2009年11月08日

言霊 無門関

言霊の勉強するに当たって、自分が感じたところを打ち明けて勉強中の誰かに何らかの影響を与えたとします。それは一見指針のように見えて実は同病相哀れむのような心境に陥りやすい。

迷いながら道を歩もうとする人にとっては慰められたように思う。それは勇気を与えることにはなるだろうけど、自身が悟ったことにはならない。あくまでも参考としてなら大いに結構なことだとは思います。

ですが、坐禅の修行する人にとってあまり意味がない、何故なら悟る途中の心象は目的地が同じでも、此処に因縁も運命も違っているからです。途中途中の心の経緯を無門関ではNOと言いなさいとする。

無門関が「NO」とするところは何かと言えば、5W1H、人間が経験して仕入れた知識に対して否定する。それは現実には有り得ない公案の質問に対してだけでなく、自分が今まで考えていた想像だに出来なかったことを問いかけられることによって既成観念を否定しなさいということ。


2009.oct.談話
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2009年11月07日

言霊 秘中の秘

絶妙なタイミングで教えてくれる。皇祖皇宗の実体って何だとするとそれは生命です。二千年の間の罪穢れというものは新しい文明の輝かしい恩恵からすると、非難されるかもしれないけれど、取るに足らない小さなことになってしまうと小笠原先生はおっしゃった。

種子島から宇宙船へ無人ロケットを遠隔でドッキングした、それは宇宙文明の輝かしい始まりです。ロケット技術をアメリカから教えてもらわず、日本が失敗を繰り返しながら果たした瞬間です。

それも業、日本民族の使命、そういうものを感じます。ですが、それが良い悪いとかじゃなく、生まれた時から授かっている本倶を引っ張り出して思い出せば何も迷うこともない。

不思議といえば不思議です、二千年もの間、ずーっと宮中に言霊の学問が眠っていたのを、明治天皇と山腰氏が掘り起こして、その糸を紡いで元の姿にするのに百年かかった。よくまあ、なくならないでのこっていたものです。

消滅してもおかしくなかったのが世の中に顕れ出てきたことが不思議です。でも、言霊の学問からすれば不思議でも何でもない。それがあったから人類は生存できたのですから。

この間、大津にいる仏師の方、お母さんと見えて、「勉強するから教えて下さい」と名刺を置いていかれました。そういう方が一人、二人と増えました。少しずつ世の中にポツンポツンと光が灯っていく。


2009.oct.談話
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2009年11月06日

言霊 求めない限り永遠に分からない

ですが、先人の生きていた時代とはまったく違っている、言霊の学問が復活したのですから、それも百神、すべて明らかにされたのですから、迷う必要がない。こんな有り難いことはないじゃないですか。

実を言いますと皇祖皇宗という言葉で表現しておりますが、実際に私はそう思ったことがない。ですがそう言わないと不遜だと責められる場合がある。でも、自分が私に教えてくれたと思っています。

でも自分じゃなくちゃ困る、自分の中に皇祖皇宗がいらっしゃるわけですから。口に出して言葉にすれば、皇祖皇宗の発言と自分とが違ったら努力するしかないということになる。

でも、皇祖皇宗を自分の中に求めない限り永遠に分からない。自分がこんなことをしていたらダメだと思ったら教えてくれる。こんなにまで自分を見守っていてくれていたんだと身を震わすほど感激する。


2009.oct.談話
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2009年11月05日

言霊 聞こし召し、知らし召す

相手を気にするあまり、ああしたら、こうしたらとあれこれ思ったら、絶対に伊耶那岐の大神にはなれない。対抗として捉えているから。貴方と私から離れれば、対抗することもない。

それがスメラミコトの聞こし召し、知らし召すということになります。いつでも始めに返る事、それは始まりでなく全体であるということ。アの宇宙に返って全てを有り難いとする。

古事記の冒頭の「天地の初発の時(アメツチノハジメノトキ)」から最終結論である「三貴子(ミハシラノウズミコ)」まで一分もあれば済む、今此処にいらっしゃる神様百人を見渡せばいい。

ちょっと想像力を逞しくすれば、ここ二千年、真理について弘法大師、親鸞も、菅原道真も知らない、何かの縁で自分は知ることが出来た、その道を歩ませていただけた、とはいうものの二三日で分かってしまうことはない。


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2009年11月04日

言霊 伊耶那岐の大神

そこまできますとイ段を自覚した人の消息の見当がつくことになる。それが光、光を自覚しない限り禊祓は出来ない。出来ないと思えば元に戻る、それの繰り返し。最期の決断を何処でつけるかと言えば、自分の一生を世界人類のために捧げることが出来るかということ。

その責任感がなければ禊祓は出来ないということです。自分に言い聞かせる、お前はそれだけの覚悟があるのか、出来るのか、はっきり「そうだ」といい切れないのなら、また元に戻ればいい。

他人を自分の体とするということは、まず、関係を絶たなければ出来ません、どういうことか、「あなたのいうことは分かった、聞いた私はその責任がある、その責任を果たすのはあなたの為じゃありません、私のためです」という立場が伊耶那岐の大神。

私が個人的な悩みを解決したところで、次から次出てくるでしょ。聞いた時点で貴方と私の関係を断つということは、これから先は、あなたはあなたで行きなさい、私はそれに責任を持ちませんよ、だけど聞いた時点で私は責任を持ちますということです。


2009.oct.談話
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2009年11月03日

言霊 ヘサカルノカミ

迷っている人を助けようとする、迷える子羊は自分自身のことじゃない、八十禍津日はね、世の中の出来事を自分のことのように思えなかったら、自分と対象が分かれる前、天の御中主の神に返ればいい。

分かった時点で禊祓に返れる。原点と支点を行ったり来たりしているうちに分かる時がくる。そう言っても分からないということはどういうことか、人によって捉え方が違ってくる。

その時のその人の状態が判るまでは、答えはありません、そうなると人を導く、救うということは、64億人のパターンがあるということになる。物理的にも不可能なことです、ですが人間の悩みは八十禍津日(ウ)と大禍津日(オ)で尽きてしまっておりますでしょ。

八十禍津日と大禍津日をクリアした時の禊祓とはどういうことなのかをヒントと捉えることができたなら、もっと詳しく言えば、自分は自分、他人を自分の体とすれば、全体は自分の責任、こうやって聞いている私は辺疎の神(ヘサカルノカミ)として、エの音図である太祝詞のア段、タカマハラナヤサの心でもってと引き出せばいい。


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2009年11月02日

言霊 元に戻ればそれでいい

それは迷っているのではなくて分からない状態。迷うことはまだ選択肢があることでしょ、それは素晴らしいことなんですから。私の去年、一昨年、それはもう迷いの罠にはまったよう、同じところをグルグル、太安万侶さんの意図がはかりしれない。

光だ、光だと唱えながら、分からない。闇から光に飛び出すことがどんなことかも分からない。飛び出した体験はあるけど、飛び出すということはどういうことなんだろうって。

闇から光にするにはどうしたらいいかが分からない。そのために身体を壊して、入院までしてしまって、それは昔を忘れてしまっていたから。元に戻ればそれでいい、そのやり方が分からなければ聞いて下さればいい。

無門関や歎異抄を初めから読みなさいということです、迷いは常に今此処にあって何処にも行きはしない、古事記の禊祓、八十禍津日と伊豆能売は何処が違うのか、伊耶那岐の大神は、他人の悩みは自分の悩みと捉える、他人事でない。


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2009年11月01日

言霊 どういう風に迷えばいいのか

物と心は正反対ですけど真理は一つですから。迷って、迷って、迷った挙句に悟りとは何ぞやとかを覚らない人もいる。迷いの意味内容を知っている人が一人でもいたらそれで済む。

その知っている人が迷いの正体はこうだよと示せば解決する、そうでなければ迷路にはまって出口が見えない。正体が分かれば「迷ってもいい」ということになる。今自分は迷っているということを自覚出来ないでいる、迷っている人は。

迷っていると自覚出来れば自殺しないです。ただ、ただ、困ってしまって。迷っている人は案外自殺しない、何とかしようとしますから。その困ってしまった時に、迷わずに済む方法は、無門関の第1則に返ればいい、道は一つなのですから。

そうしますと、どういう風に迷えばいいのかが分かる。渦中におりますとそれが見えない、見えなくなる。自分が迷っているということさえ自覚できずに動けなくなる、思索もしない、その方法さえ分からなくなる。


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posted by 管理人@言霊百神HP at 08:06| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

言霊 苦しい迷いはない

心の規範である言霊の学問が人々の心の中から忘れ去られたということは、迷わなくてもいいことを迷っている。じゃあ、その迷いからどう覚めたらいいのか、迷うことは仕方がないことなんだと思えばそれでいい。

どうしたら、どのように、そのように考えることがもう迷いから抜け出なくなる。原子物理学者は迷うことが研究を進めることだとしておりますから、分からないから、迷うから、真理に近づくとハッキリ言っておりました。これは悟りですよ、ある意味。

でも、物質科学の先天構造の仕組みが見えてきたから言えることで、初心者の科学者はそういうことを言えない。それが心の構造でも同じ仕組みであるのなら、もう明白でしょ。

迷うことを迷わなくしようと思うと、尚更迷う、迷うことは一歩真理に近づくことなんだと捉えれば、苦しい迷いはない。何回も何回も繰り返していくうちに元に戻ればいいこと。


2009.oct.談話
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2009年10月30日

言霊 自分でやるしかない

クエーカー教徒が強盗に遭って持ち金を奪われた、命だけは助かった、ところが鞍の下に大金を隠してあったのを思い出して、泥棒に嘘をついてしまった罪の意識を猛然と感じてしまった。その泥棒を血相変えて追いかけた。

その追いかけてきた形相を泥棒が見て、仰天して、馬を疾走させたけど、追いつかれた。泥棒は観念して下馬してひざまずいた。「何とか勘弁してくれ」、「仕返しのために追いかけてきたわけじゃない、この金をあなた方に渡すために追いかけてきた、受け取ってくれ」、泥棒はそれで改心した。

鞍の下の金よりも嘘をついたことの罪の意識、神の教えに叛いた思い、そちらの方を重んじた。本当にあった話だそうです。現代では考えられない話でしょうが。

若い頃は不安がいっぱいで海のものとも山のものとも分からない勉強を只管していたわけですから。大学の教授に聞いても教えてくれない、自分でやるしかないじゃないですか。


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posted by 管理人@言霊百神HP at 10:25| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | コトタマノマナビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする