2018年06月30日

言霊 布斗麻邇講座・知識は真実から遠ざかる

 何時の時代からかそういう考え方に人間が自我に目覚めて神様の代わりをしだして、アとワ、お前は見られる分際なんだ、俺は見る分際なんだ、これがまだ花なら実害はないですが、戦争になり、地球全体の問題になり、自分を含んでいるのに傍観して相手のことしかみないで論じる。

 だからアメリカはイラクに大量破壊兵器などないのに戦争した。アメリカは酷いってほとんどの国が責めている、それを、やっている人、やられている人と見るのではなくて、その間に入れば、又、違ってくる。

 良い悪いと言っているのではないのですよ、そういうように見方が違ってくる。アワの段階では、見ている人が何を見るにも自分の知識を土台として考えている。だから自分の知識の範疇にないものは使えない。

 ところが、人間はこの古事記を読んだ百人に「この中にどんなことが書かれていますか」を問いますと、百人が百人各々に違うことを言います。アメリカがイラクへ攻め込んだことに「どう思いますか?」、百人が百人異なることを言います。全部が違うわけではないですが、重なりながら、皆各々の意見を言います。

つづき
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2018年06月29日

言霊 布斗麻邇講座・主客に判れる前

iwasaka.gif 淡島はウからア・ワに剖半して、ア→オエ・ワ→ヲヱ、オ→チキ・エ→シヒ、ヲ→イミ・ヱ→リニ、チキシヒ→イ・ヰ→イミリニ→32子音と剖半して行く先天構造の天の磐坂の構造は、何時の時からかイヴがりんごを食べてしまってから、神様の言葉で語らないで、人間の言葉で考えるようになった。

 この時から人間は苦しみを知るようになった。子供を生む時の痛みを感じるようになったと聖書に書いてある。ウが消えア・ワに剖半した所から考える、パッと見た瞬間の「あ、これは花だ」と言った所から始まる考え方。

 これを淡島と言っています。でも、大概の人はそうです、本当は「これは菊の花だ」と見た時には、何にも起こっていない宇宙があって、その宇宙が剖半することによって、私自身が主体と客体に判れ「花」と認識する中途です。

 その中途の最初、宇宙が剖半して何だか分からないが意識の芽が始まりだした、それを主客の判れた「俺が菊を見た」という所から考えが始まった。これが科学の考え方で心の仕組みからすると猛烈な違反になります。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月28日

言霊 布斗麻邇講座・宗教の流布

 昔の天皇が世界の、日本の政治を行う時の宮中の役所の配置がアイエオウ、アは天皇の御座所、イはコトタマの原理があり、大祓祝詞では比礼挂くる伴男(ひれかくるとものを)、エは数霊でもって調整する襷、手襁挂くる伴男(たすきかくるとものを)と言います。

futonorito.png この中で天皇が位置する処(ア)、天皇が鑑とするコトタマの原理が位置する処(イ)が、昔の政には一番大事な処でしたので、イ行の結論である「シ」、これを結んで、アシ(葦)、経綸に関することを謂います。

sugaso14.png 他の所では天津菅麻音図で説明する場合がありますが、出来ないことはないですが、これが一番よく分かりやすいのでこれを覚えて下さい。

 「葦船に入れて流し去りつ」と云うことは、物事が起こった時に相手の実相を観ようとする努力をしないで、自分とは何者か、内省、反省する仕事、それは宗教ということになります。

 宗教もこの三千年の物質科学を創造する第二物質科学時代においては無くてはならないものであるから、正式にイザナギ・イザナミの子供ではないけれど、こういうことも必要だから天皇の経綸(アシ)の定める所に従って流し去りつ、何処へというと、世界へ流した。その大きな仕事を正式な子供でないところに使って説明しております。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月27日

言霊 布斗麻邇講座・平和な世の中に物質科学は発展しない

 お坊さんもそれ以上をご存知ありませんので喋らない、聞いたら気の毒です。アの位に完全に上ってしまって、そこから抜け出られなくなった人を知っていますが「俺」と言ったことがない。仏教で謂います「辟支仏」(ビャクシブツ)と言います。

 だけど、この三千年間の物質科学探求の世の中には、世界が平和であれば科学は決して向上いたしませんから「あいつに勝とう、こいつに負けるな」と言うことから科学者は一生懸命研究するのであって、「お先にどうぞ」と譲り合っていては、科学は決して発達いたしません。

 こういうような世の中には宗教も必要であるとして世界の各地に宗教を興しました、必要だから世界中に蛭子を葦舟に乗せて流した。隠処に興して生まれたから分かりました、そういう時代に必要だから。

 天津太祝詞音図という最高の音図ということは、昔の天津日嗣御光天皇がそれに則って政治を行う音図が天津太祝詞音図の五母音の並びはアイエオウ、ア行の並びがタカマハラナヤサ、イ行の並びがチキミヒリニイシ。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月26日

言霊 布斗麻邇講座・必要だから生れた

 だからどんなお坊さんが出ても、この世の中をどうしようとするお坊さんは一人もいらっしゃらない、いらっしゃれない、考えがそこまでしかいかない。ウオアで止まってしまっている、エとイへ行くことが出来ない。

 私は悪口を言っているわけではないのです、そういうことも世の中には「ある」ということを申し上げています。それがこの蛭子、AK!AK!ではどうにもならないのだけれど、実際の世の中の流れから観ればそういうこともあってもおかしくないのだから、隠処に興して先ず生んでみよう、それで蛭子を生んだ。

 今のお坊さんはウオアエイのエとイを知らない、けれど、お寺の中にはイとエの仏様がたくさん飾ってある。法隆寺の救世観音、宗教もここまでくると大したもんだ。人間の至福、個人々々の幸福を求めている顔ではない。

 世界の幸福を求めている、だから救世の観音、一人一人を幸福にしようとしても世界全体が幸福にはならない。一遍に幸福にした方が早い、ただ、この三千年は仏様が出ない時代ですから仏様は仏像の中にしかいらっしゃらない。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月25日

言霊 布斗麻邇講座・私は困ってしまった

 どういう歴史を持っていて、どういう意図の下に起こされたかを観なくてはなりません。それに対して蛭子が出て来た、そういう事態に立ち入った時に実相を観ずに、「私は困ってしまった」と内側を見る。

 このような事態に陥った自分の役割はどうなんだ、そうしますと事態は何も変わらないで内側で悩んでばかりいる。これはしようがないなと思うかもしれません。そういうことで威張っている人は沢山います。

 ローマ辺り(ローマ法王)、越前の永平寺辺り(禅宗本山)、もう出るかな、もう出るかな、最後まで出ない、この方たちから、もうちょっと言ってもらいたい言葉、「世界をどうするか」、その一言が出ない。

 不思議でしょ?人の幸福を願う宗教が、この暗黙のシタシタシタっと迫っているこの地球の絶望的な今の環境に対して一つも目が行っていない。宗教とはそういうもの、どんなことが起こっても「俺が・・・」、これを蛭子と申します。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月24日

言霊 布斗麻邇講座・生まれないのに出来た子

 蛭は骨がない軟体なので古事記では「霊流子」、父韻を欠く(AK)、だから子水蛭子が生まれた。骨(ホの音)がない、霊の音がない、という例え話。父韻を欠いているので子供が生まれない。生まれないのに出来た子だからどうしようもない。

この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。

 何故、葦舟に入れて流したか、伊耶那岐命命と伊耶那美命が正式な子ではないのに、隠処に興して生んだのか。又、生んだ子を葦舟に入れて流したのか。

 そんなことはどうでもいいや、どうせ蛭子だから流したのだろうと片付けてしまいますと、今までの三千年の世界が分からなくなる。実相のない子どもですから、骨(霊音)がないとはどういうことかと申しますと、

 人間が何かのことにぶち当たってこの事態をどうにか打開しようとする時、人間誰しも、この起こってきた事態は、実際にはどういう内容の事態なのかを見極めなければならない、実相を観なければならない。実相を観ずして何かをしようとしても出来ない。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月23日

言霊 布斗麻邇講座・そういうこともあるんだよ、世の中には

 右は「身切り」、左は「霊足り」、行き廻り合う前に伊耶那美命が「あなにやし、えをとこを」、次に伊耶那岐命が「あなにやし、えをとめを」と各々が言い終えた後に、伊耶那岐命(主客)が伊耶那美命(客体)に「女の人が先に言うのはどうも適当じゃないようだ」と言った。

 男の方が偉いというわけではないのです、言葉を作るには女が先だと困る、でもそういうこともあるから此処に記しておこうか。あるかどうかは後で説明いたします、大変なことになるのですが。

