2017年12月17日

言霊 布斗麻邇講座・どこまでも同じ音

こういうことを受けて、頭脳内のメカニズムが働いて人間は常に行動している。現代人はこのメカニズムの働きを殆ど知りません。皆さん、「アレ?宇宙剖半ってビッグバンのことか?」剖半と言っても生命のことですから。

しかも、アイウエオという母音の中の一字を、息を吸い込んで、息が続く限り声に出してみますと、アなら何処までもアーーーと続きます。イでもウでもエでもオでもない。アを発声しながら他の母音は発声できません。母音は宇宙の永遠の音である梵音、永遠に消えないもの。

中国に老子という方、孔子の前の方ですが、「老子」という本の中に「谷神は死なず」と書いてございます。老子は竹内文献によりますと、神武天皇辺りの時代に来朝したとある、コトタマの原理をいくらか授かって帰った方。

「谷神は死なず」の「谷神」は母音のこと。宇宙を表した神さまのことを謂いました。谷は山の川が流れている一番低い所、山の上から見ると見えない。

布斗麻邇講座「私と貴方は同根なり」(H18年6月・会報217-3)

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2017年12月16日

言霊 布斗麻邇講座・過去と未来を今、考える

みんな独立の存在、アからワへ「ここに何かある」と意識が動いて、自分が貯めた記憶のヲ(宇摩志阿斯訶備比古遅の神・ウマシアシカビヒコジノカミ)と太安万侶さんは指月の指で申しております。

オは「天之常立神・アメノトコタチノカミ」、エは「国之常立神・クニノトコタチノカミ」、ヱは「豊雲野神・トヨクモノカミ」。このメカニズムが分かってしまいますとハッキリしてきます。

アからオとエに判れます、ワからヲとヱに判れます、そうしますと、「これは何だろう」、人間の意識は今まで「これに似たものは何があるかな」と記憶のお蔵から引張り出す。記憶にある「時計」と此処にある「時計らしきもの」と較べて、たいそうよく似ているから、これも「時計だ」と判断する。

次に俺は何をするのか、これからのことを考える、そうしますとエとヱに剖半します。「何時」と示されている処をどのように活用して、これからの自分の行動を決めていくか。

布斗麻邇講座「私と貴方は同根なり」(H18年6月・会報217-3)

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2017年12月15日

言霊 布斗麻邇講座・分かれるから分かるメカニズム

そのものはそのもの自体で存在して、他にその存在を依存することなく存在するもの。これを「独神」と申します。言霊の宇宙のウと申しますのは、ウだけで宇宙に厳然と存在していて、他からの影響も関係もなく存在しているもの。アもワもそうです。それを「独神」という表現を古事記はしております。

アが何か言っても、ウが何か言っても、ウで何か表現しようとしてアが嫌だったら表現しない。そのように拒絶も含めた独立性なのでございます。

u-a-wa-o-wo-e-we.jpgそうしますと、ウからアとワに判れます、今申し上げましたように、分かれなければが分からない、これはお分かりになられたと思います。と同時にこのメカニズム(宇宙剖半)の中に考え方の違うものが出てきます。

何もないところからウの宇宙が生まれます。それが何かの意識が動きまして主体(ア)と客体(ワ)に判れます。「これは何だろう」という時に、アとワだけでは判断がつかない。次のものを呼び、アからオとエに、ワからヲとヱに宇宙剖半します。

布斗麻邇講座「私と貴方は同根なり」(H18年6月・会報217-3)

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2017年12月14日

言霊 布斗麻邇講座・ひとりがみ

コンピュータに時計を見せて5〜10秒後に、やおら「これは時計でございます。」それだと計算に時間がかかってしまうので、使い物にならないということで、世界中のコンピュータを作る会社が競争して、一二秒後には答えが出てくるようにした。

ICの改札口は日時、乗降駅等々、即時に読み取って一秒もかからず検札しますが、インプットされたデータと照らし合わせますので、違っていたらピイビイっと鳴ってしまいます。これが10秒もかかっていたら誰もICの改札口を通らなくなります。

それを人間はそのようなコンピュータの働きで「これは時計だ」と判断しているわけではないのです。先天17言霊が活動して、自分が「時計だ」ということを思い起こして、これは時計に相当似ているから「時計」と言ってもよかろう、それで「時計だ」と言うのです。その頭の中でやっている活動のことを今お話しているのです。

「この三柱の神は独神になりまして身を隠したまひき」この独神(ひとりがみ)とはどういうことか。昔の言葉を現代の言葉にするのはなかなか難しいのですが、哲学的に申し上げますと、実際にそれのみで存在する、神に依存しないで存在する。

布斗麻邇講座「私と貴方は同根なり」(H18年6月・会報217-3)

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2017年12月13日

言霊 布斗麻邇講座・人間の言動の一切を司る

この関係(アワ)で結ぶ、でも、ヘンテコな結び方をすると、さっき申し上げたようなそういうことにもなりうる。そうならなくても現象は起こる。そうやって人間は法則通りに生きている。

そんなこと聞くのは当たり前だとすると、当たり前で片付ければそれまでの話でございます。ところが、人間が「ここに時計がある」とただそれだけの出来事を言うにしても、その法則の経路を踏んできているのです。

ウからアワに、次にオエ・ヱヲと宇宙剖半しながら、人間は日常を暮らしている。頭の中はコンピュータ以上に先天の十七の言霊が猛烈に働いて、私達は平静に話たり笑ったりしているわけです。

よく、高速度のコンピュータが出来たと申しますが、人間の思考回路のコンピュータにはかなわない。人間の認識はパッとみたら「これは時計だ」、時計を見て時計と言えば当たり前だろうとお思いでしょうが。

布斗麻邇講座「私と貴方は同根なり」(H18年6月・会報217-3)

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2017年12月12日

言霊 布斗麻邇講座・取り憑いているのは自分

何だそりゃ、「いや、いさせてくれればいいんだ、話してくれればいい」、お安い御用だ、今は暇だからいいよ、時計見ながら話をして、ワハハッって笑ったりして。この人なんのために家に来たんだろう。チラチラ時計みますから、どうかしちゃったの?何か時計見てるけど。

「この時刻になるまでいさせてくれ、そうでないと俺は競艇へ行きたくて、行きたくて、困ってる」、有り金全部はたくまでやらないと気がすまない。この時間を過ぎると賭けることは間に合わないから行かなくて済む、行けばスッテンテンになるのがわかっているから、「ここにいさせてくれ。」

それなら、お付き合いするよ、ジャンジャン話をして、気の毒ですから、必死ですから。そうしましたら後10分という時間に「島田さん、もうダメだあー!」と言って駆け出して行った。

行きたいのに、行っちゃいけない「いけない!」と止めているのに、気の毒に。案の定「俺、正月にどうやって暮らしていいのかわからない」、無一物で正月を迎えなければならない。ゲッソリしてね、じゃ、行かなきゃいいじゃないかって、でも、取り憑かれてますから。

それは取り憑かれているんじゃないですよ、自分の中のある因縁に取り憑いてる。取り憑くとはそういうものです。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2了)

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2017年12月11日

言霊 布斗麻邇講座・取り憑かれる心

それが高じますと「ストーカー」、神結んだきり届かなくなった。何だか分からないけれど取り込まれたら最後。取り込まれた方も災難ですが、取り込む方も災難、そういうのに取り憑いてしまったのですから。

関西の方で事件がありましたね、小さい子を殺してしまって、その裁判をしていますが。被告人が言うには「小さい頃から自分の中に悪魔が入っている」、それは本当なんです、人間は思いもよらない行動というのは、自分でも分からないけれど、何かそういう気持ちにさせられる。

自分が「そうなった」という気持ちではない。「させられた」というのが正直に言いますと、「悪魔」が入った。やってしまった後に「あー、どうしてこんなことをしてしまったのだろう」と頭抱えるのですが、やるまでは、やりたくてゝゝゝゝゝ、頭が。

私はそんな目に合ったことがないので分かりませんが。私の知り合いでストーカーではないですが、そういう人がいた。もうだいぶ昔の話ですが、大晦日の前の日に「島田さん、いるかい?」、いるよ、「すまないが、二三時間ここにいさせてくれないか?」

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月10日

言霊 布斗麻邇講座・主客が結ぶと何かが起こる

「神産巣日神」、カミムスビの「カミ」って何だ、噛む、「ムスビ」噛んで結ぶ、三角のおむすび。昔の人は三角に握った。何故三角に握るか、それは、ものすごい、哲学的な意味があります。

噛み合う、結ぶ、何が起きるか、主体と客体が結ぶと何が起きるか、何かの現象が起こる。私がよく言いますけど、空いた電車の中で向こうの端で綺麗な人がいた、あまりジーっと見ますとみっともないですからチラッチラッと三回見ますと、あちらもこちらを見ますから。(笑)

「私は美人」と意識している人は他人の意識を強く感じて。客体側には何も意識はないけれど、意識という心のそういう力がありますので、何回もこう見ている内に、三回目くらいに感応する。

これが結ばれる、思いが結ばれる、お互いに見つめるという現象が起こった。主体と客体が神結べば、ある現象が起こる。それで終われば、それで済んでしまうのですが、あまりに印象が強いので、こんな人と5分でもお茶を飲んでみたいと思うのが人間なんです。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月09日

言霊 布斗麻邇講座・「タ」の一字があるか、ないかの違い

何故ならば、それが人間の行動、心にとって一番良い音だからです。相手にぶつかっていく全身全霊を込める音。斬れなければ、又、下がっていって、同じことを繰り返す。他の構えをしない。

それで示現流、現すことを示す流、何を現すのか、自分とは「何ぞや」をこの一刀に込めて相手にぶつかる。「振り下ろす刃の下は地獄なり。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言いまして、失敗したら相手に斬られる。

一撃で斬らなければ他に道なし、示現流と言うのは、この「タ」を説明するによく表わしています。

その「タ」の一字が高御産巣日神に付いているということは、何かの行動を起こそうとする時に心がこもる方、それは何かをする時の主人公、ですから主体側。それを受けるのが客体側の神産巣日神、ということから「タ」の一字があるか、ないかの違いということになります。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月08日

言霊 布斗麻邇講座・タ

高御産巣日神も神産巣日神も同じです、分ける、だから、分かる。そうしましたら、高御産巣日神(ア)と神産巣日神(ワ)はどういう神様なんだ。太安万侶さんが名前を付けたところから説きますと分かりやすい。

高御産巣日神はカミムスビノカミ、神産巣日神はカミムスビノカミ。が付いているか、いないかの違い。では「タ」って何だということになりますと、かなり後に出てきますので、今は説明いたしませんが。

タチツテトの行を大げさに表現しますと、自分の思いを一心に何かの行動に打ち込めてやる子音です。薩摩に示現流という剣法がございます。この流儀はうまいもへたも一つしかやらない。

突進する時に「八相の構え」でもって真っ直ぐに相手に向かって突き進む。振り下ろす先が相手の頭に、大刀を振りかぶる。そして、そのまま斬り下ろす。その時の掛け声が「チェストー!」、振りかざす時は「タァーッ!」、タチツテトを使う。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月07日

言霊 布斗麻邇講座・人間は分析しなければ分からない

でも、そういう神様は決しておりません。このことを良く覚えておいて下さい。信仰するにあたって神様として拝むことを二三千年前に導いてから、拝む対象の名前を付けたにすぎません。

ウという宇宙からアとワの二つの宇宙に分かれる、これを「剖半」と申します。頭の第一剖半、分かれなければ分からない。「そんなこと当たり前じゃないか」と言われるかもしれませんが、この当たり前のことが当たり前ではなくしておきませんと、次の場面で何か分からなくなります。

分けるから分かる、人間は分析しなければ分からない。結婚して年中隣にいてくれるということは大変「有り難い」ことです。自分の考えと正反対の考えを持っている相手が常に隣にいるということは大変なご利益なのです。

それを「イヤだ」と思えば、常に俺の言うことを聞かないで反対を言う。「有り難い」とするなら、常に自分の安易な心を打破してくれると思う。どちらをとるかは勝手でございますから。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月06日

言霊 布斗麻邇講座・無意識の中で分かれた

通りがかりでも「あの野郎は嫌な奴だ」と俺はどうして思ったのか、それは分けたから。分けなければ考えがいかない。「あの野郎は嫌な奴だ」としても何も分からない、「どうしてそう思うのか?」と訊かないと解決がつきませんので主体と客体に分かれます。

主体の分かれる方を高御産巣日神と申します。客体の方を神産巣日神と申します。ただし、これ等の神様が目に見えるように分かれたわけではございません。先天構造の中の問題です。

五官感覚に触れることが出来ない領域のことを今、説明している訳ですから。その点をご承知おき下さい。永遠に見えない、意識することも出来ません。

私という高御産巣日神はどうなんっているのか、高御産巣日神は答えてはくれません。何故ならば三千年間人類が神は信仰として崇めて、民間宗教家にとって天之御中主神は丸チョンとして最高の神様です。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月05日

言霊 布斗麻邇講座・分かれるから分かる

sanshin.gif何にもない宇宙から天之御中主神(ウ)から高御産巣日神(ア)と神産巣日神(ワ)が生まれてきます。これは二つに分かれても良いですし、一つを二つに分けても同じです。(図参照)

この「ウ」という何か分からないけれど現象の芽になるものが生まれようとしている処に「これって何だろう」と意識が次に動いた時。ですが、意識が動かなければ、頭の中で何かの気配があったけれど、フッと消えてしまうから現象にはなりません。

その宇宙の現象が止まないで、ウから次の段階に入ろうとしますと同時にアとワに分かれます。このウからアとワに分かれることを「宇宙剖半」と申します。

生命が生命を考えるということは、まったく難しく出来ないことですから、人間は「何か」と考えるに主体(ア)と客体(ワ)に分かれなければ分かりません。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月04日

言霊 布斗麻邇講座・何かの意識の芽

先月の講習会を通じてこの「天地の初発の時」をよく解説申し上げました。何にもない心の宇宙に初めて生まれてくる神様の名前が「天之御中主神」です、そこまでお話し申し上げました。

「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神、言霊ウ」、この行を最後に平易に訳して、何にも起こっていないまっさらな人間の心の宇宙から何かの現象が起こる意識の芽が此処に起ころうとしている時。

何にも起こっていないまっさらな人間の心の宇宙とは「高天原」、そこに「天之御中主神」というのは天之(宇宙)の中心にあって、やがては自我という意識が芽生える主人公(御中主)が生まれる神(言霊ウ)のことです。このように説明を申し上げました。

次に「高御産巣日神、次に神産巣日神」という二柱の神様が出てまいります。コトタマ学では高御産巣日神と謂われる神様の指し示す心の実体を「言霊ア」と申します。神産巣日神の方を「言霊ワ」と申します。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月03日

言霊 布斗麻邇講座・心と体を一つにしたのが生命か?

生命を考える時も、生命を考えるのも生命ですから、分けるとなると「心」と「体」に分けます。これは誰もが「そうだ」とおっしゃると思います。そうしますと分けた「心」と「体」を一緒にすれば「生命か?」そうはならない。

ここが問題、この問題を提起した上でお話を進めさせていただきます、この大問題はローマ法王であろうが、どんな哲学者であろうが、分からない問題なんですから。
「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。この三柱の神は独神になりまして身を隠したまひき」
古事記を説きながらコトタマ学を講義する上で一番微妙な処でございますから一字一句も疎かにするわけにはいきません。ということから「天地の初発の時」をここで規定しなければなりません。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年12月02日

言霊 布斗麻邇講座・私とあなたを分けるところから考えることが始まる

家に帰るとパンツ一丁で「おぉ、暑い」って、団扇あおったり、扇風機にあたったりしています。これも私。帰って「今晩はお茶漬けだよ」と言われたら、「何だ、お茶漬けか」と文句や愚痴をこぼす、これも私。

一秒で「私」の「私」は違っている。だから出来事。「私」がある、「私」という者があるということは、まっかな偽り。こう言いますとまったく分からなくなります。「いる」じゃないか、「私」という人間はある、でも、これが「私」というのはない。

「私」というのをドンドン「何だ」と突き詰めて考えていきますと、仏教の謂う「空即是色、色即是空」、いわゆる「空」、実在しないもの。実在するものは「空」。もっと明瞭に言いますと空とはこの宇宙のことです。

人間の根本は何だと言えば「生命」、人間はどんなことを考えるにしろ、私と貴方に分けませんと考えられない。「これは何だ」、これを見ている私(主体)という存在を認めないと、これ(客体)が考えられない。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年5月・会報217-2)

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2017年12月01日

言霊 布斗麻邇講座・現象でしかない自我

ところがお釈迦様の説くクウ(空)」はそうではないのです。この宇宙のことです。そう解釈しますとお経の中身がスラスラっと分かってまいります。

宇宙(空)はたった一つしかございません。ところが、こう申しますとインテリジェンスな方ほど反発します。俺の心とあいつの心が同じなんて「オーッ、イヤだ!」と(笑)、でも仕様がない。

この宇宙にいて人間として生まれてきたら、どんなに嫌な人とでも同根なんです。同じ宇宙から生まれでているのですから。

「オーッ、イヤだ!」はゴキブリより下に見ている。ところがある亡霊に取り憑かれて「俺」という人間が在ると思っている。こう言いますと何だか分からなくなりますでしょうが。私だってここにいると思っています。でも、これが実在だとは思っていません。何故か。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年11月30日

言霊 布斗麻邇講座・言葉が出て来るメカニズム

今まで三千年間、日本では現人神と言って天皇は天照大神の化身であるといわれ「日本帝国天皇は万世一系侵すべからず」と言ったおっかない権威の憲法があった。昭和に制定された憲法は国民統合の象徴としての天皇をつくりだしております。

言葉がどうやって出てくるかという根本的な問題。これをお話し申し上げようと思います。

では「天地の初発の時」って何だ。昔は「宇宙」という言葉がありませんでしたから、外に見れば天体の宇宙、内に観ればとなると、さあ、分からなくなってしまいます。私は数多くの学者さんに「心の宇宙」と言い、何だその「心の宇宙」って。

お坊さんは心の宇宙ではなくで「空」と申します。「空即是色、色即是空」を仏教学者が訳しますとカラ(空)、シキ(色)は現象、即ち、現象は実在ではない。実在がないのですから空っぽということになります。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年11月29日

言霊 布斗麻邇講座・心の宇宙

一回目か二回目の布斗麻邇講座で古事記の成立から内容に入り、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神」とある「天地の初発の時」と申しますのは、私が書いた本をお読みになられた方はお分かりでしょうが、何十億、何百億年前の外に見る宇宙が何かを活動した時というのではないことをお分かりだと思います。

こう、自分が目を瞑って、外が見えなくなった、頭の中は色んなことを考えます。「今晩は亭主に何をたべさせようか、昨日の残り物でもいいかな」というような、取り留めのないことが、目をつぶりますと数限りなく出てまいります。

そのように出てくることが、どういうような仕組みで人間の頭に映じてくるか。現象として成り立ってくるか、克明に解説している、これ以上解説しようがない。

解説しているだけではなくて、人間の頭脳の性能がどういうようにまとめていけば、人間らしい素晴らしい働きとなって現れ出ることが出来るかの結論までもっていけるのがこのコトタマ学でございます。

布斗麻邇講座「我と汝」(H18年6月・会報217-2)

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2017年11月28日

言霊 布斗麻邇講座・イの道

「生命(いのち)」って何だ、それを考えるのも「生命」、生命があるから考えるのですから。自分が自分を考えることになります。

考えるということはどういうことなんだ、これが今日の課題になってきますが、その考えるということのために、「生命」というものが永遠に分からなくなってしまった。

「考える」の語源は「神返る」神に返る、それでは「今」はどうなんだ。神に帰らない時はどうなんだ。人間には与えられた「分」というものがあり、その「分」でしか考えられない。

それじゃ、その「分」というものが何かは、コトタマ学の先天構造の始めのところでそれをお話しすることになります。これを前提に「布斗麻邇」の講座をこれから始めさせていただきます。

布斗麻邇講座「コトタマって何だ」(H18年6月・会報217-1了)

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