2018年06月21日

言霊 布斗麻邇講座・天津太祝詞

言葉の要素五十音の中で、どのように心の中でもって操作すれば、人間が神とも言われ、仏とも言われるような素晴らしい人間の働きをすることが出来る境地になるのだろうか。それを確かめた上で作られた音図が天津太祝詞です。

この音図のア段は「タカマハラナヤサ」、イ段は「チキミヒリニイシ」と言います。その祝詞は三千五百年前に作られたものを柿本人麻呂によって、現代の各神社で唱えられている祝詞に作り直されました。

終戦後に祝詞の始めの文章が全部書き換えられました。一番大切な所を削ってしまいましたから、今の神社には神様がいないと言われる由縁です。昔の天津太祝詞と今の祝詞とを比べてみて下さい。

何故、削ってしまったかと言うと天皇という言葉が出てきますから。天皇と神社が同じだと言ってはいけない時代ですから今は。宗教法人では削られてしまっております。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2了)

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2018年06月20日

言霊 布斗麻邇講座・心と言葉

大昔の日本人の祖先が、人間の心って何だ、心と言葉の関係って何だ、と思いを馳せてだんだん研究をして行き、頭の良い人が集まっているそうだから、勉強の好きな人達が世界中から集ってきたのでしょう。

そこは高天原と言われるチベット高原辺りではないかと想像はしますが、何処だかは決まっていません。何千年とかけて「言葉って何だ」、「心って何だ」を細分化して、これ以上細分化すると心が心でなくなる数が五十個になる。

日本語の言葉は分けるけれど、分けれない所がありますでしょ?この五十音、これを分けると言葉でなくなりますから、五十音の分けられない言葉の元素と分けることが出来なくなった心の要素を長い年月をかけて、ウから始まって次にアワというように、五十音のコトタマに一つ一つの単音を結びつけた。どんなに頭の良い人でも数百年はかかっただろうと思われます。

物事の真実でなくてはならないのですから、「カ」という一字が人間の心の何を担当しているのか、分からなければ真実ではありませんから。そのように一字一字確かめて行き、コトタマの原理を完成させていきました。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月19日

言霊 布斗麻邇講座・その言葉でなくてはならない意味

奈良の石上神宮に三千年間伝わる「布瑠の言本」という唱え言があります。「カ」の説明に申し上げます。
 ヒフミヨイムナヤコトモチ ロラネシキル ユイツワヌ ソヲタハクメ  ウオエニサリヘテ ノマスアセヱホレケ
と言わないと分からないということが分かった。

その「カ」はこういうことをしろ、ソヲタハクメ、それをタに組め、コトタマで組んで見ろ、そうすると「カ」、組んでみると心の中に「カ」と焼き付くように出てくる光景があるから、次に述べろ。

先生からの宿題で布瑠の言本を解いた時に、「カ」の一音の意味がよーく分かったような気がした。一音一音に誤魔化しの効かない「カ」なら「カ」じゃなくてはいけない意味がある言葉は世界には数千と言われる言語がありますが、世界広しと言えども、日本語だけです。

物質科学者は物を分析して、元素、原子、陽子、中性子、最後に16のコークに突き当たったところで、物質の最終的要素だろうということに今はなっているそうです。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月18日

言霊 布斗麻邇講座・心象と現象

「私の目をよーく見なさい、いいですか?マジマジ見なさい、カ!」と言って「分かりましたか?」サッパリ分かりません。「では、もう一回見なさい、キ!」と言って「分かりましたか?」ええ、全部分かりました。「あ、そう、それなら全部お話ししても貴方には分からない。」

「貴方が何年か経って、コトタマの原理の母音と父韻と子音が全部分かって、他人にも少しは喋れるようになった時には、貴方の心の中には、何故「柿」(カキ)と名付けたか、その時の青い空に柿が生る季節を「秋」(アキ)と名付けたかをちゃんと貴方は心の中で証明しておりますから。私が説明しなくともよく分かりますから。それまでお待ちになることですね。」

その時、「そんなもんか」、その時は分からないのですから。何年か経って「カァー!」がしみじみと分かる。真っ青な空に真っ赤な柿、一度見たら心の中に「カァー!」と焼き付いて離れないような色。

