2018年10月20日

言霊 布斗麻邇講座・暗い処があるから光を望む

何故かならば、あの綺麗な蓮の花は泥沼しか咲かないのです。人間というものは、人間の罪穢れ、暗い処があるから光を望む。暗い処から光の存在を認め、しかもその光の存在を心の大きい部分を占めるようにして、最後に光の立場から物事を観るようになった時が、古事記の、コトタマ学の完成の時であります。

そういうことを明治天皇が希望の上にお知りになって、山腰弘道先生を野に下したと考えることが出来ます。

第二は、昭和天皇が大戦で負けて、次の年の昭和二十一年の年頭にあたって、人間宣言をなさいます。「古事記と日本書紀の神話と皇室とは無関係である。」奇想天外な詔勅を出されましたが、日本の歴史家は本当の意味を知りません。これもコトタマの原理に則らないと分からないように出来ています。

そういうことによって、二千年もの間、古事記の学問を研究すると死ぬと言われてきました。誰もしたことがなかった。それを解禁した、誰でも研究しなさい、それから古事記の学問は急速に進むことになります。それでも何もバチは当たらないことになり、昭和天皇の宣言がそこまでご存知だったのかどうかは別として。

布斗麻邇講座「第三文明への通路」(H18年12月・会報223-6)

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2018年10月19日

言霊 布斗麻邇講座・秘中の秘の一番大切な所

堂々とした講義ではありましたが、聞いていた中枢部のお偉方の理解を得ることが出来ず、そのまま大東亜戦争に日本は突入してしまったということであったようです。そういうことから、この百年間のことを振り返ってみますと大事なことが三つございます。

その三つとは「何ぞや」と申しますと、第一は明治天皇が皇后のお輿入れの時に持ってきた和歌とコトタマとの関係をもう一度ひっくり返して、コトタマと古事記が関係あると、賢所から見つけられコトタマ学の第一としたこと。それにより古事記の百の神様を五十音一音一音と結びつけた。

二千年以来、秘中の秘とされたコトタマ学の一番大切な所を明治天皇が「これからは宮中で研究してもなにもならない、進歩がない、これは民間に下り、民間の力で以て、泥沼の生活の中から真理の光を見出して行きなさい」と山腰弘道先生に命令を下した通りに民間に下された。

これは完全に、山腰弘道さんを代表として、この民間でもってコトタマ学を完成させなさい。宮中に置いていては泥沼という洗礼を受けないと、この光の学問は完成しないというお気持ちから、このように民間に下したのだろうと考えられます。

布斗麻邇講座「第三文明への通路」(H18年12月・会報223-6)

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2018年10月18日

言霊 布斗麻邇講座・音韻学からのコトタマ学

昭和十五年、ちょうど太平洋戦争が開戦する前に、日本の上層部、皇室、陸海軍の大将、元帥、それから各国務大臣、東京の警視庁長官、情報局の長官等々、偉い方が集まり、アメリカと英国に対しての戦争は、これは「やるしかないだろう」ということになった。

だけど、考えて見ると今、開戦すれば我が軍が勝つという保証は何処にもない。むしろ、どちらかと言えば不利である。けれど、元寇の蒙古が攻めてきた時に神風が吹いたが、今はそのような物質的な神風ではなくて、何か、この戦争を良しとする眼目になる伝統の何かが欲しい。

日本に何かそういう伝統はないのだろうか、ということから当時、山腰明将先生が研究されていたコトタマの学問に白羽の矢が立ったそうです。この勝どきを渡ったすぐそこに海軍将校のクラブ水交社があって、皇室、陸海軍の大将、元帥、それから当時の大臣を前に一週間に一度、十週間に亘り「言霊」の講義を山腰先生が開かれた。

その時の記録は小笠原先生から一冊頂いておりますが。読んだだけでも堂々とした講義だったことは間違いございません。ただ、山腰先生の時代は現代の言葉でコトタマ学を解釈するのでもなく、生きた人間の言葉で解釈するのでもなく、音韻学という日本の昔からある解釈で講義をされておりましたから。

