2018年04月23日

言霊 言霊学講座・有り難い・・・消える嫌な思い

そうしましたら、これは絶対に「直らない、直らない」と思いますと、その直らない自分がよく生きているな、大切な御用を授かっているのに「嫌だ」という思いが心のなかにわだかまっていて、自分の心に言うことをきかせないこんなに弱い人間が、どうしてこうやって生きていけるんだろう。

生きているということがどんなに有り難いことだ、「有り難い」と思いますとその嫌な思いがその瞬間だけスーッと消えてしまう、その癖が。それを繰り返していきますと、これが八十禍津日神という神様の働きなんだな。

大禍津日神と申しますのは八十禍津日神と違いまして議論なんです。私は昔、理科の勉強をしているはずが哲学をやりだしまして、その内に弁証法哲学というのにのめり込みました。

弁証法哲学は私が正しいとする、ある一点を他人が「それは違うよ、こういうんだよ」と申します。そうしますと自分が正しいとする説と反対の説です。

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月22日

言霊 言霊学講座・毅然として心の中にドカッと腰を下ろして「NO!」

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほひ)の神。次に大直毘(おほなほひ)の神。次に伊豆能売(いずのめ)。

八十禍津日神と大禍津日神は分かった、神直日、大直日、伊豆能売の神様も完全に分かった。

分かった時には家内とその分かった神様をお祀りしている神社へお参りする習わしでしたけど、この三人の神様を何処に奉っているのか分からない。

八十禍津日神というのは、自分の心の中にある罪穢れを「嫌だなー」って見つけますでしょ。何とか心の中から取り除こうとして一生懸命になる。例えば「あの野郎は嫌な野郎だ」の思いがなかなか取れない。

自分のことでない、他人のことでどうしてそんなに神経を使うのかって。それは結局同じ因縁を持っているからなんです。だから、お前はどうして「嫌だな、嫌だな」と思うのか、その思いに「NO!」と言うのです。禅でいう「無」、毅然として心の中にドカッと腰を下ろして「ざまあみろ。」

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月21日

言霊 言霊学講座・禍の付く神名

何故、古神道布斗麻邇の中に八十津日神(ヤソマガツヒノカミ)なんて出てくるのか。いくら考えても分からない、でも、とうとう今から二年前に「禍」津日神がよく分かりました。

それから今年の始めに三つの関門に突き当たった、どうしても分からない。
 神直日の神/カムナホビノカミ
 大直日の神/オホナホビノカミ
 伊豆能売/イズノメ

心の中にあることは確か、絶対に。なぜならば今までの九十神というものは心の中にあるということを見つけてしまったのですから。これらの神様が外にあるなんてことは有り得ない。

心の何処かにあるのは間違いないのですが、ここで立ち往生してしまった。そこのところをどう書いてあるか読ませていただきます。
ここに詔りたまは く、「上つ瀬は瀬速(はや)し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日 (やそまがつひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月20日

言霊 言霊学講座・何処にいるんだか、皆目分からない

何だか分からない神様の名前がズラズラズラっと出てきます。自分の心の中に探す仕事に入ったのです。自分の心の働きは「これはこの神様の働きだな」を探さなければ、証明になりません。「81番目以後は貴方の宿題だよ」と言われましたから。

81番目から百神までちょうど20神あります。これを一つ一つ、自分の心の中に探す。奥疎の神、辺疎の神なんて、何処にいるんだか、皆目分からない。誰も教えてくれない、一生懸命探してもなかなか分からない。

希望と絶望が交互に混じって二十年、至る今年になりますので。「分かった!」時と、どんなに地団駄踏むでも分からなくて、頭がクラクラするほど分からなかったこともございます。

それでも集まって来る人がどんどん増えてまいりまして、その方達を前に変な顔をしておられませんから、呑気の呑兵衛でこうやって話していますが、心の底は分からないとベッドの上で毎晩胡座をかいて座禅を組んで自分の心の中に神様を見つける。

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月19日

言霊 言霊学講座・宿題

初心に帰れということで一番簡単な名前がいい、それで「言霊の会」、コトタマをやるので「言霊の会」、誰もいないけど会報もコトタマに関心のない人にも送ろう、それがこの会の始まりです。

今はお陰様で180部刷って、170部は毎月配布しています。出世したものだなと、ですが、宿題が残っておりましたから、その宿題をやらなければ、私も若くはない67歳になりましたから、会を発足すると同時に言霊百神に出てくる81番目からの神様、

