2020年06月14日

言霊 大祓祝詞の話(その四)・天津罪と国津罪の関係

 五十音の言霊そのものは人間精神を構成している究極の要素であり、人間なら誰しも平等に附与されていて、これを穢したり、乱したり出来るものではありません。言霊自体は善悪、美麗、正誤損得の外にあるものです。

それを穢す乱すとは、人間精神の構造を表わす五十音言霊図の構造やその動かし方を乱し、穢す事であります。この言霊構造とその運用を乱す事によって人間社会の中に混乱と不安が生じて来ます。これが天津罪であります。

 天津罪に対して国津罪とは、言霊構造とその運用法という精神最奥の原理に関係なく、人間が平常の日々の生活の中で犯す、謂わば自我の欲望、利害、感情等の赴くままに他人や社会の秩序を乱し、不利益を与える普通一般で見られる所の罪業の事であります。

例えて言えば、人を殺したり、傷つけたり、盗んだり、だましたり、姦淫したり、嘘をついたりする罪の事であります。謂わば現在の刑法で罰の対象となる罪の事です。

 以上、天津罪と国津罪の相違についてお話して来ました。
では天津罪と国津罪とは全く関係ないか、と言うとそうでもありません。キリスト教で原罪とは人間がこの世に生を受けて生まれた時から背負っている罪と言いますように、天津罪とは人間の心の営みが行われる精神の領域の拠って立つ土台である社会の精神土壌全体の調和を根本から混乱させている罪という事なのであります。

人間精神または社会精神の土台を乱す罪が天津罪であり、その不安定、不調な土台の上にあるが故に、助長された自我主張が惹き起こす表面的な罪が国津罪という事が出来ます。

(次号に続く)【収載】百五十五号(平成十三年五月)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする