2020年05月28日

言霊 大祓祝詞の話(その三)・戦争ではなく討議による「言向け」

 降臨した聖の集団は、従来そこにいた所謂荒ぶる神達と戦争をしたのではありません。荒ぶる神の生存競争の権力闘争思想と、聖の集団の自覚する生命本然の精神構造の根ざした言霊布斗麻邇の原理による政治と、どちらが人間の住む社会を統治する方法として適当であるか、をお互いに討議したのであります。

この作業を古事記は「言向け」(ことむけ)と呼んでいます。

「神問はしに問はし腸ひ、神林ひに掃ひ賜ひて」とは以上のような討論があり、その結果、権力闘争思想より生命本具の原理である言霊の原理の方が、民衆の統治の手段として比較にならぬ程合理的である事を在来の荒ぶる神達が認め、統治の実権を降臨の聖の集団に明渡したという事になります。

この統治の実権の譲渡を古事記は「国譲り」(くにゆずり)といいます。

 「言問ひし磐根樹根立」の「言問ひし」とは右に述べた討論を仕掛けた事を言います。天孫の側から仕掛けたのか、荒ぶる神からかはどちらとも取れますが、結果としてお互いの討議となった事は変わりありません。

「磐根」(いはね)とは昔の東洋思想の五行・五大の思想のことであります。磐根は五葉音に通じます。人間本具の心の構造の要素の中で、言霊学で謂うなら大自然である五母音宇宙のみに拘泥して、文明創造に関しての人間の主体の智恵を示す八つの父韻については言及することが少ない思考・主義のことであります。

「樹根」(きね)の樹は気で感情論の事と受取られます。天孫降臨以前に行われていた土着信仰に根ざしたものの考え方の事でありましょう。「磐根樹根立」の「立」は断ちの謎です。

その時以前に各地各所で実際に行われていた五行思想や感情論・信仰思想等を、討議の末に、それ等は生命の本義に沿わない不完全な考え方だ、と否定して、それ等の実行実践を了解の上で廃止し、世の中から一掃した事であります。

(次号に続く)【収載】百五十四号(平成十三年四月)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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