韻の「キ」が分かった。「ミ」は作用・反作用の関係ですから、結びつく「キ」に対して、向こうからこちらに結びつく「ミ」、同じことになります。

そういうことから八つの父韻は自分の心を反省している時に、自分の思うようにいかないこと、又は、思うようにいっても、何となく違和感を感じるものとかでハッキリと知ることが出来る。エ次元にいかずとも、コトタマ学の初期の段階で父韻は分からないはずはない。

なんたが当たり前のような話ですから、お分かりにならないかもしれませんが、反省してみて下さい。私はそうやって父韻を知っていきました。

かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。
 亡くなってしまって高天原から黄泉国へ伊耶那美命は何処にいるか。岐美の命が共同して創った子音、「カ」ならば「KiA」、伯伎の国は母音、出雲の国はムクムク湧いて出る雲は父韻との境、KとAの境にあるiのこと。

こんなに真面目にふざけられちゃうと、太安万侶さんって方は肝っ玉の太い、勤勉実直な厳しい方だったろうと思います。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月14日

言霊 布斗麻邇講座・結びつかなければ何も出来ない

相手を傷つけたのですから、それは有難くないのですが、傷つけたのにも関わらず、世の中でこうやって安楽に暮らさせていただいているのは、有り難いなと思う、両手を合わせて。

「有り難いな」と思うと、その時の心を観ると相手を傷つけたという心がフーッと消えています。「有り難い」というのは心の光なんです。そういうことを繰り返して行く内に癖がフーッとなくなっていく。

自分がコントロールするにも関わらず、フーッと結びつく癖は「キ」という父韻だと分かる、人を傷つける心の動きが嫌だと思うのでしょうが、結びつかなければ何も出来ない。切符を買う窓口で財布を出そうと命令された、それも父韻の一つの働き。

やって良いことも、悪いことにも結びつく。けれど、やって良いことも、なかなか癖と言うものは意識できない。やってはいけないということを、やってしまって「ヤダ」と思ったということは、そういうように結びつく癖が自分にあると思ったら、良いようにも悪いようにも、父韻のキミはこれなんだと知る。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月13日

言霊 布斗麻邇講座・また、やってしまった、けれど

それは、自分がこういう心を持つのが嫌だと思った時に、何故、出てしまうのか。キミの作用で、自分の心をコントロールする、しないに関係なく、その習性というものが、考え方の癖というものが、パッと経験知に結びついてしまう。

その時に「どうして結びついてしまうのか」をよくよく思って、その時に坐る、坐ってポアンとしているわけではないのです。

自分はそういう時にどうしても癖が出て来た時に「お前は出てくるなよ」と何度も言い聞かすか、出てしまったら、又、出てきてしまった、自分という人間は到らないんだな、相手を愛することもせず、相手を責めてしまうのは、この癖なんだと思った時に、にも関わらず世の中を、大手を振って歩いていられる。

ということは、自分の生命と言ってもいいし、宗教的に神様と言ってもいい、自分を許してくれている、自分を守ってくれている、両手を合わせて「有り難いな」と思う。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月12日

言霊 布斗麻邇講座・フッとくっつく作用

自分の習性になったものは理性的に直そうとしても出来るものではございません。達磨大師だと、ここで話は終わってしまいます。「分かったか?」、達磨さんは実に無責任です。今は達磨さんの時代ではございませんので、よくよく説明申し上げますが。

こう言ったら必ずあの人は機嫌が悪くなる、そのことを言わずにおきましょうと言って、その人に会って同じことをされますと、自分は又そこで同じような言葉を出してしまう。でも、それは「出るな」と命令したのに出てしまう。

自分の心の中にある経験知が、自分がコントロールする枠から突破して出て来るんだな、ということになります。そうすると、ここでよくお聞き下さい。チイキミシリヒニのキミという父韻、これが一番分かりやすいのでこれから説明申し上げます。

キは掻き来る、他から自分の方へ掻き来る(キ)、又は、自分から他へ近づいていって、そこの処へくっついていく(ミ)。どちらでも良いのですが、キミという心の父韻は自分の心に命令する、しないに関わらず、フッとくっついてしまう、ということだなと分かる。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月11日

言霊 布斗麻邇講座・同じことを繰り返すのは

ただし、父韻の一つ一つがどういうように泣くのか、分からなければ分かりません。どうやって分かるのか、言霊エの次元にいかないと父韻は分からないと申し上げてきました。

コトタマ学が一般の宗教とか心理学の方面から観ますと、エ次元でなくては分からないというのは真実なんです。コトタマ学の始めから観ますと、それは真実ではないと分かってきます。

どういうことか、ウとオの欲望と理論の世界に住んでいて、友達とうまくいかない。どうしてうまくいかないのだろう。「あーでもない、こーでもない」と悩みます。悩んでいる時に、あの人の言動の中に、自分の心の中は「ああいうことは嫌いだ」という経験知識が、あの人を心の中で責めてしまうから、諍いが起こるんだな、と。

もし、そう分かったとしたら、どうなさいますか?「ああいうことで責めることは止めよう」と言い聞かせます。でも、実際に会ってしまったら、同じことが起きますと、又同じことが起こります。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月10日

言霊 布斗麻邇講座・順序だって結末に着く

私達自身が、私とあの人が始めはこんなことから、終わりはこんなことで終わった、始まりはどうだったろうか、結末はどうだったろうか、事象を主体側からと客体側から観てみる。

ということは、あの人に相談したら、こういうようになった。その人の言ったこと、自分がどう感じたか、それを全部自分の心の中で、自分の心を観たり、相手の心を観たり、行ったり来たりしている内に、相談事がこういうようになった。

父韻の順序からどういう言葉を交わしたのか、だんだん分かってくる、泣き騒ぐと分かってくる、よくありますでしょ?友達と少し諍いがあったけど、家に帰ってから「なんであの人怒ったような顔をしたんだろう、言い過ぎたかな。」

だんだん、後になってからなるようになった、言い過ぎたのではなくて、それが発端となって、ちゃんと順序立てがあって結末が着いたから良かったな、というようなことから父韻の並びが分かってきます。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月09日

言霊 布斗麻邇講座・行ったり来たり

御枕方(みまくらへ)に匍匐(はらば)ひ御足方(みあとへ)に匍匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、
 和久産巣日の神のどう並べても良い確定していない音図を土台に、伊耶那岐命である私が自分の心のコトタマを見る勉強が始まる。

菅麻音図を正面に見て、主体側五母音(御枕方)である伊耶那岐命、客体側半五母音(御足方)対象は伊耶那美命の間を行ったり、来たりして(匍匐)、涙が上の方から流れ落ちて畝尾木である五母音の一番下イからヰに至る文字の連なりの事となります。

涙はその一番下の畝尾に下って来ます。一番下のイからヰに至る文字の連なりは父韻チイキミシリヒニの八韻です。

香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。
 父韻が哭(な)きたまふと鳴るをかけた。主客を行ったり来たりして、主客にどんな関係があるのか。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月08日

言霊 布斗麻邇講座・自分の心で確かめる

かれここに伊耶那岐の命の詔りたまはく、「愛(うつく)しき我(あ)が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易へつるかも」とのりたまひて、
 汝妹は伊耶那美命のこと、子の一木はタトヨツテヤユエケメクムスルソセホヘフモハヌラサロレノネカマナコの子を生んできた順序、ンを入れると三十三の子を生んで、我が妻は客観世界へ行ってしまったんだな、死んでしまった。

ということは今まで、伊耶那岐命の主観、主体は伊耶那美命が客体として活動していたわけです。その伊耶那美命が黄泉国へ行ってしまいましたから、自分が研究すべき対象は自分の心の中にある三十二の子音ということになります。

そこで区別をつけておきませんと、さっきも申し上げましたが、伊耶那岐命がやることで自分とは関係ないとお思いになるといけませんので。あくまでも自分がやるということを前提にして子を生みませんと。

私が言おうとしていた処はそこにございます。改めて強調させていただきます。あくまでも今日で終わらせていただきたい箇所は自分の心の中、伊耶那美命が代表として客体としてあったもの、構成したものは自分の心の中にあるものとして勉強し、自証していく段階に入るわけです。

布斗麻邇講座「出発点から終着点へ渡す心の動き」(H19年3月・会報226-4)

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2019年03月07日

言霊 布斗麻邇講座・分かれなければ分からない

かれ伊耶那美の命は、火(ほ)の神を生みたまひしに因りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。
 神避りたまひきとは「死んじゃった」ということではございませんから、ただ客観世界へ行ったというだけのことで。そう言えば死んだ人って客観世界にいますね。「おふくろ」と言うと、主観の世界から出てきていると言ってもいいですが。

主体と客体、主観と客観という区別に過ぎない、しかしながらこの区別は素晴らしい区別なのであって、人類に課せられた人間でなくては持つことが出来ない区別でもあるんです。

