2018年02月28日

言霊 布斗麻邇講座・同じ根っこの葉っぱ同士

禅語に「我と汝同根、また奇特なり」、貴方と私は喧嘩しているけれど、もとを辿れば同じ人間なんだ。同じ所から判れていった人間なんだ。だから喧嘩するのは意味がない。握手しましょうやって、仲良くなる。

ところが空を意識しないから握手する理由が何もない。戦いだしたら年中戦っていなくてはならない。今の人間は戦いだしたら年中戦っています。イスラエルとイスラムのように何処までやっても果てしがない。三千年やっている。

よく飽きないなと思います、相手を慈しむより、相手を憎む方の人間になる。憎い思いが勝って慈しむことは絶対に出来ない「目には目を歯には歯を」って。

この人をどう考えるか、この人は自分が「こう思う」人がこの人だと思う。この人も自分があの人って「こうだなと思う」人が相手になってしまう。ところが人間の意識なんて小さいですから、私があの人のことを「こうだな」と思っていることは、その人の何十分の一でもない。

布斗麻邇講座「自我」(H18年7月・会報218-4)

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2018年02月27日

言霊 布斗麻邇講座・自我意識

uchu_bohan.gif「私は饅頭が食べたい」とは言わない、ただ「饅頭喰いたい」と言う。外国語は「I」の主語がないと笑われます。「饅頭を欲する」とは言わない。何故かと申しますと外国ではアワに判れる前のウを全然意識しない。

昔から意識しない、いつ頃からか、イエス・キリストが生まれるもっと昔、アダムとイヴのイヴが蛇に騙されて、エデンの園の智慧の実を食べた。そうしたら自分が裸であることを知った。

裸であることを知ったということは何も持っていないということが分かった。何か欲しい、裸を隠す何かが欲しい、イチジクの葉っぱを付けた、そこから自我が始まった。実は宇宙剖半前のウを意識しなくなった。

自分が何々を欲しい、自分が主人公になってしまった。だから、必ず外国語では「I」を付ける、だから相手に立つものは偶然自分の前に立ったものだという意識。

布斗麻邇講座「自我」(H18年7月・会報218-4)

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2018年02月26日

言霊 布斗麻邇講座・私と貴方

実際の自分の本体が何であるかということも、よくよく々々々々見つめていって、自我というのは虚妄に過ぎなかった。虚妄に過ぎない自我がどうして起こるのか。世界中が自我に囚われています。何処で起こるのか、原因をお話し申し上げますと面白いことになってまいります。

人間の頭脳内の先天構造は、始めに何もない宇宙に何か一点の意識が芽生えて、アとワに分かれる宇宙剖半し、「これは何だ」ということでオとヲ、「どう扱ったらいいんだ」エとヱに分かれる。それから八父韻が動くと子音という現象が出て来る。

これは自我が起こりうる余地がない、何処に自我が生まれるのか、宇宙がやっていることなんですから。自我が「ある」と思っている人は「俺は自我という宇宙だ」とおっしゃる方はいらっしゃらない。

ここからは自我という意識は絶対に出て来ない、出てくるはずがない自我という意識は何処から出てくるのか、それは主体(ア)と客体(ワ)の処。これを展開しますと東洋思想、日本の思想は言葉に「私が」と言わない。

布斗麻邇講座「自我」(H18年7月・会報218-4)

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2018年02月25日

言霊 布斗麻邇講座・何故の根拠

ですが、今の世界で「自我はない」が常識になってしまったら今より大変ですよ。「私は監獄に入りたくないから盗みは止めとこう」というのも無きにしも非ず。ですから自我の悪いところばかりでなく、良いところにもちゃんと作用しております。

そのように自我があって良い場合も悪い場合もございますが、実際のことを言って私が四十数年間コトタマの学問を勉強させていただいていて、自分の心を毎晩々々観ております。何かちょっと感じたことを何故、お前は感じたのか。何かこの辺りが痛いな、何か起こっているのかな、

何故お前はちょっと痛かったら、何か起こったのかと思うのか。その「何故か」と思うのが自我。その自我というものは、本当は「ない」。本当は幽霊がないように自我もない。自我はないとお思いになっている方は手を上げてみて下さい、いらっしゃらないでしょうな、本当は「ない」。

ない自我を「ある」と思って、よくよく観て、最後に「ない」と言った人は、ないからと言って泥棒をしても良いとはならない。パッと即座に「ない」と思った人は「何してもいいんだ」ということになるかもしれませんけども。

布斗麻邇講座「自我」(H18年7月・会報218-4)

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2018年02月24日

言霊 布斗麻邇講座・何故仏像を拝むのか

観世音菩薩は優雅なお顔をして、何度も手を合わすようなお顔をしていますが、観世音菩薩は「いない」、何故、手を合わすのですか?絶対に「いない」、象徴に過ぎません。何故、あのような仏像を造ったか。

三十三相を自覚した仏様がいると観音経に書いてある、それを読んだ彫刻家が、どう彫ったら良いか、どういうお顔にしたら良いか、どういう手にしたら良いか、自分の理想とする人の目を見たり、お顔を見たりして、それに似せて彫った。

その仏像に拝む、変な話。ところが、人間というのは彫刻家が「観世音菩薩」として作り、彫って、長い間「観世音菩薩」として不特定多数の大勢の人が拝んでいますと、その想念がそこに集まってきて、その仏像がともすると生きた如くに作用することがあるんです。

仏像のような人はいないのですが、そういう人の想念が集まりますと、そういうようになっていく傾向があるのです。それで「有り難い」と思う。それはそれで良いのです、そういう傾向があるということは良いのですが、自我があるというのは完全に虚妄なんです。

布斗麻邇講座「自我」(H18年7月・会報218-4)

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2018年02月23日

言霊 布斗麻邇講座・自我なんてものは「ない」

父韻の話をこういうようにしていると世界中に意志の波動が伝わっていき、世の中がどんどん変わっていきますよという話をいたしましょうか。来月の会報には今までのことしか書いていません、だから、先へ進んでも構わないのですけれど。

人間と申しますのはよーく考えてみますと、自分というもの、自分が「ある」ということ。何か嫌なことを言われると自我が傷つけられると思う。何か他人に家の中に踏み込まれるとプライバシーが侵されたと思う、常に自分という殼を作っている。

生まれた時から作ってしまう、ある年齢になりますと。もう五六歳で作りますよ、「あんちゃん、これ私の!」言わないのは赤ん坊の時だけ。みんな自我、ところがよくよく観ていきますと自我なんてものは「ない」、あると思い込んでいるだけ。

よく幽霊の話なんかを聞くと暗い家路を通るのが何だかイヤになります。いつも言うことですが、柳の枝がこう垂れ下がっている所を通ったらサラサラサラと音がする、どんなに分別がある人でもイヤです、何故なら人間にはそういう心をちゃんと授かっていますから。

布斗麻邇講座「自我」(H18年7月・会報218-4)

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2018年02月22日

言霊 布斗麻邇講座・言霊アから父韻がよく判る

一番ケチな人はお金持ち、金を集める人が上手な人は使った分だけ返ってこない限り金を使いません。金持ちだから金をばら撒くのかというのは大間違いで、中途半端な人がばら撒く。

今まで会った人間に、ちょっと言葉を交わしたら「あの野郎は嫌な野郎だ」となると、向こうが笑って「おはようございます」と言っても、こっちは笑えない。「嫌な野郎だ」、その人の顔を見ただけで「嫌な野郎だ。」

これも一瞬にして「嫌な野郎だ」という経験を引き込んで、これをよく考えてみたら、自分が「嫌な野郎だ」とあの人に思われているのではなかろうかを気がつくと、同じ穴の狢だな、だから感謝すべきなんだと手を合わす気持ちになりますと、「良い野郎だ」ということになります。

そうすると、どういうことになるか。悪く言えば「癖」になる、父韻というのは。結びついて離れない。何か起こったことを感情性能として一緒になってしまいますと、中々そこから脱却できません。

しかしながら、手を合わしますとフッと分かる。すると逆算して父韻を分かるには、さっきも申しました言霊アという心根に一歩足をかけるとよく分かるということになるわけです。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3了)

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2018年02月21日

言霊 布斗麻邇講座・生命意志が決めている

私がよく説明します歯ブラシに歯磨き粉を付けて口に入れたはいいけど、上から磨こうか、下から磨こうか、そのようなことを考える人はよほどの精神症にかかっている。考えなくてフッと動かしている。

だけど、どっちかを決めるというのは生命が決めているのですよ。無意識でも決めている、それを決めているのは父韻。今日はどっちに決めようかなって。こういうくだらないことでも全部作用して決めている。

人間はそういうことの一つ一つを尋ねた末に人間の性能というものは、完全に揃っていて、その一切の機能が今此処で綜合して働くから、今此処であなたと会っている、そのように考えるのを一期一会と申します。

一生の内に一回だけ会う。平成18年7月15日というのは一生の内で一日しかない。そう思いますと一日を無駄に使わなくなる、一生懸命何かに使おうとします。ここに一億円あるとします、十億円あったとしても、一円がまとまったものだと思ったら。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月20日

言霊 布斗麻邇講座・一生のうちに一番忙しく働いている父韻

国民がどんなことに関心をもっていて、どんなことをしてもらいたいのか、それは触覚で知る。だから悪かろう、良かろうにも使うので、悪口ではありません。それじゃ、議員さんだけが触覚を使っていて、私は使っていないのか。

とんでもない、これを使わなければ生きていけない。せっせと私も使わせていただいているのです。自分の心を観て勉強する、何かハッと何か気づいた掻き繰った事実と起こった事実とのどっちをどうやって結び付けようとしているのか。

そのように年中考えている、これも触覚。芸術家の方は自分の心の触覚と、何か綺麗な物事の触覚と両方合わせて、どういうように表現すれば良い絵が描けるか。印象派。印象深い印象そのもので描こうとする。又は、何かの心が起こった時、何だか心が渦巻いたような鬱のような抽象画。

何方でも使っているキミという父韻は説明するのに一番やさしい父韻です。考えてみれば一番忙しく働いている父韻ですから、人間の生命の中で。これほど忙しいものはないくらい。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月19日

言霊 布斗麻邇講座・金ヅル、物ヅル

なんで人の家のドアを開けるのかと思いつつ開けますと、贈り物の山。その中から「好きなものを一つ持っていって。」こんなにどうしたんですか?「お世話するとお礼に持ってくるんですよ。」

一時間の治療の間に五回位電話がかかってきて、「うちの息子が就職試験に落ちたので何とかしてくれませんか?」とか「うちの店の前にあるドブ板が割れたので何とかしてくれませんか?」

そうしますと愚痴をこぼす、ドブ板くらい自分で直せ、でも、ドブ板ですか、承知しました。触覚がドブにまで及んだ。(笑)それが所謂、金ヅル、物ヅル、ツルは触覚のようなものです。

選挙区一体に張り巡らせる、これが、掻き繰ろうとするのは角杙(キ)、結びつこうとする妹活杙(ミ)、作用・反作用の関係。入ってくるのは引き寄せている。ただし、これは議員さんが悪いようなことを言いましたが、これをやらないと仕事が出来ない。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月18日

言霊 布斗麻邇講座・其処のドアを開けてみて

この三つがなければ議員さんにはなれない。この人たちの触覚は大変なもの、ちょっとでも触るともう忘れっこない。人間の顔を忘れても一票に繋がるということは忘れませんから。

私の知っている人に議員さんがいたものですから、よく分かるんですよ。当選したらゆっくりするのかと思いきや、次の4年のことを考えている。お祝いの席に誰が来たか、誰彼に何をやって、あれやってって。

私の家内はライセンス妻と言われて十幾つもライセンスを持っている。その中に整体のライセンスを持っていて、私があまり働かないと家内が働いて助けてくれた。

その時に某衆議院議員の治療を頼まれて、治療後に治療代を頂いて「さようなら」って帰ろうとしましたら「あなた、ちょっと待って、其処のドアを開けてみて」と声を掛けられた。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月17日

言霊 布斗麻邇講座・地盤、看板、鞄

昔、田中某という一国の総理大臣になった有名な方はゴルフが好きで、キャディが付きますでしょ。「貴方は何ていう名前?」と聞くそうです。一回聞きますとそのゴルフ場へ何年も行かなくても「◯◯さん、暫くだね」と言ったそうです。

何年も会っていないのに、ただ何時間か過ごしたゴルフバックを担いでくれた人の名前を忘れない。「◯◯さんだね」と言われたら、そのキャディさんは一生忘れません。一国の総理大臣が何年も経ってから「暫くだね」と言ってくれたら感謝感激アメアラレ。

選挙区民だったら投票したくなってしまいます。議員の特技です、年金や健康保険の番号を忘れても人の名前を忘れません。国会議員は三つの「バン」、地盤、看板、鞄を持っている。

地盤は選挙区との繋がり、この人はイザとなったら一票の価値がある、これを忘れてなるものか。看板は知名度、なにをやった人だと知られているか。鞄は選挙に使う費用のこと、お金のこと。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月16日

言霊 布斗麻邇講座・掻き繰り結び付く

これに近いものが過去にあったな、言霊ヲという半母音から引き出してくる。それと比べて「これは時計だ」と。今までになかったけれど、記憶の世界(言霊オ)を溜めておく所(言霊ヲ)。

そこからスーッと掻き繰ってくる父韻キ。「時計」と言う前に父韻キが掻き繰って来なければ出来ない。その掻き繰ろうとしている(キ)中に時計というものが印画されていなければ、ようするに時計を見たことがなかったら「これだよ、これだよ」と言っているだけ。

見たことがなければ掻き繰れない。大きな宇宙の中で自分の過去の経験を仕舞っている所から自分の方へフッと掻き繰って来る能力。これを父韻「キ」、カキクケコが当たります。

それに対して妹活杙は父韻「ミ」、マミムメモは結ぶ方。宇宙の中で「時計だ」と結びつこうとする働きの原動力。これが無かったら人間は大変なことになる、このキミは人間が生きていく上で用が大きいですので生杙です。

こういう触覚が大きい方は千代田区の永田町にウンと集まっておりますので、直ぐに分かります。あそこに議員のバッチを付けている人は大変な触覚の持ち主。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月15日

言霊 布斗麻邇講座・サブリミナル効果

何故か、パッと見た瞬間に「時計」と言うのは、見た即は「時計」ではない、ある程度見ませんと。視覚でとらえても「時計」という言葉は出てきません。

TVの広告はやってはいけない規則があって、広告会社はこの規則を遵守しないと罰せられる。どういうことかと言いますと、一秒間の内に十数コマの商品名をガッと流しますと人間は識別できない。

これを映画館の合間に流しますと飲み物や食べ物にこの商品の売上が10数%伸びるそうです。人間の視覚には映らなくても奥底のものにちゃんと通じている。こういう広告はTV会社もしてはいけないという法律があります。

人間の視覚と本能に作用する、それを広告ではやってはいけない。そういう機能を人間は持っている。パッと見た瞬間的には「時計」と言うかもしれませんが、「あっ、時計だ」と言う一秒の何分の一かの間に人間の頭がどういう作用をするか。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月14日

言霊 布斗麻邇講座・瞬時の識別能力

次に角杙神の神・妹活杙の神(ツノグヒのカミ・イモイキグヒのカミ)、これは説明するにもっともやさしい。思い当たる現象がたくさん世の中にあります。「杙」は突っ立てて支柱になんかにする。

これを説明するのにちょうどいい表現が昆虫の「触覚」、角のように生えている触覚のような働きの原動力。又は人間が生きていくのに大変必要な能力、原動力。昆虫の触覚は獲物が何処にいるか、この枝葉はここに下りているのか、もっと続いているのか、というように、目で見るより触覚で見た方が確実です。

人間もこれと同じようなことをよくやっています。目の前にホイと出されるものに、何方でも、これは「時計だな」とか「スプーンだな」とか識別します。こんなこと当たり前じゃないか、ところが、識別するに一秒もかからない。

瞬間的な0.0何秒かのうちに「これは時計だ」と識別する能力、これは大変なもの。人間の頭脳は、大きく高価なコンピュータより比べ物にならないくらい、素晴らしい頭脳を持っている証拠でございます。

布斗麻邇講座「父韻キミ」(H18年7月・会報218-3)

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2018年02月13日

言霊 布斗麻邇講座・意識しないと自分の知恵は常に発動される

自分がそういう真っさらな心で溶け込みますと、一時間でも二時間でも真っさらなんです。自分というものを意識しないと。意識しないと自分の知恵は常に発動される。だから飛び込んだ時と同じ状態で知恵が働く。

この知恵が働くという状態は飛び込むとは違いますから反作用の立場になります。そこで「イ」と言うのは「チ」と一つの組みになっています。もう少しお話ししますと、真っさらな心だけでは成功しない、知恵が伴わない。では、知恵だけでうまくいくかと言えば、真っさらな心に包まれていないとうまくいかない。

真っさらな心は総ての思惑と縁を切ってしまった心ですから、これを仏教で言えば「諸法空相」と申します。総ては空っぽだよ、それに対してチチチチ…の雰囲気の中で説明する心は「諸法実相」でございます。実際を司っている心。諸法空相と諸法実相の関係がコトタマでは「チ」と「イ」の父韻の関係を示しております。

もう一つ申し上げますと、宇比地邇は「チ」妹須比地邇は「イ」です。この「イ」はアイウエオのイではなく、ヤユエヨのイ、母音ではなく父韻の「イ」です。昔、母音のイと父韻のイは違う字を使った、そのように区別しましたが、今は同じにしちゃいましたが。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2了)

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2018年02月12日

言霊 布斗麻邇講座・動機を持続する知恵

パッと飛び込んだ時の真っさらな宇宙の心の中にある知恵、テクニックが同じように宇宙の心の中で働けば良い。我という自我の中で働くのではなくて、自由な心の中で働いて行けば良い。

チチチチ…常に宇宙の心はズーッと宇宙の方へ行く、飛び込んだ宇宙が消えるわけではないです。その宇宙の心と常に一体となって話すことが出来るとするならば、その人は成功するに決まっている。

ということは一瞬々々、宇宙の心というのはチチチチ…と常に取り込んでいる。その中からチチチチ…と同期して自分がテクニックを喋る心とが一緒になればうまくいきますよ、ということが「須らく地に比べて近し」の解釈でございます。

ですから、パァーッと飛び込んだものの勢いは、説明を始めたからと行って決して衰えているわけではない、その勢いと同体になっていればいいんだよ。そうしますと「チ」が作用、「イ」が反作用。飛び込んだ一つ々々の知恵がその場、その場でポンと出て来ますから反対の作用、二つが一緒になって一つにズーッと、ということです。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月11日

言霊 布斗麻邇講座・勢いと同期する

取り込んでそうなったのは良いけれど、次はどうなるのか、どうにでもなるでは事はすまないわけです。売り込みへ行ったのですから機械を説明しなければなりません。「須らく地に比べて近し」にならなければなりません。

「須らく地に比べて近し」とはどういう状況かと言えば、自分が持っている機械についての知恵、それとそれをどのように説明すれば相手がどのように理解するかの智慧、この知恵がなければ話になりません。

でも製造会社に勤めているのですから、ある程度は知っているわけです。それを披露することになる時、自分が宇宙そのものになっている「宇比地邇」の中でやるわけですから。

真っさらな心で飛び込んだ、その真っさらな中に仕舞ってある、どう説明するか、どう売り込めば良いかの知恵は既に其処に入っている。入っている知恵がズーッと訪問先の会社員と一体になった同じ世界を共有している気持ちの中で知恵が同じように溶け込んで行けば良い。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月10日

言霊 布斗麻邇講座・同じ心でいられる契機

次の妹須比智邇(イモスヒヂニ)の神、宇比地邇は地と比べる、須は須(すべか)らくは必ず、須らく地に比べて近し。須らく斯くありたい、そのようにおっしゃる方は今でもいらっしゃいます。

必ず、そうなりたい、とかの時に使います。「須らく地に比べて近し」、だけど、ここに妹が付いています。先に申しました宇比地邇と作用・反作用の関係になる。すると、宇宙が現実にパァーッと飛び出してくる。

反作用だから地面が宇宙へ行ってしまうのかと言うとそうではない。文字を解しますと「須らく人間の何かの知恵と同じ」。それだけではまったくお分かりにならないでしょうから、これから又、さっきの物語の続きでお話しします。

真っさらな心でどうなるかは結果に構わずに取り込んで全身全霊を尽くせばいい、その意気込みを取り込んで訪問先の会社に「おはようございます!」の一言で同じ仲間のように、同じ心でいられるようになる。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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2018年02月09日

言霊 布斗麻邇講座・行動は心の現われ

世間で起こること、新聞の色んな解説、TVであぁでも、こぅでもない、十人集まったから物事の実相が分かるわけではないのです。それじゃ、百人集まればもっと分かるか、だんだん分からなくなる。

一番いいのはアの眼を持った、視点を持った人間が一人居れば完全に分かる。実相という意味がよく分かってまいりますから、耳で聞いたことを頭に残しておいて下さって、現実に「チ」が動いた時に、ある場合にハッと判りますから。それを心がけて頂くと大変面白いことになると思います。

「チ」という父韻が分かりますと、人が「チ」の行動を起こしたことを立ち所に分かります。「チ」を自覚した人が課長だとおっかない。この野郎、この人、この社員はやる気があるのか、「ハイ!」と立ち上がる所作だけで、当てになるのか、ならないのか。

「チ」ですから、何か起こるのか、自分が全身全霊を傾けているか、いないか、バッと分かる。そうじゃない人は、イヤだからイヤイヤながらしているのか、これは一つの例です。

布斗麻邇講座「父韻チイ」(H18年7月・会報218-2)

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