布斗麻邇講座「第三文明への通路」(H18年12月・会報223-6)

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2018年10月17日

言霊 布斗麻邇講座・照らし合わせた九十五神

八十一番目から百番目までの二十神、ちょうど禊祓の神様です。「それは、あなた頼むね」と宿題を出されて亡くなりました。その時から二十四年経ちまして一日も欠かさず、そのことばかりを考えて、その考えた中から覚えましたことをこうやってお話しさせていただいています。

私の日頃の忘れない願望は禊祓の神様が関係するコトタマを、コトタマの活用の方法を、自分の心に摺り合わせて解決する。だいたい私の中で百神の内の95%は終わっておりますが、後の5%は未だ完了しておりません。

毎晩、毎晩、私は少なくとも一二時間座って、相対して、勉強させていただいております。そういうような経過で今、この会が活動させていただいているわけでございます。ここで百年の間のことを振り返りますと色んなことがございました。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5了)

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2018年10月16日

言霊 布斗麻邇講座・宿題

私が先生の所へお訪ねした時はコトタマの本は一冊も出来ていない時で、先生に会って口からコトタマの学問は教えてもらえないとならない時でした。昭和四十四年に初めて古事記解義「言霊百神」という本が東洋出版社から発行されまして、現代語でコトタマ学の第一冊の本が出来ました。

「言霊百神」のはしがきには「言霊の冊子が出来た、出来たんだよ、と大空に叫ぶ。」先生が二千年の暗闇から日本最高の伝統の学問の本が「出来た」という喜びをよく表わしております。

その後、古事記と自分の心の摺り合わせの仕事はズーッと続きまして、私は昭和三十七年から先生がお亡くなりになった五十七歳まで、ちょうど二十年の間、先生の薫陶を得ることが出来たわけです。

その時、先生が亡くなる時のちょっと前に「あなたが好きなように喋ってくれ」ということでしたが、亡くなる時によくよく聞いてみましたら、
「私は古事記の神様と自分の心の摺り合わせで、天之御中主神の第一神から八十番目の神様までは終わっている、ここまでは間違いない。ただ、八十一番目奥疎の神からは心との摺り合わせが未完成なので、山腰明将先生の教えをそのまま自分が受け継いできた。それを一つ、宿題として片付けて下さい。」

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月15日

言霊 布斗麻邇講座・考えがフッフッと飛び出してくる今此処

「天地の初発の時高天原に成りませる神の名は」というのは、何千年、何万年前の地球、この宇宙、天体物理学で謂う所の“天地の初発の時”ではなくて、人間の意識が何にもないところから、考えがフッフッと飛び出してくる今此処を言っているのだ。

間違いないという確証のもと、心と古事記との摺り合わせが終わった。それが終わったら一気呵成にダアーッと先天の十七神、三十二の子音が出て来るまでが、よく分かった。そのようにおっしゃっていました。

私は先生が古事記を相当解った時に、先生が色即是空を感得したのが昭和二十八九年頃から後八九年経った頃です。私はその頃長野県の安曇野におりましたが、知り合いの弁護士さんから「こういう方に出会ったから、是非会ってみたまえ」と盛んにお誘いの手紙をいただいて。

小躍りして訪ねて行ったのが昭和三十七年、その二年後に東京オリンピックが開催されたと記憶しております。その頃の記憶が薄れておりますが、ズーッと日記を付けておりましたが、当時のことはあまり書いていないので分かりませんが、ちょっと前だったことは間違いございません。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月14日

言霊 布斗麻邇講座・自分の心の中に確かめる

ただ、昭和二十五年から三十年にかけては、私もよく知っておりますが、東京は不穏でピストル強盗が横行しておりました。そのために警官が一人でなく二人で警戒に歩いていて、不審者を見ると「何をしているのか?」と訊かれたそうです。

座禅の途中に声を掛けられるのが辛くて、それには釣りをしているに限る。釣り人が悪い事をしているはずがないということで、声を掛けられなくなったそうです。実際には釣りをしていたわけではなくて、座禅を二年弱の間、風が吹こうが、雨が降ろうが、大きな傘を持っていって、雨の日は雨傘に、日が照っている日は日傘に。朝早くに行ってお弁当を二つ持って、夜がとっぷり暮れて、遅い日は夜の十時頃まで座っていた。

そうやって、春が来て、夏が来て、秋が来て、冬を越してまた春が来て、二年ちょっと足らずの間、カラスが鳴かない日はあっても、先生が川原にいない日はないという程、毎日座禅をした結果、色即是空、空即是色、禅宗の行は何の理屈もなく分かった。

その分かり方があまりにも徹底しているので、その話をされる時はとてもおっかない、ピシッと決められて、それこそ空きがないような厳しさでしたけれども。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月13日

言霊 布斗麻邇講座・真釣り

その後を引き継いだのが私の先生の小笠原孝次先生です。山腰明将先生が亡くなったと聞いて先生のお宅へ駆けつけましたら、コトタマ學の資料は全部焼かれてしまって、跡形もなかった。しかも、尋ねるべき先生も亡くなられた。

その時、小笠原先生は「この世界を救おうとしている学問が、ここのところでもって研究の道が完全に閉ざされてしまったかと思うと、生きている心地がしないほど一月、死人の如くに生活をした」とおっしゃっていました。

どんなに悲嘆なさったか、お分かりになると思います。でも、私の先生はファイトがございまして、「こんなはずはない、二千年もの間、宮中に遺されて、これだけの成果を得たものが、これくらいのことでなくなってしまうはずがない。コトタマ学は人間の心と言葉に関する究極の学問と言うならば、自分の心の一切を知るならば、コトタマ学の何分の一かは分かるはずだ。」

ということから、私の先生は意を決して、座禅を始めました。天地の初発の時というのは禅で謂う所の「空」だろう。空即是色、色即是空があるに相違ない。多摩川へ釣り箱を持って行き、そこに腰掛けて、釣り糸を垂らして、魚を釣る気はなかった。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月12日

言霊 布斗麻邇講座・言霊百神とアイウエオ五十音

この神様の一つ一つの名前が、アイウエオ五十音の言葉の要素であるコトタマと結びつくということに気が付かれて、皇后と皇太子(後の大正天皇)のお二人の書道の先生でした徳川尾張藩の藩主で国学者だった山腰弘道さんをお相手にして、三人でコトタマ学の研究をなさったとあります。

後でもしお時間があれば明治天皇と昭憲皇太后のお歌を見てご覧なさいませ。中に「敷島の道」とかがたくさん出てまいります。それは和歌の歌ではございませんので、両陛下はコトタマ学を称して詠われた、それが真実だと覚えておいて下さい。

その結果、色んなことが進展していき、明治天皇が亡くなられると同時に山腰弘道先生に伝わった。そのような経緯でございます。山腰弘道先生が亡くなる時に次男坊でした山腰明将さんに受け継がれて、明将さんは明治の職業軍人でして終戦の時に中佐で辞められたと聞いております。

軍職の傍らコトタマ学をなさって膨大な資料を遺された。六畳間の天井に届く位あったと聞いております。その先生がアメリカ、イギリスとの戦争が終わってあまり間もない時に、事故のため一欠片もなく燃されてしまいました。と同時に昭和二十五六年頃に事故で亡くなられました。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月11日

言霊 布斗麻邇講座・賢所の蔵書

物質科学の方はその後、原子物理学が科学界の大道を堂々と押し通して、大きな科学の筋道を作って行ったのですが、日本の明治天皇ご夫妻が起こされたコトタマ学復興の研究は、明治天皇が亡くなられると直ぐ、次の大正天皇には渡らずに民間に下りることになりました。

その前に、明治天皇にそのコトタマ学を気付かせたのは、皇后が公家の一条家からの嫁入り道具の中に日本の和歌とコトタマとの関係を書いた本があったのだそうです。私の先生の小笠原孝次先生の先生、山腰明将先生から聞いたのだそうです。

和歌とコトタマの関係の本を見た本の話を聞いた明治天皇は「これは皇室の伝統を遺してある賢所の中に、古事記と言霊に関する記録があったはずだ」とおっしゃり、調べたところその本が見つかった。

その中に書いてある、私が先程申し上げました「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神・・・」連続してズーッと五十の神様が出てまいります。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月10日

言霊 布斗麻邇講座・言の葉の誠の道

コトタマの原理を修得された方が、すればこういうことが分かってくるのですよ。その中に証明が出来上がってきます。二千年の間、そういう時代が来ることを待望しながら、各宗教は救世主の出現、仏陀の下生を望みとして生かしながら、それが何時かの憧れを持ちながら今まで来たわけです。

物質科学文明の最後の研究として先天、先験の部分、物質の核の中に研究のメスが入ったのが、ちょうど今から百年ちょっと前。キュウリー婦人を筆頭に物質の先験部分にメスを入れました。

けっして見ることは出来ないけれど、其処に何かがあると知って研究が起こってきたのが、だいたいヨーロッパです。その時の日本はあずかり知らずことですが、ですが不思議なことに物質科学文明が物質の核内の研究に入ったことに呼応して、日本の宮中ではまったく正反対の人間の心の先験部分の研究にメスを入れようとする運動が起こったのです。

明治天皇と昭憲皇后によるコトタマ復活の運動が始まりました。だいたい今から百年前になります。コトタマに関する明治天皇の御製、昭憲皇太后のお歌にはたくさん遺っております。ただし、コトタマの学問とは言わずに「言の葉の誠の道」を指しております。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月09日

言霊 布斗麻邇講座・神様として奉られた言霊の原理

神倭王朝の十代崇神天皇の時にコトタマの原理を隠して、それも単に隠すのではなくて、コトタマの原理を神として、伊勢神宮に奉ってしまう形で実体を隠してしまい、宮中における行事も、神社における祝詞も、民間に伝わっている五大お伽話(桃太郎・舌切雀・かちかち山・さるかに合戦・花咲爺)も、みんな意味が分からないようにしたことも承知の上のことでした。

ただし、隠しましたが物質科学文明が勢いをつけますと、それこそ人間は人が変わった如くに凶暴になってしまう、すごい世の中になってしまう、それに対処して精神を和ますための一つの方策として、儒教、仏教、キリスト教、マホメット教、日本では神社神道、荒々しくなった世の中に少しでも潤いを与えるよう世界各地に宗教を立てました。

と同時に、コトタマの原理が復活してきた時には信仰がお手伝いをするだろう、それを見込んで五大宗教が世界に広まったのでございます。仏教の祖、お釈迦様も、儒教の祖、孟子・孔子も、易経の祖も、皆日本に来て、その命令を受けて帰った方たちです。

そんなことが本当に有り得るか、もし、このことを知って、日本の国のみならず、コトタマの原理を基にして政治を行うことが出来る人がいるとしたら、今の世の中でも必ずお弟子さんが集まることは確実でございますから、そういう史実をどういう所で見せるか。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月08日

言霊 布斗麻邇講座・復言

「かえりごと」と申しますのは現代の言葉で「報告」という意味ですから何か命令を授からなければ報告にはなりませんので。どういう命令で、どんな時に受け取るのか。

明治以後のこのコトタマの原理の復活についての概要を説明しまして、どういう所でどういう転機があって、それを今、どういうように受け止めて、何処まで研究が進んでいるかの話をしていきます。

昔、何回もお話ししましたことですが、まとめて一つの期ごととしてのお話しにさせていただきます。

ご存知の通り、このコトタマの原理によって、全世界が第一世界精神文明として栄えたのがだいたい五千年位続きまして、それに続く第二物質科学文明に移るある時機に、外国は既に物質科学文明に移っておりましたが、精神文明の中心地の日本においても物質文明へ巻き込まれる時機が来ましたのが今からだいたい二千年前。