何故かならば、人間が自分というものを認識し、世界を認識し、他人の行為を認識し、宇宙も知り、天体のことも知る、ということはパッと見て「宇宙って大きいなあ」と思った瞬間、サーッと流れ星が流れた、あれは何だ?その瞬間に、人間の主体の心がパッと客体とに分かれる。

この分かれるということは人間に課せられた大宿命でございます。他の生物にはない宿命、あっても微かなもので人間ほどシッカリとした区別はございません。

ウから高御産巣日神のア(主体)と神産巣日神のワ(客体)と分かれるのは、人間に課せられた大恩寵、大恩恵と言ってもいいお宝。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3了)

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2019年03月06日

言霊 布斗麻邇講座・批判ではなく答え

神様を拝む神社の形式をとったのは、コトタマの原理を隠してしまった二三千年の間、世の中の人が困るであろうと予知して、信仰の対象として苦労を乗り越えて行きなさいという目的で建てた神社でございます。

今の人は厳然と自分即神である、威張る人に神として捉えることは出来ない。自分の心をズーッと観ていきますと、自分という者が他の人と何ら変わらないコトタマで生かしていただいている分かりますから、へりくだざるを得ない。

相手のお辞儀よりももっと下にお辞儀するような、そのような気持ちにさせていただく。人のことをやたらに批判しなくなります。批判するということは自分の心の刃で相手を切ることになります。これは悲しいことですから、批判はしないことになります。

貴方はどう思いますか?と聞かれたら、「こう思いますよ」と言うのは批判ではなく答えですから。やたら「あの野郎、あんなこと言った」、夫婦喧嘩に多い、年中、批判し合っている。

ですが、こういうことを言いますと心に壁はございませんから、批判しますと相手は直ぐ反応して引っ付いてしまう。頭では分からないですが、心の底で分かってしまう、だから変な言葉は使わないようになります。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3)

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2019年03月05日

言霊 布斗麻邇講座・自分の心を五十音図として見立てる

祈れば、いくらかは心が清々しくなって幾分かはご利益があるかもしれませんが、神様というのは祈るべきものではなく、五作るもの。神様への態度に祈る態度と五作る態度がある、参考にお話し申し上げました。

此処に来て、和久産巣日の神という最小限省略された五十音図がここに出来上がります。これから以後、伊耶那岐命が色んな心の構造として、探索する基本として、この和久産巣日の神である天津菅麻音図を基にして、その研究が始まることになります。

ということは私達が、これ以後の勉強をするには、この天津菅麻音図が自分の心の中にある、自分が行動した時に、天津菅麻音図がどういう活動をし、どういう変化を及ぼすか、自分の心を五十音図として見立てますと、必然的にお分かりになっていきますから。

一つ一つがハッキリしてまいりますから、それが天照大神という神様が自分の心の中にちゃんといらっしゃる証拠になるのでございます。自分の心の象徴としてあるのがコトタマの原理でこざいます。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3)

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2019年03月04日

言霊 布斗麻邇講座・外宮と内宮

先天構造によってこの世の中に生産されてくる精神的な一切のもの、これを先ず外宮で受け取ります。天津菅麻音図(和久産巣日の神)という大雑把な入れ物で選別して御厨棚に並べる。内宮の天照大神が並べたものを自由に操作して縦貫に世界の歴史を創ってまいります。

古事記の「子」だとか「孫」だとかはその効用を言い表しています。実際の子や孫ではございません、実際に今ここで生きている人のことです。

九州の会員さんが送って下さいました阿蘇神社の由緒書によりますと、阿蘇神社がどうやって出来たのか、それがものすごく面白い。神武天皇の命を受けて阿蘇山の近くに行って活動を開始してその地方を治めた。その活動した人物の父親の名前を付けて神社にお奉りして阿蘇神社が生まれた。

神様はいない、お父様の名前を神様にしたのですから。そういうことから、コトタマ学には神様はいない。天照大神という神様はいない、天津太祝詞音図という人間の最高の心の構造、人間が持ちうるべき最高の構造、これに対して天照大神という名前を付けたに過ぎない。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3)

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2019年03月03日

言霊 布斗麻邇講座・赤ちゃんは文化活動をしていない

次に和久産巣日(わくむすび)の神。
 何となく並べたけれど順序は定かではないけれど枠組みを作ることは出来た、原理は分からないけれど。初めて人類は自分の心にある五十音を五十音として並べた瞬間だった。

