2018年02月17日

言霊 布斗麻邇講座・地盤、看板、鞄

昔、田中某という一国の総理大臣になった有名な方はゴルフが好きで、キャディが付きますでしょ。「貴方は何ていう名前?」と聞くそうです。一回聞きますとそのゴルフ場へ何年も行かなくても「◯◯さん、暫くだね」と言ったそうです。

何年も会っていないのに、ただ何時間か過ごしたゴルフバックを担いでくれた人の名前を忘れない。「◯◯さんだね」と言われたら、そのキャディさんは一生忘れません。一国の総理大臣が何年も経ってから「暫くだね」と言ってくれたら感謝感激アメアラレ。

選挙区民だったら投票したくなってしまいます。議員の特技です、年金や健康保険の番号を忘れても人の名前を忘れません。国会議員は三つの「バン」、地盤、看板、鞄を持っている。

地盤は選挙区との繋がり、この人はイザとなったら一票の価値がある、これを忘れてなるものか。看板は知名度、なにをやった人だと知られているか。鞄は選挙に使う費用のこと、お金のこと。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月16日

言霊 布斗麻邇講座・掻き繰り結び付く

これに近いものが過去にあったな、言霊ヲという半母音から引き出してくる。それと比べて「これは時計だ」と。今までになかったけれど、記憶の世界(言霊オ)を溜めておく所(言霊ヲ)。

そこからスーッと掻き繰ってくる父韻キ。「時計」と言う前に父韻キが掻き繰って来なければ出来ない。その掻き繰ろうとしている(キ)中に時計というものが印画されていなければ、ようするに時計を見たことがなかったら「これだよ、これだよ」と言っているだけ。

見たことがなければ掻き繰れない。大きな宇宙の中で自分の過去の経験を仕舞っている所から自分の方へフッと掻き繰って来る能力。これを父韻「キ」、カキクケコが当たります。

それに対して妹活杙は父韻「ミ」、マミムメモは結ぶ方。宇宙の中で「時計だ」と結びつこうとする働きの原動力。これが無かったら人間は大変なことになる、このキミは人間が生きていく上で用が大きいですので生杙です。

こういう触覚が大きい方は千代田区の永田町にウンと集まっておりますので、直ぐに分かります。あそこに議員のバッチを付けている人は大変な触覚の持ち主。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月15日

言霊 布斗麻邇講座・サブリミナル効果

何故か、パッと見た瞬間に「時計」と言うのは、見た即は「時計」ではない、ある程度見ませんと。視覚でとらえても「時計」という言葉は出てきません。

TVの広告はやってはいけない規則があって、広告会社はこの規則を遵守しないと罰せられる。どういうことかと言いますと、一秒間の内に十数コマの商品名をガッと流しますと人間は識別できない。

これを映画館の合間に流しますと飲み物や食べ物にこの商品の売上が10数%伸びるそうです。人間の視覚には映らなくても奥底のものにちゃんと通じている。こういう広告はTV会社もしてはいけないという法律があります。

人間の視覚と本能に作用する、それを広告ではやってはいけない。そういう機能を人間は持っている。パッと見た瞬間的には「時計」と言うかもしれませんが、「あっ、時計だ」と言う一秒の何分の一かの間に人間の頭がどういう作用をするか。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月14日

言霊 布斗麻邇講座・瞬時の識別能力

次に角杙神の神・妹活杙の神(ツノグヒのカミ・イモイキグヒのカミ)、これは説明するにもっともやさしい。思い当たる現象がたくさん世の中にあります。「杙」は突っ立てて支柱になんかにする。

これを説明するのにちょうどいい表現が昆虫の「触覚」、角のように生えている触覚のような働きの原動力。又は人間が生きていくのに大変必要な能力、原動力。昆虫の触覚は獲物が何処にいるか、この枝葉はここに下りているのか、もっと続いているのか、というように、目で見るより触覚で見た方が確実です。

人間もこれと同じようなことをよくやっています。目の前にホイと出されるものに、何方でも、これは「時計だな」とか「スプーンだな」とか識別します。こんなこと当たり前じゃないか、ところが、識別するに一秒もかからない。

瞬間的な0.0何秒かのうちに「これは時計だ」と識別する能力、これは大変なもの。人間の頭脳は、大きく高価なコンピュータより比べ物にならないくらい、素晴らしい頭脳を持っている証拠でございます。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月13日

言霊 布斗麻邇講座・意識しないと自分の知恵は常に発動される

自分がそういう真っさらな心で溶け込みますと、一時間でも二時間でも真っさらなんです。自分というものを意識しないと。意識しないと自分の知恵は常に発動される。だから飛び込んだ時と同じ状態で知恵が働く。

この知恵が働くという状態は飛び込むとは違いますから反作用の立場になります。そこで「イ」と言うのは「チ」と一つの組みになっています。もう少しお話ししますと、真っさらな心だけでは成功しない、知恵が伴わない。では、知恵だけでうまくいくかと言えば、真っさらな心に包まれていないとうまくいかない。

真っさらな心は総ての思惑と縁を切ってしまった心ですから、これを仏教で言えば「諸法空相」と申します。総ては空っぽだよ、それに対してチチチチ…の雰囲気の中で説明する心は「諸法実相」でございます。実際を司っている心。諸法空相と諸法実相の関係がコトタマでは「チ」と「イ」の父韻の関係を示しております。

もう一つ申し上げますと、宇比地邇は「チ」妹須比地邇は「イ」です。この「イ」はアイウエオのイではなく、ヤユエヨのイ、母音ではなく父韻の「イ」です。昔、母音のイと父韻のイは違う字を使った、そのように区別しましたが、今は同じにしちゃいましたが。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2了)

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2018年02月12日

言霊 布斗麻邇講座・動機を持続する知恵

パッと飛び込んだ時の真っさらな宇宙の心の中にある知恵、テクニックが同じように宇宙の心の中で働けば良い。我という自我の中で働くのではなくて、自由な心の中で働いて行けば良い。

チチチチ…常に宇宙の心はズーッと宇宙の方へ行く、飛び込んだ宇宙が消えるわけではないです。その宇宙の心と常に一体となって話すことが出来るとするならば、その人は成功するに決まっている。

ということは一瞬々々、宇宙の心というのはチチチチ…と常に取り込んでいる。その中からチチチチ…と同期して自分がテクニックを喋る心とが一緒になればうまくいきますよ、ということが「須らく地に比べて近し」の解釈でございます。

ですから、パァーッと飛び込んだものの勢いは、説明を始めたからと行って決して衰えているわけではない、その勢いと同体になっていればいいんだよ。そうしますと「チ」が作用、「イ」が反作用。飛び込んだ一つ々々の知恵がその場、その場でポンと出て来ますから反対の作用、二つが一緒になって一つにズーッと、ということです。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月11日

言霊 布斗麻邇講座・勢いと同期する

取り込んでそうなったのは良いけれど、次はどうなるのか、どうにでもなるでは事はすまないわけです。売り込みへ行ったのですから機械を説明しなければなりません。「須らく地に比べて近し」にならなければなりません。

「須らく地に比べて近し」とはどういう状況かと言えば、自分が持っている機械についての知恵、それとそれをどのように説明すれば相手がどのように理解するかの智慧、この知恵がなければ話になりません。

でも製造会社に勤めているのですから、ある程度は知っているわけです。それを披露することになる時、自分が宇宙そのものになっている「宇比地邇」の中でやるわけですから。

真っさらな心で飛び込んだ、その真っさらな中に仕舞ってある、どう説明するか、どう売り込めば良いかの知恵は既に其処に入っている。入っている知恵がズーッと訪問先の会社員と一体になった同じ世界を共有している気持ちの中で知恵が同じように溶け込んで行けば良い。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月10日

言霊 布斗麻邇講座・同じ心でいられる契機

次の妹須比智邇(イモスヒヂニ)の神、宇比地邇は地と比べる、須は須(すべか)らくは必ず、須らく地に比べて近し。須らく斯くありたい、そのようにおっしゃる方は今でもいらっしゃいます。

必ず、そうなりたい、とかの時に使います。「須らく地に比べて近し」、だけど、ここに妹が付いています。先に申しました宇比地邇と作用・反作用の関係になる。すると、宇宙が現実にパァーッと飛び出してくる。

反作用だから地面が宇宙へ行ってしまうのかと言うとそうではない。文字を解しますと「須らく人間の何かの知恵と同じ」。それだけではまったくお分かりにならないでしょうから、これから又、さっきの物語の続きでお話しします。

真っさらな心でどうなるかは結果に構わずに取り込んで全身全霊を尽くせばいい、その意気込みを取り込んで訪問先の会社に「おはようございます!」の一言で同じ仲間のように、同じ心でいられるようになる。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月09日

言霊 布斗麻邇講座・行動は心の現われ

世間で起こること、新聞の色んな解説、TVであぁでも、こぅでもない、十人集まったから物事の実相が分かるわけではないのです。それじゃ、百人集まればもっと分かるか、だんだん分からなくなる。

一番いいのはアの眼を持った、視点を持った人間が一人居れば完全に分かる。実相という意味がよく分かってまいりますから、耳で聞いたことを頭に残しておいて下さって、現実に「チ」が動いた時に、ある場合にハッと判りますから。それを心がけて頂くと大変面白いことになると思います。

「チ」という父韻が分かりますと、人が「チ」の行動を起こしたことを立ち所に分かります。「チ」を自覚した人が課長だとおっかない。この野郎、この人、この社員はやる気があるのか、「ハイ!」と立ち上がる所作だけで、当てになるのか、ならないのか。

「チ」ですから、何か起こるのか、自分が全身全霊を傾けているか、いないか、バッと分かる。そうじゃない人は、イヤだからイヤイヤながらしているのか、これは一つの例です。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月08日

言霊 布斗麻邇講座・心の動きを知る

コトタマ学と申しますのは突飛なことを申し上げているようで一つも突飛でないのです。人間がこのコトタマによって生きているのですから、生きていることの原動力についてお話ししているだけです。

知っても知らなくても同じことをやるに変わりはない。ただ、知ってしまいますと世間や人を見る目が一段々々上がって来る。ウ〜オ〜エと上がって来る、仏教ではこの上がって来ることを「輪廻」、良い輪廻は十段階に分かれていて、衆生(ウ)、声聞(オ)、縁覚(ア)、菩薩(エ)、仏陀(イ)と分けます。

父韻を自覚する時はア次元に立った時に日常茶飯に分かってきます。アというのは自分の本体は宇宙だと分かる、自分の宇宙に働きかけてくれている父韻というものは現象を出す原動力ですから自然と分かってしまう。

そういうように、それを心がけていく内にフッとお分かり下さる時がございますので、チャンスとして父韻のことをご自覚下さって、物事の実相がよーくお分かり下さると思います。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月07日

言霊 布斗麻邇講座・頭でなく心で判る

ただ、そのように私がお話し申し上げますと、「ああ、そうか、何でもチというのは動いていてくれているんだ」、「そうなんだ」って終わってしまう。だから、そうやって理解下さっても実は何も理解していないことと同じことなんです。

それじゃ、どうしたらいいんだ、父韻が分かりたいと思ったら、暇があったら父韻のことを考えていただいて、フッと何かしようとした時に、「アッ、これ!」と気付かれるニュアンスを感じることがあったら、これはもう忘れっこない。

自分のやったことを自証したことになる。そういうことで父韻を自覚していただきたい。理屈とか聞いて分かったなら、それを「父韻ってどういうのかな」という疑問を自分の心に止めておいて、何かをしようとした時に「アッ、これ!?」

瞬間的に心が動いたら、それはもう父韻を自覚したということになります。もう、一生、忘れはしません、覚えておいて下さい。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月06日

言霊 布斗麻邇講座・動機の韻

この「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」の「身を捨ててこそ」が「チ」、チの火花。特殊な行いの始まり、その気合だとお思いになると。けれど、実はそういうことは際立っているからではなく、実際はただ無くてもあるんです。

私たちはその「チ」という父韻の働きを年中受けている。何故ならば、朝起きて「まだ眠いな」と思っても、目覚まし時計が鳴りますと「起きないと会社に遅れるな」、パッと起きます。その「起きなくっちゃ」という時に「チ」が働いています。

その時に半分くらいしか目が覚めないでいて、朝ご飯を食べて「さっ、行こう」とカバンを持ってサッと行った時、その時に「チ」が動く。休憩していて「もう時間だからソロソロ働くかな」と腰がフッと浮いた時。

何でもやり初めの自分の心が場面を変えて、動かなきゃなって時は総てこの「チ」が動く。何も特殊な場合ではなく年中、動いています。これでだいたいお分かり下さると思います。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月05日

言霊 布斗麻邇講座・示現流の構え

コトタマの父韻のことをお話いたしますと、こういうように一口の場合で説明しないと、父韻の気持ちというものが際立たないから、特殊な場合でお話申し上げるわけです。

この「チ」という父韻を型にした剣の道とする流派が鹿児島県に残っています。示現流と申します。どういう流派かと申しますと、頭の上に両手で刀をかざす八双の構え、「ェスト!」の掛け声、タチツテトの母音を使って、ダァーッと相手に突っ込んでいく、相手の体にぶつけるようにして切り下ろす。

失敗したら又、戻っていって同じようにドォーッ!と突っ込んでいく。この構えがダメだから違う構えでということがないそうです。その構えの前に何かやられてしまったら終わり。

けれど、気力の上で相手を圧勝するように怒涛の進撃をする剣道だそうです、私は実際に見たことはございません、聞いただけの話なので。この示現流の極意は「振り下ろす剣の下は地獄なり、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月04日

言霊 布斗麻邇講座・当たって砕けろ

こうなりますと言霊父韻「チ」と申しますのは、何にもない心は宇宙の心、人間の本体は宇宙です、地面というのは現実の場面、現実の天地としたら、宇宙は先天、後天は現実。

天の心で行ったら現実に比べて間がなくなってしまった(宇比地邇)、宇宙が地面と一緒になってしまった。というと「チ」は宇宙の心で、もう破れかぶれでも当たって砕けろ、パッと行く心の気合。

その心になる時は、頭の奥にある「チ」の火花がバババッと光る現象だということになります。いくらかお分かりでしょうか。その何も考えずにパッと飛び込んでいく時の原動力をコトタマ父韻「チ」と申します。(タチツテト)

皆さんも何度かそういう経験をなさったことがお有りだと思います。何も頼るものもない、けれど、真っさらな心で「どうなってもかまわない」と飛び込んで行ったらスラスラといってしまった、ということです。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月03日

言霊 布斗麻邇講座・何も考えずに無心の真っさらのさら

機械の性能はよく分かっていますから当たり前のことですが、その説明の仕方も堂に入ったもので、俺はこんなにすごい力を持っているのかと思えるほどうまく行っちゃったと、こういうことがあったと思って下さい。

そうすると、スッタモンダした末に、いくら考えてもどうにもならない、自分の力なんてそんなにあてに出来るもんじゃない。どうにもならない、それでも行かなくてはならない、それならどうなんだ、もう諦めるしかない。

笑われたって、何だってかまわないから、ただ行って言うだけのことは言って帰ってこよう。成功する、しない、を考えれば、それだけでプレッシャーになるから、何も考えずに無心でもって行こう。「よしっ、行こう」、訪問先の会社の自動ドアがパッと開いた時は「真っさらのさら」になって、飛び込んで行ったらうまくいった。

ということになると「真っさらのさら」というのが宇宙、宇宙そのものは何の先入観もなく飛び込んだのですから。「おはようございます!」の挨拶が取っ掛かりとなって向こうは聞く側、こちらは言う側、主体と客体が完全に一緒になった、そうしますとスラスラと行った。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月02日

言霊 布斗麻邇講座・やるより他ない

機械のことは知らないわけではないですが、どういうように説明したら良いか、分からない。説明することがなくなって大勢の人から笑われてしまうかもしれない。すったもんだ、頭の中がそういう思いが駆けずり回ってとうとう夜中になってしまって考え疲れて寝ちゃった。

朝起きたら、もう腹を決めなくちゃならない、で、顔を洗ったら決心がついた。行くより他ない、やるより他ない。行くのがイヤだと言っても、俺も高熱が出したら別だけど、生憎、熱が出て来ない。

よし、行くより他ないな、笑われようが、何をされようが、そんなことは知ったぁこっちゃない、出来る限り一所懸命するしかない。そう心に決めたら、スカッとして鼻歌でも歌いながら会社へ乗り込んでいった。

そうしましたら、自分でも呆れるほど肝っ玉が座って、大勢の人が出迎えてくれて「おはようございます!」と大きな声で挨拶したら、トントコトントコうまく行っちゃって、自分でも良くこんなにうまく行ったもんだと。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月01日

言霊 布斗麻邇講座・どうしていいのか分からない

私の体験話ですと誤解を招きますので、ある機械を製造する会社の若い社員の話としてお聞き下さい。

ある時の午後に社長から「明日、お得意の会社へ新しい機械の売り込みに行くので、君、一緒に来てくれるな」と言われた。お供なら気が楽だと思って、家に帰って明日は出社しないで社長と一緒に行けばいいから、一杯呑んで寝ちゃおうかなと、そうしましたら社長から電話があった。

「困ったことになった、家に帰る途中にゾクッとしたんだけど、高熱が出て明日は行けそうにない。君、ご苦労だけど一人で行って、手はずは分かっているだろうから説明して売り込んできてくれ。これより方法はない、頑張れよな。」

その若い社員は一人で売り込みに行ったことなどない。さあ、それからってものは大変な騒ぎ、どうしていいのか分からない、頭の中がガンガンしてしまって、何せ新しい所の会社へ行くのに、大勢の人が見守っているに違いない、そこへ持ち込んで説明するのにどうやったらいいんだろう。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年01月31日

言霊 布斗麻邇講座・人間の心の住み家

「宇」という字を辞書で引いてみて「軒」又は「屋根」のこと。それから転じて「家」。「宇」は宇宙でしょ?日本の家の語源は五段に重なっている、母音がなっているアイウエオ、アオウエイ、五母音が重なって家(五重)。

五つの宇宙が重なって一つの宇宙を構成している。其処が人間の心の住み家ということで、人間の心の本体は宇宙だとハッキリ言うことが出来る。家というのは宇宙ということ。

宇比地邇、比は何々と比べる、漢文はここで返り点が付く、家を何に比べるのか、地に比べる。家は地に比べて近し、家(宇宙)が地面に比べて近し、宇宙がズーンと天が下がってきて地と一緒になる。

そういうように考えた、私が。さあ、分からなくなった。スッタモンダ、スッタモンダした末に、どういうことか、ハッと気がついた。その気がついたことは私が現実に社会に出てやったことで気が付いた。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年01月30日

言霊 布斗麻邇講座・拝んでもご利益はない

始めは宇比地邇(ウヒヂニ)の神、あまり難しいと皆さん、あいつが「難しい」と言っているから俺には「無理だ」と思われたら、そうではないのです。理屈って言うのは案外平常には疎い、第六感でフッと捕えられたらこんなに有り難いものはない。

こんな神様はいないですから、ハッキリ断っておきますが。神とありますから、これを一所懸命拝んでいれば父韻が分かるだろうと、一生拝んでも分かりません、保証しておきます、こんな神様いないのですから。

けれど、人間の生命の中にあって、人間の行動を総て機能の力によって人間の行動を現象として現すものを「神様」だと言えば、それは、神様はいます。けれど、手を合わせて拝む神様ではないのです。

宇比地邇の神と名前で表される言霊「チ」と申しますのは、オギャーと生まれた時から授かっているのですから。授かっているものをいくら拝んだところで外方を向きます。こんなに用を足しているのにまだお前は拝むのか、ということになりますから。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年01月29日

言霊 布斗麻邇講座・言葉にする前の頭の中の誘い

「あいつは嫌な奴だな」と思っても喧嘩するのではなくて、家に帰ったら何故「嫌な奴だ」と言ったのか、思ったのかを自分の心に照らし合わせて考えてみますと、パッと見た瞬間のニュアンスなんですね。

「嫌な奴だ」と思った時が「嫌な奴だ」とする原因ではない「嫌な奴だ」と思う前に何か自分の心にチクンとする何か。ピカッとしたら直ぐにゴロゴロではない、ピカッとして何秒か後にゴロゴロですから。

本体は「ピカッ」にある、その「ピカッ」とは何だろうをジーっと考えて、私の先生と続けてそうやってきましたけど、「これなんだ!」って分かりましたのが、そんなに昔ではないのです、まだ二三十年前のことです。

その時の消息をもっと噛み砕いて、どうしたら良いかを年中考えた末に今回のお話でご説明いたしますので。分からないのであれば「ハイ」と手を挙げて「そんな未熟じゃ分からない」と仰って下さい。そうしましたら私は死ぬまで考えますから。

その「ピカッ」としている時は分からないですよ、光ったから分かる、光る前はどうなんだというのが父韻ですから、そこで難しいことになりますけども。

布斗麻邇講座「ビカとゴロ」(H18年7月・会報218-1了)

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