布斗麻邇講座「かえりごと」(H18年12月・会報223-5)

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2018年10月07日

言霊 布斗麻邇講座・どう見てもお天狗さんにしか見えない

私は若い時から信仰の生活が好きで、何か素晴らしい境地を求めてここの行者になった。今は七十過ぎて昔のようなことは出来なくなった。昔は中社から登って一日三回登り降り、頂上でお経を唱え、暮らしたもんだ、雨が降ろうが、雪が降ろうが、欠かすこと無く月三回、この歳になって三回はきつくなって月二回にしてもらっている。

どう見てもお天狗さんにしか見えない、役行者ってこんな人だったと思うほど、十分くらい話したら「さて、行こうかな」と一緒に下りましたが、パッといなくなってしまいました。

その速いこと!ものすごい速さ、月三回も登り降りしてますから、いくら七十を過ぎていても脚の衰えはないでしょうから。私もその時は脚に自信があったのですが、「とてもこれじゃ、殺されちゃう」と思って競争しませんでした。

コトタマは時を経て、千三百年も経ていても、未だそういう人間が残っているんだなとつくづく考えました。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4了)

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2018年10月06日

言霊 布斗麻邇講座・生まれ変わり?

役行者さんが昔、ここに「ト」の石土毘古の神を奉った時に、そこに居た人を選んで「十亀」という名前を授け「そこの神主さんになれよ」と言われたのではないかと思われます。想像だけですけど。

後日談ですが、家に帰ってからあまりに珍しいので、社務所の神主さん宛に、その時は住所が分かりませんから、JR岩鎚神社駅傍の岩土神社神主様へ、「十亀」の由来を書いて、「言霊」という本を添えて送ってあげた。

そうしましたら、十亀という名の神主さんから丁寧なお礼状と同時に本の代金を頂いて、当神社は若い行者を育てる所でもあるので、その教育のためにこの本を使わせていただきます。それから何年間か会報を送って差し上げた記憶がございます。

登山とお参りが終わって途中まで下った所にヒョイと見ましたら材木が積んであって、そこに大男が白装束で頭に被り物をしている、大きいんですよ、色が真っ黒で。役行者がいるのかなと思うほど、生きているのかな、と見紛うほど。面白いなと思って話しかけた、材木が積んである所に坐って。色んな話をしましたが、

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月05日

言霊 布斗麻邇講座・十亀

石鎚山は四国で一番高い山、四国は横幅が大きく奥行きは狭いですが、天気が良いと下に瀬戸内海、中国地方の日本海まで見える、南は太平洋が見える、三つの海が見えると山小屋の管理人が言ってました。

春は霞がかかって瀬戸内海しか見えない、その代わり西の方の雲海を隔てて阿蘇山が突き出ているのが見える。それでヒョイと頂上の上社、風で吹き飛ばされないよう岩で造られています。そこをよーく見ましたら「石鎚神社上社、神主某これを記す」と書いてある。

それで驚いた、「ト」を奉った神社の神主さんの名前が「十亀」ってどういうわけだ、これは奇妙奇天烈と後から調べましたら、「亀」は文字を彫った粘土板の鏡を「亀」と申します。そうすると、亀がコトタマになる。十というコトタマの名字を持った神主さんが「ト」を奉った神主におさまっている。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月04日

言霊 布斗麻邇講座・必死で登った

何処かに道があるんじゃない?って、家内が言うんです。探したけれど見当たらない。必死で登りました70m、手で登った、足でなくて。やっと頂上に辿り着きましたら、なんともない広場がある。

そこから又、鎖が下っていまして、覗き込みますと、その鎖は岩が突き出てるもので4mくらい先に下りないとどれ位の高さがあるか分からない。さぁ、困った、家内に「戻ろうか?」と言いましたら、