何でも「カ」という音は「何な?」、不思議なものを見た時に「何な」、心に焼き付くように起こってくる事象の総て。日本語はそのように作られている。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月17日

言霊 布斗麻邇講座・組んで似せる

故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。

 「刺し蓋ぎて」となると生殖の「子生みなさん」ではなく「国生みなさん」国は「んでせる」というと「カ」と名付ける宇宙の総てに「カ」と断定できるコトタマですから、そういうことを申します。

何回かお話ししたことですが、新しい方もいらっしゃいますのでお話ししようと思います。

私が小笠原先生の所へ伺い出して二三ヶ月経った頃に、どうしてもコトタマが分かりませんで、今日のような真っ青に澄んだ下、真っ赤に熟れている柿の実が生っているのを見上げますと、何というか清々しい思いがするのですが、なぜ「カキ」と名付けたのですか?教えてくれませんか?

先生は暫く腕を組んで「ウ〜ン、どう言ったらいいかな」と考えられていたということは、ご存知なんです。ところが私みたいな初心者に対してどういう言葉がいいかなを考えられた。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月16日

言霊 布斗麻邇講座・成り成りて余れる音

吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。

 鳴り合わぬ音(チキシヒイミリニ)の八父韻を言わずして、例えばキ(KiI)は成り成りて余れる音で母音を塞いでしまったら、KI、発音の仕様がない。

 では、コトタマ学がどうしてローマ字を使わないのかとよく言われる。ところがコトタマ学の真髄を物語る時に「イ」が猛烈に意味を成す。ですが説明するにはいい。ということから、成り合わぬ処に成り合う処を塞げば子音が出来る。

 KiAは「カ」、嘘つけ、「キィア」じゃないかって、(笑)。何故、イ段に八父韻なのか、これが日本言霊古神道の最高の工夫で、ズーッと後になって「あっ、そうか」とお気づきになる時が必ず来ます。

 ブルブルと震える程、昔の日本人はすご〜いことを考えたんだな!とお思いになると、今、お話しても何のことか分からない。自分の心の中に32の子音があって、総てのこと、どんなことが起こっても32の子音を綴り合すことによって表現することが出来る。

 絶対出来る、出来ないことはこの世の中にはない、人間の生命(イの道)の総てであることが心からお分かりになる時が来ますから、その時にお話し申し上げます。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月15日

言霊 布斗麻邇講座・言葉の中の言葉

言葉が物事の本体であるということで尽くして、それ以上進まなくなったという話があります。それはヨハネ伝の「はじめに言葉あり」、その言葉を「Word」とか「Language」を使わずに「Logos」、言葉の素、ギリシャの時代から使っている。

言葉の素とは言葉の中の言葉と言われるコトタマのことです。コトタマを「Word of the Words」と言って言葉の中の言葉、又は麻邇(マニ)、布斗麻邇の「マニ」。仏教語では「真似」、ヒンズー語で「マヌ」。

「マニ」は世界語、何処の国にも三千年前には誰でも知っていた言葉。言葉の言葉、人間の使っている言葉の素の言葉。弘法大師が「世の名と成すにあらざる言葉」とコトタマのことを言い表しました。その言葉の言葉が物事の真実であって、これが総ての物の根本なんだ。

聖書では「マナ」と申します、「マンナ」とも言います。「マナは神の口より出る言葉なり」と聖書に書いてあります。世界中の人が実際に知っていたはずのそのマナがいよいよ又、この会を始めとして世界中に行き渡る経世になってきた。

このマナ、マヌがどういう所から出てくるか、全然違った面から古事記は説くようになります。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月14日

言霊 布斗麻邇講座・哲学の行き着く先

プラトン、アリストテレスの時代から三千年の間、今は哲学の黄昏、哲学の学者になろうとしても道を進めない。哲学が売れなくなってしまいましたから。私の学生時代は哲学が大流行で本屋の棚に哲学の本がズラーッと並んでいたものです。

今、本屋へ行って哲学書を探しても隅っこに数冊、誰も買わない。それほど哲学は使命を果たしてしまったと言ってもいい。最後にサルトルとかが物事の本生とは何かを追究し、一番大切なことが「言葉だ」という意義に行き当たりました。それ以来、哲学は進歩を止めてしまった。