和久産巣日の神と申しますのはコトタマ学がもっと進んでいきますと、天津菅麻音図と申します。菅麻(すがそ)は清々しい、オギャーと生まれた赤ちゃんの持っている五十音図、赤ちゃんですから父韻の並びがハッキリしません。

父韻は文明を創造していくための活動の担い手ですから。というよりも赤ちゃんは活動しておりませんので、和久産巣日の神と申しますのは天津菅麻音図ということが追って分かってまいります。
この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ。
 伊勢の外宮にお奉りしている豊宇気比売の神。伊勢神宮にお参りする時は外宮からお参りするのが普通です。内宮が先かと思われるでしょうが、一般の形式は外宮から。何故か、外宮の豊宇気比売の神の豊は十四、先天構造を表わします。受けは食器、容れ物に十四を入れる比売。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3)

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2019年03月02日

言霊 布斗麻邇講座・空から発する現象

「広いなぁー」と思った宇宙は自分の心そのものだった。「広いなぁー」と感じるのは自分が広くなければ感じない、そういうことから、宇宙は「広いなぁー」と思った一瞬にして、あっ、自分の心だ。

その時から、もう何も考えることなく、自分は「空」なり、空から発する現象なんだ、その「いまり」のお話しの余談でした。
次に尿(いまり)に成りませる神の名は弥都波能売(やつはのめ)の神。
 一つ一つの心と言葉の要素にちゃんと組み込まれて間違いないということを、自分の心で確かめて、その次に心の五十個がどういうように並んだらいいかな。

天に上るのはア、地に下るのはイ、その間に三母音(三つ葉の目)ある、それは自分の心に照らし合わせて、何だか分からないけれど、アの段、イの段、ウの段、オの段、エの段としたら、少しは体裁が整った。自分の心の中にも五十音が散らばっているのかなと、分かった。自分の心と照らし合わせて作業するのですから。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3)

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2019年03月01日

言霊 布斗麻邇講座・いまりして仰げば斜め天の川

次に尿(いまり)に成りませる神の名は弥都波能売(やつはのめ)の神。次に和久産巣日(わくむすび)の神。
 いまりは小便のことですが、私の先生(小笠原孝次氏)の先生(山腰明将氏)が突然の事故で亡くなられて、六畳間の天井まで届く参考資料が燃えてしまって、三十年間の記録が焼失しましたから、自分が頑張らねばと、コトタマ学を話し歩いていた。

上州の高崎にある禅寺へ行った時に、そこの和尚さんが「小笠原さん、声を大にして言の葉の道である心と言葉の原理をお説きになる以上は、禅の‘空’をご存知でしょうな?」ギョッとして、禅の勉強をしたことがなかった。色即是空、空即是色が分からなかった。

これはいけないということで、東京に帰って、翌日から釣り箱と大きな傘を持って、多摩川の辺りへ日参しまして、餌を付けずに釣り糸を垂れて、二年近く、「わかったぁ!」と言ったそうです。

座ってばかりおりましたので背伸びして、小便(いまり)したくなって、川原で用を足しましたら、ヒョイと見上げると、晴れた夜空で出来た俳句が「いまりして仰げば斜め天の川」。広いなぁー、宇宙は広いなぁー、自分の心と宇宙が一緒になった。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3)

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2019年02月28日

言霊 布斗麻邇講座・音と文字

次に屎(くそ)に成りませる神の名は、波邇夜須毘古(はにやすびこ)の神。次に波邇夜須比売(はにやすひめ)の神。
 組む素、その五十音があるんだなと自分の心の中に確かめたら、その一つ一つをクソ組む要素(くそ)といいます。それが波邇夜須毘古の神か波邇夜須比売の神かを試して下さい。

自分の心の一字一字(言)、コトタマの一つ一つ(霊)が自分の心の中で、本当に安らかに自分が認識をしているかどうかを確かめて下さい。ただ、伊耶那岐命が確かめるのか、「私は知っちゃいないよ」ではなくて、そうではなくて自分が確かめるとしたら。

音と文字がコトタマとしてしっかりと結んでいるか、どうかを考えてみて下さい。大概の方は私を含めて半分は「NO」だと思います、そこをよーくお考え下さいませ。自分のこととして。

波邇夜須毘古の神の毘古は男性、主体、心です。波邇夜須比売の神は文字、どちらともシッカリと目的を果たせるように、ちゃんと印画されているか、自分の心の中に、それを調べてみて下さい。

布斗麻邇講座「離婚」(H19年3月・会報226-3)

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