2017年06月07日

言霊 言霊学講話・人類即我の自覚

自分は高天原の精神原理を身につけた伊耶那岐命、奥さんの伊耶那美命を追っかけて、乱雑ではあるけれど、高天原の原理とは内容をまったく意を異にする客観的な物質世界に接して黄泉国を知ってしまった自分。

その自分を出発点とした自分が「人類即我」の清々した自覚を持つにはどうしたら良いのか。(伊耶那岐の大神)

何だかわからない魑魅魍魎とした知識を体験してしまった自分を浄化して、闇の世界から光の世界へ引き上げる方法はないものだろうか。それにはどういうことを検討していけば良いか、その方法が「禊祓」でございます。

先月にお話しましたが、お浚いします。
ここを以ちて伊耶那岐の大神、詔(の)りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこめ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はわへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘 (たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
かれ投げ棄(う)つる御杖(つえ)に成りませる神の名は、衝(つ)き立つ船戸の神。次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は、道の長乳歯の神。次に投げ棄つる御嚢(みぶくろ)に成りませる神の名は、時量師の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累(わづらひ)の大人の神。次に投げ棄つる御襌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣の神。次に投げ棄つる御冠(みかぶり)に成りませる神の名は、飽昨(あきぐひ)の大人(うし)の神。

言霊学講話「津日」(H16年6月・会報193-03)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする