2017年03月24日

言霊 言霊学講話・初地の仏

芸術家か宗教家はアの本生を自覚していないと「タカラハサナヤマ」の話し方は出来ません。けれど阿闍梨、阿羅漢の「初地の仏」は仏の位で言えば最下位です。では、何故「初地」なのか。仏陀でありながら本当の仏陀じゃない。それが「タカラハサナヤマ」の並びが表わしています。この言葉の並びは相手がどう思うか。

「ワ」というのは真正面に向い合って抱え込もうとする。その人を動かそうとする、相手がどういう経歴をしてどんな心を持っているかが分からない、アの位では分かりません。個人的には愛で臨みますと人の心はほぐれてくるものです。

愛の象徴として「右の頬を打たれたならば返って左の頬を打たせてこれを受けよ」、ビシャーっと打たれたら、さぞかし御手が痛かったことでございましょう、よろしければこちらも「どうぞ」、そう言われて打つ人はほとんどいません。

斬られようとしたら「どうぞ」、盗人にそれだけでは何ですから、こちらも「どうぞ」、というように宗教家には有りがちな行為です。自分よりも他人と思えば。でも、愛情は注いで大変だなと慮っても相手次第。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月23日

言霊 言霊学講話・アは世界語

それを千日間回峰しても無事に、最後の九日間は飲まず、食わず、横にならず、眠らず、これからにして人間業じゃない。医学的に言いますと六日間眠らないと死ぬといいます。それでいて生き延びた時、人間業ではないということで「阿闍梨」の位を授かる。

この苦行を自分がそんなことをしたとは思えない。にも、係わらず生きているのは、この自分は自分じゃない「阿闍梨」である、サンスクリット語でアを知った人という意味です。アは世界語です、阿弥陀、アーメン、宗教語にはアが付きます。

阿闍梨はキリスト教の用語では「アノインテッド」(Anointed)、日本語に訳しますと「油塗られし者、アの言葉(ぶ)を自由に使いこなす(ら)人、どんな人にも慈悲と愛の心で接することが出来る人。

takara.pngアの真髄を知っている人の職業は芸術家か宗教家です。この方の父韻の並び方は、自分が居て、他人が居て、どういう手順で話すことが出来るか。それは「タカラハサナヤマ」(宝音図)と並びます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月22日

言霊 言霊学講話・意識で捉えられる自分は現象に過ぎない

「あいつは変なセーターを着ている奴だ」と言われて会いに行ったら、水色のセーターを着ていた、だから「あいつ」じゃないとは言えません。俺という、私という者の真実は何かと言えば、現象にあるわけじゃなくて、そういう現象が出てくる本体が私です。

それでは、その本体って何だ、こうなりますと分からなくなる。色即是空、空即是色、色(しき)は「いろ」ではございません。目に映るもの、意識で捉えるもの総て。色で捉えられないもの、これが空(くう)。

意識で捉えるものに拘るから「アンチクショウ、コンチクショウ」ということになりますが、意識で捉えられない空(天名〔アナ〕)で捉えますと世界総人口共通です。変わるのは言葉に組まれたところから個性が出てくる。

本生の空は変わらない、その変わらない段階をアと申します。アを知った方とはそういう方です。千日回峰行をした方は道なき凸凹の山道を駆け足で駆け抜ける、千日間続けるのですから、その間にどこか怪我をしたら、そこで終わり。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月21日

言霊 言霊学講話・自我と真我

人間は過去をヨイショと受け止めてこれをどう処理するかを決めるのは現在。その現在を学問では分からないから過去だけを調べる。株屋がどうして株がわからないのか、経済学者がどうして株を買わないのか、わからないから。

じゃ、将来がわかるとはどういうことなのか。ウとオは因果、原因、結果ということです。こうするとこうなるよ、過去についての法則がそうなるよ、それがわかるのはアという段階でウとオというものがわかってきます。

そしてアの段階は仏教では「初地の仏」(しょちのほとけ)、「阿羅漢」(あらかん)、又は「辟支仏」(びゃくしぶつ)と申します。アを知っている人「阿闍梨」(あじゃり)、比叡山の千日回峰行を二回も行ったお坊さんは阿羅漢の位を授かった。

阿闍梨の位は明治時代以前では天皇の宮殿に草鞋を履いたまま上ることが出来た尊い位とされました。ただし、そのアの位に上りますと、お前は誰だい?「俺だよ、俺だよ」という自我と、本当の俺、私を、どこまでも突き詰めて行きます。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月20日

言霊 言霊学講話・将来を決定するのは過去ではない

ウオアエイの人間の精神的な進化につきまして手短にお話を申し上げます。ウは欲望ですから何方でも持っています。「武士は食わねど高楊枝」というのは馬鹿、「食わねえぞ」なんて言っているほど欲しい。

その欲望がどのようにした合理的に達成できるかを考えるオの学問、経験知。オは尾、尻尾、勉強するには既に起こってしまったことを頭で思い返して、その思い返したことを関連付けて法則を作る。過ぎ去ったことはもう「ない」ことですから尾です、生命の玉の緒と申します。

ですから尾っぽの学問、今を考える学問ではございません。過去のものを頭に想起して、思い返して、その関連を調べるのが科学。科学は物ですから思い返した物を再現できます。

人間の他の精神的な学問は総て再現できません。歴史を再現することはできません。ですから歴史学は将来「こうなる」ということが言えない。将来を決定するのは過去ではありません。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月19日

言霊 言霊学講話・言霊によって作られた日本語

このヒカリで生かされているのに全部忘れてしまっている。そのヒカリで作られている日本語は素晴らしい言語です。その意味が分かってきたら、もう何て言いますか、手の舞い、足の踏み所を知らないほど一日々々の生活が真実の生活になってくるのです。

目の前の名前が全部真実だとわかったら、真実の大海を泳いでいるようなものです。だけど当の日本人がその真実性を忘れてしまっている。

名前の真実性が分かれば、ここのところで喧嘩しちゃいけないということが分かります。ここは本気で喧嘩しなくてはいけないところは喧嘩します。それが人間の生き様というものです。

ヒカリの中に生かされているのにそれを忘れてしまっている。その大本の生きているヒカリは言霊なんですよ、ということを知らないから日本語の素晴らしさもわからない。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月18日

言霊 言霊学講話・生まれてから具わっている性能

「霊駆り」と申しますのは言霊の動きそのものを謂います。言霊のことを何も知らない何方であってもそのヒカリで生かしていただいている。私がよく「大きな光で生かせていただいているのですよ」と申し上げますのは、この言霊のことを言っています。

ただし、人間の心はさっき申しましたようにウオアエイと進化いたします。全然進化しない人は、「ああしたい、こうしたい」で一生を終えます。世界人口の80%はそういう生活で人生を終わります。そのように終わったとしても立派な使命でございます。

各々の性能は、事象を分析し理論付ける物質科学を分担するオの段階。ウの欲望とオの理論では自分は承服できない、内から湧き出てくる感情を表現する作品を創っていきたいとする宗教家、音楽家、又は芸術家たちは、1+1=2という考え方をしないアの段階。これ等ウオアをコントロールするエの段階。

ではバラバラに動いているのかというと、ウオアエを下支えして働きかけているイの段階。このイの段階を説いているのが言霊の原理です。この原理が二千年間隠されていたということです。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月17日

言霊 言霊学講話・言霊の働き

頭で「こっちから磨こうか、あっちから磨こうか」の発想をする時に、「こっちから磨こうか」は言葉です。言葉になる前の動き、言葉にして自分が了解して行くのも言葉。意識にない言霊の動き。これも実際には言葉ですが、この言葉を天名(アナ)と申します。

天名が活動して、どういうように言ったら自分も納得し、相手も納得してもらえるか、発想したものがどういうアイデアなのか(タトヨツテヤユエケメ)、どういう言葉で綴り言えばいいのか(クムスルソセホヘ)を選り分けする。

出た言葉は神名(カナ)。空中に飛んで(フモハヌ)自分乃至他人の耳に入る。「あいつは何を言ったのか、どういう意図で言ったのか」(ラサロレノネ)を探り、何度も反芻しながら(カマ)、「こういうことを言っているんだな」(ナ)、「そうだ」と了解し、出来事(コ)の一巡が終わる。

先天の天名が十七言霊(ウアワオエヲヱチキヒシイリミニイヰ)、後天の未鳴(タトヨツテヤユエケメクムスルソセホヘ)・神名(フモハヌ)・真名(ラサロレノネカマナコ)が三十二言霊、これらの言霊の働きで人間は総てのことをまかなっております。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月16日

言霊 言霊学講話・光の中には二つある

言霊の見地から「光」について申し上げようと思います。その光を行使する、自分が自分で光の行為をするということはどういうことなのか。光の中には二つあるというようなことをお話させていただきます。

光の語源は「霊駆り」、「霊(ヒ)」は言霊のこと、ヒが走る、馬が走ることを「駆る」と申します。馬が走るように言霊が動く、頭の中でもって言霊が大活動しています。

朝起きて、歯ブラシでこっちから磨くか、あっちから磨くか、こんなことはくだらないことです、が、迷いだすとどっちがいいんだろうって。踏み出すのも左の足からか、右の足からか、というようなくだらないことを考え出しますと。

それをパッと決めてくれるのは霊駆り。言霊は日常茶飯事から総ての行動を決定付けてくれています。そのように思い込ますのも言霊でございます。動いている言霊が「霊駆り」です。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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2017年03月15日

言霊 言霊学講話・突っついたら突っかれる

人間が知っておくと便利なことを申し上げようと思います。私と家内とトラヴルがありまして、「あんな時にあんなことを言い出して」とか、「少しはこっちのことを推し量ってくれりゃいいのに」とか身内でなくても他人とも、そういった思惑違いがあるのが人生。

それは何も問題がない。自分がそれにひっかかって、ひっかかってしまいますと自分の経験知を総動員して、相手がどうして言ったのか、やったのかを合理的に考えをまとめようとして色んな事を詮索します。

と同時に相手の心理分析を始めます。合理的に始めるのも結構な話しですが、一つだけお遣りにならない方がいいことがあります。それは人の心を良いように変えようとすると、ものすごく手間取って損でございます。

他人に対して、自分の良いように思わせようとしますと、間違いなく100%逆のことをお遣りになります。突っつくことになります、突っついたら突かれます、必ず。だから突っつかない、突っつく方法を間違えてはいけません。

突っつくなら自分をつっつけば良い、自分が引っ込めば相手も引っ込みます。自分が自分のことを納得しますと、相手は納得するようなことを言い出します。今年に入って何十回も質問されたことがございますので、ご参考までにお話させていただきました。


言霊学講話「天津神籬U」(H16年2月・会報189-04)

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