然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。

 こういうことも記録に遺しておきましょうかと言って、言葉を組む(隠処に興す)処、言葉を組む頭脳内、先天構造の中のことですから見えません、暗い処(隠処)で先とは違うことをやってみましたら、子音「カ」であれば(AK=子水蛭子)のように言葉にならない。

 それならやらなくてもいいじゃないか、でも、そういうこともあるんだよ、世の中には。だから記しておきましょう。それを時間のある限り説明いたします。これは大変なことですから。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月22日

言霊 布斗麻邇講座・結婚しよう

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾(あ)と汝(な)と、この天の御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りて、すなはち詔(の)りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟えて廻りたまふ時に、……

 伊耶那岐命が「刺し塞ぎて、国土生みなさむ」と言って伊耶那美命が「それは善いことだろう」と言ったので、然らば貴方と私と天之御柱をグルグル回りながら「美斗の麻具波比」と申しますのは日本書紀には「遘合爲夫婦(みとのまぐはひ)」「交(とつぎ)の道」とあります。今の言葉で結婚という意味です。

 天之御柱を行き廻り逢ひて、国之御柱が何時の間にか消えてしまいましたけど、これは天之御柱と国之御柱が一緒になった格好です。これを行き廻りながら結婚しよう。
伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。

 天之御柱と国之御柱が一緒になったので、八つの父韻の濁点の付く陽韻の「チキシヒ」を伊耶那岐命が右から、陰韻の「イミリニ」を伊耶那美命が左から回りながら唱えて国を生もうとします。

言霊・布斗麻邇「アワ島」(H18年10月・会報221-3)

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2018年06月21日

言霊 布斗麻邇講座・天津太祝詞

amatsu_futonorito.gif言葉の要素五十音の中で、どのように心の中でもって操作すれば、人間が神とも言われ、仏とも言われるような素晴らしい人間の働きをすることが出来る境地になるのだろうか。それを確かめた上で作られた音図が天津太祝詞です。

この音図のア段は「タカマハラナヤサ」、イ段は「チキミヒリニイシ」と言います。その祝詞は三千五百年前に作られたものを柿本人麻呂によって、現代の各神社で唱えられている祝詞(大祓祝詞)に作り直されました。

終戦後に祝詞の始めの文章が全部書き換えられました。一番大切な所を削ってしまいましたから(集侍はれる〜諸聞召せと宜る。迄)今の神社には神様がいないと言われる由縁です。昔の天津太祝詞と今の祝詞とを比べてみて下さい。

何故、削ってしまったかと言うと天皇という言葉が出てきますから。天皇と神社が同じだと言ってはいけない時代ですから今は。宗教法人では削られてしまっております。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2了)

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2018年06月20日

言霊 布斗麻邇講座・心と言葉

大昔の日本人の祖先が、人間の心って何だ、心と言葉の関係って何だ、と思いを馳せてだんだん研究をして行き、頭の良い人が集まっているそうだから、勉強の好きな人達が世界中から集ってきたのでしょう。

そこは高天原と言われるチベット高原辺りではないかと想像はしますが、何処だかは決まっていません。何千年とかけて「言葉って何だ」、「心って何だ」を細分化して、これ以上細分化すると心が心でなくなる数が五十個になる。

日本語の言葉は分けるけれど、分けれない所がありますでしょ?この五十音、これを分けると言葉でなくなりますから、五十音の分けられない言葉の元素と分けることが出来なくなった心の要素を長い年月をかけて、ウから始まって次にアワというように、五十音のコトタマに一つ一つの単音を結びつけた。どんなに頭の良い人でも数百年はかかっただろうと思われます。

物事の真実でなくてはならないのですから、「カ」という一字が人間の心の何を担当しているのか、分からなければ真実ではありませんから。そのように一字一字確かめて行き、コトタマの原理を完成させていきました。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月19日

言霊 布斗麻邇講座・その言葉でなくてはならない意味

奈良の石上神宮に三千年間伝わる「布瑠の言本」という唱え言があります。「カ」の説明に申し上げます。
 ヒフミヨイムナヤコトモチ ロラネシキル ユイツワヌ ソヲタハクメ  ウオエニサリヘテ ノマスアセヱホレケ
と言わないと分からないということが分かった。

その「カ」はこういうことをしろ、ソヲタハクメ、それをタに組め、コトタマで組んで見ろ、そうすると「カ」、組んでみると心の中に「カ」と焼き付くように出てくる光景があるから、次に述べろ。

先生からの宿題で布瑠の言本を解いた時に、「カ」の一音の意味がよーく分かったような気がした。一音一音に誤魔化しの効かない「カ」なら「カ」じゃなくてはいけない意味がある言葉は世界には数千と言われる言語がありますが、世界広しと言えども、日本語だけです。

物質科学者は物を分析して、元素、原子、陽子、中性子、最後に16のコークに突き当たったところで、物質の最終的要素だろうということに今はなっているそうです。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月18日

言霊 布斗麻邇講座・心象と現象

「私の目をよーく見なさい、いいですか?マジマジ見なさい、カ!」と言って「分かりましたか?」サッパリ分かりません。「では、もう一回見なさい、キ!」と言って「分かりましたか?」ええ、全部分かりました。「あ、そう、それなら全部お話ししても貴方には分からない。」

「貴方が何年か経って、コトタマの原理の母音と父韻と子音が全部分かって、他人にも少しは喋れるようになった時には、貴方の心の中には、何故「柿」(カキ)と名付けたか、その時の青い空に柿が生る季節を「秋」(アキ)と名付けたかをちゃんと貴方は心の中で証明しておりますから。私が説明しなくともよく分かりますから。それまでお待ちになることですね。」

その時、「そんなもんか」、その時は分からないのですから。何年か経って「カァー!」がしみじみと分かる。真っ青な空に真っ赤な柿、一度見たら心の中に「カァー!」と焼き付いて離れないような色。

何でも「カ」という音は「何な?」、不思議なものを見た時に「何な」、心に焼き付くように起こってくる事象の総て。日本語はそのように作られている。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月17日

言霊 布斗麻邇講座・組んで似せる

故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。

 「刺し蓋ぎて」となると生殖の「子生みなさん」ではなく「国生みなさん」国は「んでせる」というと「カ」と名付ける宇宙の総てに「カ」と断定できるコトタマですから、そういうことを申します。

何回かお話ししたことですが、新しい方もいらっしゃいますのでお話ししようと思います。

私が小笠原先生の所へ伺い出して二三ヶ月経った頃に、どうしてもコトタマが分かりませんで、今日のような真っ青に澄んだ下、真っ赤に熟れている柿の実が生っているのを見上げますと、何というか清々しい思いがするのですが、なぜ「カキ」と名付けたのですか?教えてくれませんか?

先生は暫く腕を組んで「ウ〜ン、どう言ったらいいかな」と考えられていたということは、ご存知なんです。ところが私みたいな初心者に対してどういう言葉がいいかなを考えられた。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月16日

言霊 布斗麻邇講座・成り成りて余れる音

吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。

 鳴り合わぬ音(チキシヒイミリニ)の八父韻を言わずして、例えばキ(KiI)は成り成りて余れる音で母音を塞いでしまったら、KI、発音の仕様がない。

 では、コトタマ学がどうしてローマ字を使わないのかとよく言われる。ところがコトタマ学の真髄を物語る時に「イ」が猛烈に意味を成す。ですが説明するにはいい。ということから、成り合わぬ処に成り合う処を塞げば子音が出来る。

 KiAは「カ」、嘘つけ、「キィア」じゃないかって、(笑)。何故、イ段に八父韻なのか、これが日本言霊古神道の最高の工夫で、ズーッと後になって「あっ、そうか」とお気づきになる時が必ず来ます。

 ブルブルと震える程、昔の日本人はすご〜いことを考えたんだな!とお思いになると、今、お話しても何のことか分からない。自分の心の中に32の子音があって、総てのこと、どんなことが起こっても32の子音を綴り合すことによって表現することが出来る。

 絶対出来る、出来ないことはこの世の中にはない、人間の生命(イの道)の総てであることが心からお分かりになる時が来ますから、その時にお話し申し上げます。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月15日

言霊 布斗麻邇講座・言葉の中の言葉

言葉が物事の本体であるということで尽くして、それ以上進まなくなったという話があります。それはヨハネ伝の「はじめに言葉あり」、その言葉を「Word」とか「Language」を使わずに「Logos」、言葉の素、ギリシャの時代から使っている。

言葉の素とは言葉の中の言葉と言われるコトタマのことです。コトタマを「Word of the Words」と言って言葉の中の言葉、又は麻邇(マニ)、布斗麻邇の「マニ」。仏教語では「真似」、ヒンズー語で「マヌ」。

「マニ」は世界語、何処の国にも三千年前には誰でも知っていた言葉。言葉の言葉、人間の使っている言葉の素の言葉。弘法大師が「世の名と成すにあらざる言葉」とコトタマのことを言い表しました。その言葉の言葉が物事の真実であって、これが総ての物の根本なんだ。

聖書では「マナ」と申します、「マンナ」とも言います。「マナは神の口より出る言葉なり」と聖書に書いてあります。世界中の人が実際に知っていたはずのそのマナがいよいよ又、この会を始めとして世界中に行き渡る経世になってきた。

このマナ、マヌがどういう所から出てくるか、全然違った面から古事記は説くようになります。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月14日

言霊 布斗麻邇講座・哲学の行き着く先

プラトン、アリストテレスの時代から三千年の間、今は哲学の黄昏、哲学の学者になろうとしても道を進めない。哲学が売れなくなってしまいましたから。私の学生時代は哲学が大流行で本屋の棚に哲学の本がズラーッと並んでいたものです。

今、本屋へ行って哲学書を探しても隅っこに数冊、誰も買わない。それほど哲学は使命を果たしてしまったと言ってもいい。最後にサルトルとかが物事の本生とは何かを追究し、一番大切なことが「言葉だ」という意義に行き当たりました。それ以来、哲学は進歩を止めてしまった。

ヨーロッパの黄昏が其処にありまして、歴史の舞台の主役から退いてしまった、この五十年間ヨーロッパが主体になって動いていない。文化的、文明的にヨーロッパは主役の立場を離れた。

それは何故か、一つは他の国の領土を奪った植民地(アジア・アフリカ・南米等)が独立してヨーロッパの国は貧乏になりました。それと同時に文化的な所有も主役の座から降りることになって、ヨーロッパの黄昏と謂うのです。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月13日

言霊 布斗麻邇講座・はじめに言葉あり

 伊耶那岐命が伊耶那美命に質問した
汝(な)が身はいかに成れる

 伊耶那美命が答えます
吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり

 母音ですから、息を吸い込んで、息が続く限り「アーーーーー」とおっしゃってみて下さい。すべて「ア」です、他の音と鳴り合わない。

 父韻のキシチニヒミイリは「キ」であればKiIとなり鳴り余るところがある。ただこれだけの話を物語で言うわけです。ただそれだけの話ですが、実は人間の実際活動にこれが大変な意味があります。

 新約聖書ヨハネ伝の冒頭に「はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」と、はじめに言葉が人間の生命の本だった。ですが、生命があるから言葉があるのではないかとお思いになるでしょう。

 いや、待てよ、もう一歩踏み込んで「生命があるよ」という言葉がある。何も言わなければ分からない。何か言うから分かる、だから物事の生命とは何であるか、それは言葉なんです。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月12日

言霊 布斗麻邇講座・陰陽を糾う

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。

ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。

 人間の性のことを謂っています、「成り合はぬところ」とは男女の体の一処のことを謂っていますが、何故、宇宙から言葉を発した淤能碁呂島から一転して男女の一処のことを言うのか。

 人間が発声する言葉と人間が結婚して子供をつくるのは人間生命の直接の働きです。人間生命の法則をそのまま表現は違っても、そのまま表わしている。直接の男女の交わりということも生殖反応として、生命直々のものですから言葉を表わすことは可能なのです。

 ですから全然言い方を変えて、男女関係の結婚になぞらえて「言葉というのはこのように創るものですよ」ということを説明する段に入ります。ここで一転して、男である父の父韻を表わします。女である伊耶那美命は母の母音を表わします。説明の仕方がガラッと変わりますのでご注意下さい。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月11日

言霊 布斗麻邇講座・感応同交

貴方のことを「ワ」乃至「ナ」(汝)と言います。
ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。

この淤能碁呂島の時は人間の住んでいる所を五十音図に合わせたように、天の浮橋の両端に立って、矛である人間の舌を使ってかき回したと表現しました。言葉である自分の生命を生んでいくことを説きました。

「ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく」からガラッと変わりまして伊耶那岐命と伊耶那美命という男と女が結婚し交合(まぐはひ)して子供を生む説明する段に入ります。

「ここに」は今までとは違いますよ、説き方が違いますよ、の知らせだと思われると良いと思います。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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