ヨーロッパの黄昏が其処にありまして、歴史の舞台の主役から退いてしまった、この五十年間ヨーロッパが主体になって動いていない。文化的、文明的にヨーロッパは主役の立場を離れた。

それは何故か、一つは他の国の領土を奪った植民地(アジア・アフリカ・南米等)が独立してヨーロッパの国は貧乏になりました。それと同時に文化的な所有も主役の座から降りることになって、ヨーロッパの黄昏と謂うのです。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月13日

言霊 布斗麻邇講座・はじめに言葉あり

 伊耶那岐命が伊耶那美命に質問した
汝(な)が身はいかに成れる

 伊耶那美命が答えます
吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり

 母音ですから、息を吸い込んで、息が続く限り「アーーーーー」とおっしゃってみて下さい。すべて「ア」です、他の音と鳴り合わない。

 父韻のキシチニヒミイリは「キ」であればKiIとなり鳴り余るところがある。ただこれだけの話を物語で言うわけです。ただそれだけの話ですが、実は人間の実際活動にこれが大変な意味があります。

 新約聖書ヨハネ伝の冒頭に「はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」と、はじめに言葉が人間の生命の本だった。ですが、生命があるから言葉があるのではないかとお思いになるでしょう。

 いや、待てよ、もう一歩踏み込んで「生命があるよ」という言葉がある。何も言わなければ分からない。何か言うから分かる、だから物事の生命とは何であるか、それは言葉なんです。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月12日

言霊 布斗麻邇講座・陰陽を糾う

ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。

ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。

 人間の性のことを謂っています、「成り合はぬところ」とは男女の体の一処のことを謂っていますが、何故、宇宙から言葉を発した淤能碁呂島から一転して男女の一処のことを言うのか。

 人間が発声する言葉と人間が結婚して子供をつくるのは人間生命の直接の働きです。人間生命の法則をそのまま表現は違っても、そのまま表わしている。直接の男女の交わりということも生殖反応として、生命直々のものですから言葉を表わすことは可能なのです。

 ですから全然言い方を変えて、男女関係の結婚になぞらえて「言葉というのはこのように創るものですよ」ということを説明する段に入ります。ここで一転して、男である父の父韻を表わします。女である伊耶那美命は母の母音を表わします。説明の仕方がガラッと変わりますのでご注意下さい。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月11日

言霊 布斗麻邇講座・感応同交

貴方のことを「ワ」乃至「ナ」(汝)と言います。
ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。

この淤能碁呂島の時は人間の住んでいる所を五十音図に合わせたように、天の浮橋の両端に立って、矛である人間の舌を使ってかき回したと表現しました。言葉である自分の生命を生んでいくことを説きました。

「ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく」からガラッと変わりまして伊耶那岐命と伊耶那美命という男と女が結婚し交合(まぐはひ)して子供を生む説明する段に入ります。

「ここに」は今までとは違いますよ、説き方が違いますよ、の知らせだと思われると良いと思います。

言霊・布斗麻邇「日本語の真髄」(H18年10月・会報221-2)

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2018年06月10日

言霊 布斗麻邇講座・人類の能力

それほど物質科学は日進月歩、これから後に人間が地球上の争い、町内の争い、議員同士の論争、それ等を総て乗り越えて「争うことはいいことだ」、「仲良くなることのキッカケを与えてくれる」という気持ちになったら、地球の揉め事を人類は卒業して、いよいよ何処へ出かけていくか。

人間は宇宙へ飛び出して第二の地球を何処に見つけるか、そういう時代が来ないとも限らない。昨日もいらした方にそういうお話しをしましたが、原子核内反応のエネルギーでも間に合わなくなる。

何十億光年を目指すのならば、もっとすごいエネルギーが必要になってくると、人類は人間の知力がどれだけ発達するのか分からない、そういう場面も想像されます。

人類というのは本来、身の丈だけのものだったならば、そんなことが出来るはずがないことをどんどんしております。身の丈で済むことでしたら、身の丈のことしか出来ないはずです。

言霊・布斗麻邇「おのごろ島」(H18年10月・会報221-1了)

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2018年06月09日

言霊 布斗麻邇講座・物質科学をコントロールする叡智

それをひっくり返してお話ししますと、人間は日々物質的には向上しております。もっと物質科学がどんどん進んで行きますと、素晴らしい機械も発明されるかもしれません。

現在のロケットに使われている危険な液体水素や酸素の燃料ではなくて、もっと効率の良い原子核内反応を使って、コンパクトにして、そのエネルギーを引き出すことが出来るならば、宇宙全体へ乗り出すことも可能でないとは言い切れない。

今からたかだか五十年前の終戦辺りに亡くなった方が今ここでパッと生き返って目を覚ましたとしたら、どうなりますかね!?電話を携帯して何処で話してんだか、昔は糸電話なんてもので遊びましたけど。(笑)

向こうの糸は何処まで続いているんだ、地球上の何処までも続いているよって言ったら、あまりにビックリして又死んじゃうかもしれません。

言霊・布斗麻邇「おのごろ島」(H18年10月・会報221-1)

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2018年06月08日

言霊 布斗麻邇講座・天与の判断力

真実の俺というのは大きな宇宙的な働きと同時に、自分の現象としての「食いたいな」、「寝たいな」、「あの着物が着たい、これではみっともない」と思う心全体の自分ではないのかと言えば、それも自分です。

先天構造が起こす自分の心の出来事、一生かかって出来る出来事の総和と宇宙全体が自分だと。そうすると先天と後天を含んだ宇宙全体が自分ということになります。後天は現象ですから現れては消え、消えては現れる、取り留めがない心の現象。

皆さん、心の語源はコロコロ、コロコロと変わる、今泣いたカラスがもう笑った、「あー、悲しい」と嘆いていたのに饅頭出したらコロッと変わった。お前の悲しみは饅頭なのか人もいらっしゃる。そういうように心はコロコロと変わるから実体がない。

zettai.gif実際の私とは何であるか、厳然と存在して、この宇宙から頭の天辺を通って足の爪先に通り地球の底に至るまで、ズバーッと立っている人間が生まれた時から立っている判断力の本を天之御柱、国之御柱と申します。本当の自分というのは天之御柱と国之御柱が一体となったものということになります。

言霊・布斗麻邇「おのごろ島」(H18年10月・会報221-1)

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2018年06月07日

言霊 布斗麻邇講座・先天と後天で私の総て

子音の一つ一つは国であり島である、ということになりますとこの天之御柱と国之御柱があって父韻チイキミシリヒニの天の浮橋がある先天構造、かき回して出て来た32の子音が後天の構造です。この全部が「私」の総て。

ウという「食いたいな」、「何々したいな」は人間の心で説明されるもっとも確実な欲望の世界、自分は「こうですよ」と説明できる範囲の世界です。又、欲望で起こった現象を合理的に考えるにはどうしたら良いかを考えるオでやればいい。ウオの世界は私とは「これだけですよ」と言ってもそんなに矛盾は起こらない世界です。

アという「あー、素晴らしいな!」、「富士山っていいな!」の世界は、荘厳な仏像の顔を観て「素晴らしいな!何て和やかなお顔をなさっているかな!」という感情が出てくるのは頭からかもしれません。

しかし、感情が出て来る時は頭より全身が震えます。全身から出てくると言っても間違いない。もっと自分から離れた、すごい全宇宙が誕生するような性能です。その感情が生まれるアは身の丈だけの活動だけでは考えられない性能として出てまいります。

言霊・布斗麻邇「おのごろ島」(H18年10月・会報221-1)

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2018年06月06日

言霊 布斗麻邇講座・組んで似せた

先天の十七のコトタマが活動して「ああだ、こうだ」の現象を現出いたします。一つ一つの出て来た単位の言葉のことを「国が出来た」と申します。

「タ」を発音する宇宙全体の中で「タ」と名付けられる総てが言霊タと申します。ここが難しい所かもしれません、宇宙で「タ」と名付けなければならないものの総てを言霊タと申します。

そういうことから、一つ一つは人間の心を組んで似せる、「タ」と名付けるものに似せているところから国と申します。これから推して日本の国とかアメリカの国とか北朝鮮の国とかの「国」になっていきます。

ということは日本の国と言えば、これくらいの国土の上に、こういう性質を持った民族が住んでいる、他の国とは区別するためにんでせた。住んでいる所からすれば「島」、淤能碁呂島、締めてまとめる。

言霊・布斗麻邇「おのごろ島」(H18年10月・会報221-1)

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2018年06月05日

言霊 布斗麻邇講座・言葉にする前

ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのろごじま)なり。その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。

以上の文章を先月の講習会でお話しした所でございます。その話をもう一度蒸し返しまして、五母音側が天之御柱(アオウエ)、半母音側が国之御柱(ワヲウヱ)が両端に立って、間を天の浮橋(八父韻)が舌(天の沼矛)でもってかき回す。そうしますと、溜り落ちる塩(四穂)がたまって淤能碁呂島が出来た。

父韻でもってアオウエの四つの母音とワヲウヱの半母音を結び合わせるようにかき回すと三十二の島が出来る、国が出来る、父韻のチ(Ti)+母音ア(A)=タ(TiA)というように。コトタマ学では子供の音「子音」と申します。

先天構造のコトタマはウが重複しますので全部で十七ございます。「あっ、菊が綺麗だな」とか「水でも一杯飲もうかな」とかの考えが口から出てくる前の頭脳は、どういう活動をしていたか。

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2018年06月04日

言霊 布斗麻邇講座・神性と獣性

それをとっさの判断で一人を救うために火だるまになってしまった。まだ結婚して三ヶ月の新婚だったそうです。お寺さんのお坊さんが毎日々々花を取り替えてお奉りしているようです。あのお地蔵様の前を通る方は皆手を合わせる方が多いようです。

人間は日頃思ってもいないような別のことをする可能性がある。逆に言えば、人間では出来そうにない変な恐ろしいこともする。人間では出来そうにない神のような行いをすることもある。

となりますと、どういうのが「私」で「自分」か、は難しいことになります。

そこで「淤能碁呂島」ということをもう一度、そういう面から考えてみようと思います。そうなりますと、コトタマの学問というものが人間の性格から離れた高尚な学問ばかりでないことをお分かり頂けるのではないでしょうか。

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2018年06月03日

言霊 布斗麻邇講座・自分が自分でない状態

消防士の一人がハシゴに上って一人、二人とハシゴ車に乗せ、さて降りようとした時に、救出した人から「もう一人いる」と告げられ、その時は既に火が回っていて、これ以上この階に留まっていると危険な状況でしたが、即座に火中に戻って残っていた人を救出してハシゴ車へ乗せた。

ところがハシゴ車は定員五名で、自分が乗るとハシゴ車の滑車が上下出来ない。「俺はここに留まるから皆下りて下さい」と送り出して後、残った消防士を助けるためにハシゴ車上がった時には火だるまになって亡くなっていた。その話をお寺のお坊さんが聞いて供養のためにお地蔵様を立てたということです。

となると、ウとオに関するだけの「私」とすると、かけがいのない生命を譲るという発想は出てきません。自分が自分でない状態、自分というのがどういう生物なんだと問い正す時に現れ出てまいります。

宗教的には神とか仏とかは何処にあるのか、そうなりますと難しい宗教的な問題になりますが、「愛」を人間の心から出てきて他人に与えることは比較的に易しいことですが、自分の持っている唯一つの生命をその人に捧げてしまうということは、なかなか計算通りの中からは出てきません。

言霊・布斗麻邇「おのごろ島」(H18年10月・会報221-1)

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2018年06月02日

言霊 布斗麻邇講座・これだけの自分

そのことについてお話しをしたいと思います。昔から「人間はウオアエイという五つの次元の中に住んでいる生物だ」と申し上げました。

ウというのは欲望。オは五官感覚で起こったことを合理的に考えようとする、その理屈の世界、経験知の世界。ウとオの世界の自分、さっきも申し上げましたように「これだけの自分」ということになりますと、ウとオに生きる人間ということになります。

ところが、人間と申しますのはもっと大きな自分の「俺の俺」という関係では解釈出来ないほどの大きな力を発揮する時があります。私の面談室の前にお寺がありますが、このお寺の前に一つのお地蔵様がお奉りしております。

このお地蔵様は何年か前にある近くのマンションで火事が起こった、燃え広がりまして消防隊が繰り出したのですが、なかなか鎮火せずに最後、五六人が部屋に閉じ込められた。

言霊・布斗麻邇「おのごろ島」(H18年10月・会報221-1)

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