2020年08月02日

言霊 大祓祝詞の話(その七)・行為は似ても境涯極楽と地獄の違い

roku-do.png こうお話してもお分かり難いかもしれませんので、仏教の六道輪廻の教えを例に引きましょう(A図参照)。この図は人間の心の進化の順序、下からウオアエイを上段にとりました。仏教ではその進化を衆生(ウ)、声聞(オ)、縁覚(ア)、菩薩(エ)、仏陀(イ)と教えます。下段はそれと対称的に上から人間(ウ)、修羅(オ)、畜生(ア)、餓鬼(エ)、地獄(イ)と示されます。

上段は仏教自覚の世界で、下段は無自覚の世界、上下対称のそれぞれは行為の内容は似ていますが、境涯は全く極楽と地獄の違いとなります。(ア)の項を例にとりましょう。

上段の(ア)は縁覚の悟りの次元です。心の一切の束縛から離れ、心の自由を得た初地の仏の自覚の境涯です。ところが、下段の(ア)は畜生界であります。自由に振舞うこと畜生の如く、大小便を垂れ流し自由、善悪の識別もなく傍若無人の行動となります。他の(イ)(エ)(オ)(ウ)の諸次元についても同様な事が言えます。

自覚の有無、光の有無が想像もつかない相違をもたらす事をご理解いただけるでありましょうか。人間とはその心掛けによって神ともなり、また獣にもなるとはこの事を言うのであります。またこの人間の分際を知り尽くした皇祖皇宗の人類歴史創造の経綸の御苦心も窺い知ることが出来るというものでありましょう。

 「高山の末、短山の末に上がりまして」の高山の末は言霊ア、短山の末も言霊アであります。言霊アの境地に視点を置くと物事の実相を最もよく見ることが出来ます。

(次号に続く)【収載】百五十八号(平成十三年八月)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 🌁| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする