迷いながら道を歩もうとする人にとっては慰められたように思う。それは勇気を与えることにはなるだろうけど、自身が悟ったことにはならない。あくまでも参考としてなら大いに結構なことだとは思います。
ですが、坐禅の修行する人にとってあまり意味がない、何故なら悟る途中の心象は目的地が同じでも、此処に因縁も運命も違っているからです。途中途中の心の経緯を無門関ではNOと言いなさいとする。
無門関が「NO」とするところは何かと言えば、5W1H、人間が経験して仕入れた知識に対して否定する。それは現実には有り得ない公案の質問に対してだけでなく、自分が今まで考えていた想像だに出来なかったことを問いかけられることによって既成観念を否定しなさいということ。
2009.oct.談話
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