 奥疎の神/オキサカルノカミ
 奥津那芸佐毘古の神/オキツナギサヒコノカミ
 奥津甲斐弁羅の神/オキツカイヒベラノカミ
 辺疎の神/ヘサカルノカミ
 辺津那芸佐毘古の神/ヘツナギサヒコノカミ
 辺津甲斐弁羅の神/ヘツカヒベラノカミ

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月18日

言霊 言霊学講座・どうしていいのか分からない

どう考えてもそれが出来ないことはない。それなら出来ます、「それで結構です」というわけで私が後を引き継いだということから、先生のご本を参考にわけにはいかない。ということは私が執筆しなければならないことから、「言霊」、「続言霊」を出すに五年間かかりました。

これで準備が出来た昭和63年、それから二年間、「家内に生業としている食べる方の仕事は打ち切る、コトタマの仕事に打ち込むけど食って行けるかな?」そうしましたら家内は「一晩待ってください、計算しますから」と一晩中算盤を弾いていました。

次の朝に「報告していい?」、必要な全額はいいから、やれるか、やれないか、だけを教えてくれ。「贅沢さえしなければ何時まで生きられるか分からないけど、何とかやっていけます。」

嬉しかったです、その日から生業の方は止めてコトタマの仕事に入った。ところが誰もいないでしょ、お弟子さんは一人もいないのですから、どうしていいのか分からない。どんな会の名前を付けたら良いかも分からない。

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月17日

言霊 言霊学講座・貴方の好きに喋って下さい

それから二十数年が経ちました私が57際の時の昭和57年に先生が79歳でお亡くなりなりました。亡くなる前に私を電話で呼び出して後事を頼まれました。「旗印」という会報にその時の経緯を書いたことがございますので申し上げませんが。

「あなた、頼むよ」と言われ、と同時に「禊祓の81番目以降は貴方の宿題ですよ」と言われました。亡くなられて五年間、私は何もしませんでした。ひたすら言霊の会を発足させるために準備をしました。

先生にこのことを言わなければならないと、それは「後を頼むよ」と言われ初めは断った。「先生のように頭は良くないし、怠け者で、強情だし。こんなのが先生の後を継げっこありませんから。他に適当な人がいたらお願いします。私はお願いされた人の補助員として、下っ端について一生懸命助けますから。」

そうしましたら先生は「ウ〜〜〜ン」と唸って、「では、こう申しましょう、私が死んだら、私が教えたことを全部忘れてしまって下さい。綺麗サッパリ忘れてしまって下さい。貴方の好きに喋って下さい。これなら出来るでしょ?」

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月16日

言霊 言霊学講座・一時のオアシス

それから下妻に帰って本屋さんに頼んで、法華経三巻を頼んで貪るように読みました。私の先生が「そのような体験をした人は法華経を読めば全部答えが書いてありますからね、読んだ方がよろしいですよ」と教えてくれましたので。

そうしましたら28章もあるところに「方便品(ほうべんぼん)」があり、「化城喩品(けじょうゆほん)」には、どうして光に包まれているのを見るのか、ということがよーく書かれている。

そんな光の城なんてものはないんだよ、けれど、人によってはその光の城を見ないと、これから先の長い砂漠を歩いて仏の国に辿り着くのに嫌になってしまう。途中に幻の城を作って「負けなさんな、負けるな、負けるな」の声援を贈るための城を見せてくれるのです。

そのように書いてあります。今まで半年くらいの座禅の苦労は何てことはないのだと。これからの苦労の方が大きいのだなと、ジャグ(衝動)が起こりまして、この前に先生から言われましたことから、私も負けるものかと又、先生の所へせっせと通ったのでございます。

言霊・布斗麻邇「光の言葉」(H18年8月・会報219-4)

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2018年04月15日

言霊 布斗麻邇講座・見る必要がなくなると見なくなる

誰でも見ている光なのですから、見たからと言って貴方は威張ることはない。また、大変なことでもない。当たり前のことを見たのですから当たり前だと思って、何時でもその光を自覚できる人になって下さい。

貴方が一歩、その自覚を得るために、コトタマ学の勉強を始めると同時に決して見なくなります。見る必要がなくなるから見なくなる。

と同時に、どうしてこんなことが起こるんですか?こんな綺麗なものを私に見せてくれたんでしょう?と質問しましたら、先生は「ハハハ」と笑われて。

それは貴方ご自分で分かるでしょう、貴方くらい強情はいないよ、貴方くらい怠け者もいない。一年も二年も何も働かずに作業場に篭って座禅するなんてことは実に贅沢、そういう人はあまりいませんよ。第一、貴方は煩悩至極で、もう煩悩が多くて困っているでしょう、・・・それはそうだと思って。

つづき
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2018年04月14日

言霊 布斗麻邇講座・光の正体

「帰れ!」と言われるかなと思いましたけど、ノコノコと出てきまして、私の顔をジーっと見て「あっ、島田さん、見たね、あなた、光を見たでしょう。」光なのかどうか、奇妙なものを見ました。たまげてしまったので先生に説明してもらおうと思って。

「お上がんなさい」と奥に入れてもらって懇切に説明して下さいました。
阿弥陀経に「青色青光、白色白光、黄色黄光、赤色赤光、緑色緑光。青い色は青い光、赤い色は赤い光なんだ、人間社会というものは本当の真実、実相の世界は光の世界」で、自我の強い人間はそこにあったものを向こうから来る光だと思っている。

「如来」は来るが如し、みんな来るように思っている、そうじゃない、貴方が質問を放射して光が入ってくる。世の中は本当はそのように出来ている。貴方が本当の光を見させていただいたのは良い記念ですから覚えておいて下さい。

その後、色んなことを教えて下さった。誰でも見ていること。赤ちゃんがまだ視力を持たない時にトロンと見ている時があるでしょう、あれはその光を見ている。赤ちゃんが成長するにつれ「自我」が出てきて見えなくなってしまうのです。本当はその光の中で生活しているのが人間です。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月13日

言霊 布斗麻邇講座・人間同士他人はいない

何か皆が兄弟のような、親類のような、何だか知っている人のように「生きていて良かったね」、「私もお陰様で生きていますよ」の気持ちで「お晩です」、「お晩です」と2kmくらいの道を帰りました。

家に帰っても何だかポカポカポカポカして温かくて、禅の本を出して読みましたらちょうどその所に「我と汝同根、之奇特なり」という言葉が出てきたのでございます。どういうことか、貴方と私は根っこで繋がっているんだ、何て有り難いじゃないか。人間同士他人はいない。

お腹のあたりがポカポカポカポカして。そんな経験は夢にも思わない経験ですから、あのオッサンに「来なさんな」とは言われましたけど、他に聞く手立てがない、厳しい先生でしたからまた門前払いされるかもしれない。

言われようが、何をされようが、こんなことが二度あるとたまったもんじゃない、翌朝の一番の列車に乗りまして、当時、先生は渋谷の幡ヶ谷という所にお住まいでしたから、玄関を開けまして「こんにちは、島田です!」

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月12日

言霊 布斗麻邇講座・何だか有り難いような、あったかい気分

和やかな光で全然眩しくない。アー、すごいことが起こってしまった、そうとしか考えようがないですから。その内、一番驚いたのが、手をかざしましたら、下の俺も手をかざしている、透き通って向こうが見える。

それでいてキラキラキラキラ煌めいて、25分くらい続いたのでしょうか。何時始まったのか、時計を見ていなかったので、長さの感じで20〜25分くらい、いつの間にかフッと自分の体の中に帰った元の木阿弥。

ただ、夢じゃないということをよく知っていますから、どうしてこんなことが起こるのか、お腹の辺りからポカポカポカポカして、夕方に暗くなるまでまんじりともせず、何だか有り難いような、あったかい気分で。

暗くなって家に帰るのに堤防の上を歩いていますと、農家の方も荷車引きながら野良から帰る途中に出会って。今までは「お晩です」と声かけられて「お晩です」と返していましたが。私の方から「お晩です」と会う人、会う人に声かけました。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月11日

言霊 布斗麻邇講座・これは夢じゃない、現実なんだ

あれ、あれ、どういうことになるんだろう、何と、何と、この目線が、昔、私は視線と申しましたが、ドンドン真っ直ぐ上に上っていった。体は今いた所にいると分かっておりましたけど、目線だけが上へ行って、とうとう気が触れたのかなと思った。

数百メートル位の上空、素晴らしい景色が広がって、鬼怒川が北から南へ平野の中に真っ直ぐ流れていて、それでいて周りの田んぼ、小高い丘、森がキラキラ輝いて見える。下流の方はそれこそ10キロも20キロも見渡せる。

下を見ましたら河川敷に変なのが座っていて、よくよくこう 見れば「何だ!俺か!」、座っているのが見える。あそこに座っているのが見えるということは、これは夢じゃないんだな。

顔を叩いてみた、同じように下の座っている俺も顔を叩いている。これは夢じゃない、現実なんだ、さらに世界が一変してしまった。私の周りの世界がキラキラとして砂粒のような細かーい光の粒が音も立てずに渦巻いている。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月10日

言霊 布斗麻邇講座・諦めたら起ったこと

「理論的にお分かりになるまではお話ししますが、それ以後は貴方の責任です」と言われた言葉を思い出した。それから私はもともといた茨城県の下妻に帰りまして、道隣は鬼怒川という大きな川が流れております。

その鬼怒川の河川敷で、それまでは森の方にいましたが、ところが春になりますと蚊が出てきて、とても座禅を組む環境ではなかったので、そこで、誰も教えてくれませんでしたが、座禅らしきものを「人間って何だ」を禅の無門関という本を座右の書にして勉強しておりました。

半年ほどしましたら、どうしたらいいか分からなくなった。そろそろ絶望感が顔を出してきた。こんなことをしても私には才能がなくて、とてもとても空即是色、色即是空なんて分からない。こういうことをしても私にはダメだから諦めた方が良いのかなと思い出した。

その時に、思いがけないようなことが起こってしまった。座りながら「空って何だ」、「自分とは何だろう」、空は「そら」とも言いますから、頭の上の空とは違うのだろうなと考えていたら、突然、この鳩尾を下の方から大きな棒で突き上げられるような感じが、ウォーッウォーッとなるんです。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月09日

言霊 布斗麻邇講座・明日からもう来ないでいいですよ

ということから聞いて勉強する他なかったですからせっせと通って勉強させて頂きました。本として形になったのは「古事記解義・言霊百神」昭和44年かそこらでした。私の年齢と昭和の年代と同じなので、昭和44年は私が44歳の時でしたから、東洋出版社から、言霊の本といたしましては初めてでした。

他に言霊の本はありましたけど、純粋にコトタマの学問を説いたのは先生が初めてでした。そういう約束の下に先生の所へ通わせていただきました。それから何年か経っていつもの通り先生の所へ行って夕方になりましたから「これで失礼します。又参りますのでよろしくお願いします。」

玄関先で靴紐を結んでおりましたら、先生が「時に島田さん、明日からもう来ないでいいですよ」と言われて、ギクッとして、まさか本気ではなかろうと思って。先生は後ろ向いて本を読んでしまって、取り付く島もないとはあのことです。

「どうしてですか?」と聞いても、後ろを向いてしまわれていますから、モヤモヤした気持ちで帰りの電車に乗って「どうして先生はあのようなことを言われたのか」、そうしましたら家へ帰る前に思い出した。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月08日

言霊 布斗麻邇講座・理論で分かったなら後は自分の責任

私は宗教のことを勉強したことはありますが、宗教に入ってどうこうしたことはございませんとお答えしました。そうしましたら「このコトタマの学問は心の学問です」。それは「宗教の経験がなくて」ということはウ(欲望)とオ(理論)、私がこの学問を習ってから分かったことですが、先生の言葉を解釈しますと、

ウとオの段階を経て、あたたかく包んで下さっている愛の世界。又、その中にある「どうしたら生きていけるか」、「どうしたら人間らしい生活ができるか」という智慧の次元を説いているのがコトタマの学問ですから、宗教的な意味合いを知らないと貴方は理屈だけで私の話を聞くことになります。

ということから「理屈だけならここでお話しいたします。理屈でもって貴方にお話ししたら後は私の責任ではございません。貴方の責任です、それをご承知の上であれば、貴方が理論の上でお分かりになるまではお導きいたします。それでよろしいですか?」

それで結構でございますとお返事して、それから先生の所へせっせと通って、当時はコトタマに関する本が一冊もなかった。先生は貧乏でしたから自筆の会報の藁半紙も買えませんで。「貴方、藁半紙が残っていたら一枚でもいいから寄付して下さい」とよく言われました。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月07日

言霊 布斗麻邇講座・宗教を卒業してから

人間は夜中の道を歩くのに月明かりや星光が必要だと思うだろう、しかし、そんなものを必要ないんだよ。小羊と申しますのは立っている判断力のこと、それさえあれば物事の全部が分かるんだよ。

太陽が照ったり、電灯の明かりは物質的な光ですが、宗教の光もしくは霊葉という光は、まったく別物ですから、そのことを覚えておいて下さいませ。

私が私の小笠原先生の所へお伺いしたのは昭和37年の秋くらいの頃だったと思います。今から四十五年近くなりますか。先生の所へ行って来てから、行かなくなった方の年月が多くなりました。私は今81歳で先生とお付き合いさせていただいてからの年月の方が多くなってきました。初めて先生へお伺いした時にこのようにおっしゃった。

「あなたは何か宗教を卒業なさっていらっしゃいましたか?」

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2018年04月06日

言霊 布斗麻邇講座・生来授かっている人間の判断力

生来授かっている人間の判断力。どういうことか、手燭を渡そうとした、お弟子さんがそれを受け取ろうとした時に、フッと灯火を消したということは、「こんなものが無くても生来のお前の判断力があれば真っ暗でも帰れるだろう。そのことをお前は悟りなさいよ」ということを表わしています。

その光、生来授かっている人間の判断力の光。人間は物心ついた頃から「自分」という光を投げかけて、そこから返ってくる答えから物事を判断する。

パッと見た瞬間に「あの人は何色の服を着ているのか?」その「何色」という質問の光を投げかけるから、あれは「赤」とか「黒」とかが返ってくる。一般的には見た瞬間に白だから白だろうと思っています。

そうではないのです、実際には。こちらから質問の光を投げかけて、相手がそれに答えるから返ってくるから分かってくる。と同時に答える方は、こちらの質問にしか答えない。「何色か?」と問えば「何色だ」と答えてくれる。「今日は暑いね」とは答えてこない。

そのことをキリスト教では重要な諺のように遺しております。
 日月の光を要せず、小羊灯火なればなり

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月05日

言霊 布斗麻邇講座・何を助けて、何を伴うのか

月が出ていないので外は真っ暗でしたので、和尚さんが「手燭(しゅしょく)をあげよう」、手燭は白い紙に油を染み込ませたもので火を点けますとホソボソと燃えます。それを振りますと足元を照らします。

それをお弟子さんに渡そうとしました。お弟子さんはそれを頂こうとしました。それをお弟子さんが手燭を受け取ろうとした瞬間に、和尚さんはフッと手燭の灯火を消してしまった。そうしましたら、賢いお弟子さんだったとみえて即座に悟った。

こんな短い話しの中で何を悟ったのか。「暗い」とはどういうことか。字は違っているかもしれませんがお許し下さい。
 扶(タス)けては断橋の水を過ぎ、伴っては無月の村に帰る
何を助けて、何を伴うのか、これだけでは分かりません。主語が抜けておりますから。

これは人間の生まれ以来授かっている判断力、座禅の時にピシャッピシャッと叩く手杖は真っ直ぐに立てて持っている、宇宙の中心から地に向かってズバーッと立っている大きな剣がある。その剣を手杖で表わしています。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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2018年04月04日

言霊 布斗麻邇講座・見えない光

「霊」は一字でコトタマのことを言いまして、その言葉を「霊葉」と申しまして、それを象徴して「お爺さんは山に柴刈に」、この柴刈は、昔の人は「シ」と「ヒ」を混同して「シバカリ」と名付けたのだろうと思いますが「ヒバカリ」です。お婆さんは川に洗濯に、禊祓の行のことでございます。

光(霊駆り)を体験する時とは、「ウ」という人間の欲望次元と「オ」のウを理論化した科学の次元では、「光」は目に見える光だと思います。ところが、そうではない「光」、人間の生命は総て光で出来ている根源的なお話ししなくてはならない時代がいよいよ来ると思います。

その究極にコトタマの「エ」と「イ」という次元でもって生命を表現しますと「光」なのでございます。その「光」は電灯や太陽の光ではございません。

どういうことかと申しますと、禅の話に和尚さんとお弟子さんが禅の問答をしておりました。「遅くなったのでもうお帰りよ」とお弟子さんに申しました。お弟子さんは「失礼いたします」と襖戸を開けて外へ出ようとしました。

布斗麻邇講座「ヒカリ」(H18年8月・会報219-3)

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