バカ言ってんじゃない、又、あの70mを降りなきゃなんない、「死んじゃう」、それじゃ、僕が4mの所まで降ってどうなっているか探ってくるから。駄目ならあんたを背負って70m降るから安心してなさい、「安心しろ」って言ったら余計心配したみたいですが。笑

降って行きますと、何の事はない、大きな岩が突き出ていて5mくらい先は地面。大丈夫だから「行こう」ということになって。下の道が雑草で隠れていて見えなかっただけ。さすがに二千メートル近い山ですから、家内は二三日手が全然動かなかった。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月03日

言霊 布斗麻邇講座・石鎚山

百名山のある山は十回も登りました。私も家内も山男の体つきになりまして、何処を登ってもフーフー言わなくなって健脚になりました。それで石鎚山へ行こうか、それが目的ではなかったのですが、フルムーンの特典を利用して四国に行った時に石鎚山へも登ろうということになった。

5月の終わり頃で気候も良くて、でも、日本山岳会に石鎚山の地図が何処を探してもない、新聞に載っていた地図を持って行ったのはいいですが、それが運の尽きで色んなことが起こったのですが。

瀬戸内海の海岸が近い町からバスで一時間二十分くらい乗って中社まで。そこが登山の登り口で三時間くらいかかりましたか。千九百七十m、四国では一番高い山、5月でしたが山頂辺りは雪だらけでとても危険な所もございました。

修験者の岩場みたいな70メートルの絶壁で、急傾斜の足場が着く場所がほとんどない。鎖があるのですが手だけで体を持ち上げる。「行けるかな、」行かなければ石鎚山に行けないのですから。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月02日

言霊 布斗麻邇講座・神社巡り

役小角とも申しますが日本全国を歩いて、五十音を神様として奉る役を果たした方。五十音の神様のほとんどを役行者が奉った。有名なのは長野市の北にある戸隠神社。木曽の御岳さん、あれも確かそうです。

役小角さんは大男で、奈良県の吉野に大きな像が立っています。私が未だ六十歳にならない時、未だ健脚で山男と言われていた時、家内と山登りを始めたのは五十歳を過ぎた頃、私の家内が貧血で何をしても治らない。

それなら大自然の中でいい空気をウンと吸ってへこたれるまで歩いて、ナニクソという気を起こさせれば治るに違いないと思って、五十過ぎてからおだてあげまして「君なら何処へ行っても大丈夫だ」って。

家内はそれまで上野の山しか登ったことがなくて「じゃ、行ってみようかな」と言ったものですから、始めは奥多摩の低い山から、五十から六十八歳まで、日本百名山の三分の一を登りました。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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2018年10月01日

言霊 布斗麻邇講座・コトタマ五十音を神に奉った役行者

今はそこまで行きませんが、タトヨまででだいたいの見当がついてくる。ツテヤユエケメでは詳細に決めていく働きになってまいります。ケメは明らかに決まってまいります。

「ト」の一字をお奉りした神社のお話をさせていただきます。ここから四国へ行きますと高松、昔はフェリーでしたけど今は鳴門橋で宇和島、道後温泉からもっと南へ下がった所、瀬戸内海に面した所にJRの石鎚神社という駅がございます。

私は実のところ、行ったことがない。旧社と奥社は行った、下社には行かずに登ってきました。今から二十年以上前になりますか。この石鎚神社は役行者が言霊トを奉るために創建した。

役行者という方は今から千三百年前に、そういう活動をしたために宮中の怒りをかって大島に何年か流されたという記録が遺っている。当時はコトタマの処遇をどうするか迷った時代。

古事記、日本書紀を書いて、コトタマの原理が蘇ってくる時には、記紀を土台に蘇らせようとする勢力と、文章というのはなくなってしまうから神様として奉ろうじゃないか。そうすることで神様の名前を止めようとしたのが、役行者が主張した勢力だったようです。

布斗麻邇講座「津島・タトヨツテヤユエケメ」(H18年12月・会報223-4)

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