2017年06月04日

言霊 言霊学講話・奇想天外な発想

何故、伊耶那岐の神に(大)が付くのか、それがすこぶる重大なところでして、伊耶那岐命と伊耶那美命は相対していたけれども一緒にしよう、二人の身を一つにするわけにはいきませんが、パッと見て対象の全貌を知った自分だけを見て世界の文明を創造する奇想天外な発想。

今の考え方として何かの問題に対して「これは良いけど、ここはあまり良くない」と言わないと世の中が悪くなるから規制の法律を作ろうとして取り入れます。ところが、昔の日本人の大先祖は規制なんてものの姑息な手段をとらなかった。

そのもの総てを取り入れる、それを引き受けた自分は、我が眼に映じ、耳に聞いたことは総て自分の責任において処理すべき得る方法はないだろうか。

相手に失礼なことではない、相手の総てをそのまま自分の知識として取り込んで、その知識として身につけたものを全部生かす方法はないだろうか。パッと瞬きしただけで悪人が悪人でなくなる方法はないだろうか。


言霊学講話「摂取不捨」(H16年6月・会報193-02)

posted by 管理人@言霊百神HP at 09:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする